深き緑に(まばゆ)き青に  〜7〜




勝浦の街はことのほか賑わっている。
熊野御幸の法皇一行が、間もなくこの街に到着するのだ。

供につく貴族や女房、舎人はもちろんのこと、
警護の武士まで加わって、一行は相当な人数になる。

また、禁中の人々の行列など、普段目にできるものではないからと、
きらびやかなその様子を見るために、人々が集まる。
熊野参詣の途中の者も、ちょっと立ち寄ってみようかとやってくる。

それらを当て込んで、商人、見せ物師からごろつきまで、
様々な人々が勝浦の街に流れ込み、ひしめいている。



「街はにぎやかな様子ですねえ」

喧噪から離れた大きな屋敷の一画で、木登りする五人の子供たちに
油断なく目配りしながら、丸顔のにこにこした女が言った。
背では、乳飲み子も一緒ににこにこしている。

「ええ、いつも活気があるけど、今は特別な感じがします」
一番小さな子が枝に上るのを支えながら、望美が答えた。

「いやですよ、望美様。そんな丁寧な言葉は使わないで下さい」
「そ、そうですか。気をつけます」

女の顔に本物の笑顔が浮かんだ。
そして、ぽつりとつぶやく。
「熊野は、恵まれたところですね」
「え?何か?」

女は首を振ると、背中の子をあやすように揺すりながら、
望美の近くまで来て足を止めた。
「噂話を耳にしました」

この女性のかつての仕事のことは、ヒノエから聞いて知っている。
反射的に、望美は周囲の気配を探った。

「大丈夫です。それに、誰に聞かれてもよいようなことばかり」
「噂話…ですものね」
「ええ、その通りでございますよ」

「じゃあ、話の種に聞いてみたいな」
「法皇様の最近のお気に入りなど、いかがでしょう」
「げ……まさか、女の人とか」
女はにっこり頷いた。
「やっぱり……。で、どんな人なんですか」

「少々、面白うございます。
白拍子の娘なのですが、軽業師の一座の者でもあるのです」
「へえ、すごいんだ。見てみたい…じゃなくて、その一座はどんな?」

「娘の取りなしで、法皇様のお側でも芸を見せているそうです。
この度の御幸も、もちろん行列に加わるなどできませんが、
先触れのような役回りで、法皇様の行く先々で見せ物をしています」

「でも、それって、おかしいことかな?
曲芸を見せる人達って、他にもいるんでしょう?
法皇様は、その一座しか側に置かないってこと?」

「いいえ、そういうわけではございません。
ただ、その一座の人数がわからないのです。
彼らを見た者は、ある人は四人だと言い、ある人は六人だと言う」

「出し物によって違うってこともあるかも」
「はい。けれど、一座の者は、誰が誰やら区別がつかないのです」
「え?どういうこと?」
「皆、出し物をする時には、面を被っているとか」
「お面を?」
「一座は皆同じ着物を着ています。背格好も、特徴のある者はいません。
その上、面白おかしく作られた面を被っているとなれば、
通りすがりの人達にとって、区別のつけようもございませんし、
面の中の顔を知ろうとする人もいないことでしょう」

突然、背中の子が泣き出した。

「ああ、よしよし…」
女の声が、気のよい母親のものに戻る。

望美が子供をあやそうと向きを変えた時、
「あれ?」
こちらに向かって歩いてきた人影が、
まわれ右して、来た道を戻っていくのに気づいた。

「あの人、もしかして…」
「ええ、うちの人です。ここまで帰ってきたはいいけど、
何か忘れ物にでも気がついたんでしょう」

女は、あきれていることを暗に示すため、小さなため息をついてみせた。
まさか、夫が望美様を…別当の奥方様を恐がっているなどと、
本当のことを言えるはずがない。



「何だ?零零七番、戻ってきたのか」
副頭領が大きな声で言った。
「はい…あの…」
「忘れ物か?」
「いえ…その…」

まさか、自分が望美様を…別当の奥方様を恐がっているなどと、
本当のことを言えるはずがない。
遠くから姿を見かけて、逃げ出してきたなどとは…。

「も、もっと、仕事をさせて下さいっ!!」
がばっとひれ伏して副頭領に懇願する。

「お前、いつからそんなに仕事熱心になった?」
「ま…前からです」
「はあ〜〜。ま、それならついて来い」
「ありがとうございますっ!!恩に着ます!!」
「お前に着られてもなあ…」
「あ、あのう…どちらへ?」
「舟を見に行くのよ」
「舟…?水軍の舟をわざわざ?」
「いや、近いうちに使うことになる、新しくてきれいな舟だ」


二人が着くと、すでに副頭領配下の水軍の者が、舟の下検分をしていた。

「どうだ、櫓や舵はちゃんとしてるか」
副頭領の言葉に、立ち会っていた船大工が口を尖らせる。
「そいつは副頭領といえど、聞き捨てならねえせりふだ」

「悪いな。だが何といっても特別なお方が乗るんだ。
粗相があったら、熊野の恥になる」

そう言うと副頭領は、巨体に似合わぬ身軽さで、ひょいと舟に飛び乗った。
足をばたつかせて、零零七番もよじ登る。

「へえ〜、水軍の舟とはずいぶん違いますね〜」
きょろきょろしながら歩き出した零零七番が、ずでんと転んだ。

「ひぃ〜〜痛い。足の指をぶつけた」
情けない声で痛みを訴えるが、誰も耳を貸さない。

皆が放っておくと、零零七番はすぐにおとなしくなり、
何やらごそごそとやってから立ち上がった。

「何やってるんだ、もう行くぞ」
「あ、すみません…。ちょっと、段差を直してました」

「何だと?」
舟を下りようとしていた副頭領の足が止まった。

「お前、詳しく言ってみろ」
「ひぃぃぃっ」

巨漢の副頭領に、上から恐い顔で睨まれて零零七番は縮み上がった。
青い顔で、震えながら説明をする。

「あのですね、この舟に乗るようなお偉い方は、きっとお年寄りですよね。
お年寄りって、爪の先くらいの段差で転ぶんです。
もしこの舟で転んで怪我でもしたら、それこそ…」

「ご託並べてねえで、どこを勝手に直しやがったのか、早く言え!!」
「ひぇぇぇぇっ!!!」



「……ていうわけなんだ、ヒノエくん」
「烏が掴んでいるのと、だいたい符合するよ」
「じゃあ……その一座が怪しいってこと?」
「監視は続けた方がよさそうだね」
「私に、何かできることはないのかな」
「そうだね、まず一つ目は、油断しないこと」
「うん、わかった」
「二つ目は」
「何?」

「オレの側を離れないことだよ。
こういう風に…」
「きゃ………
もう……ヒノエくんてば……」
「イヤ?」
「意地悪っ!!」



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