・・・・・夏の空・・・・・



3.途切れた夢

宗方由希・・・・・どこかで聞いた名前だと思っていた。
亜矢の姉ということは分かったが、それ以前から知っているような 気がしていたのだ。
教室移動で職員室の前を通った時、やっと気づいた。
廊下のガラスケースに並べられているトロフィー、楯、賞状などに、 その名が幾つも書かれているのだ。
科学研究、スポーツ、論文、英語のスピーチ等、 分野も多岐にわたっている。
昨日由希が職員室に入った時に先生方がざわめいたわけも分かった。 あれだけきれいで、
しかも超・優秀な生徒、覚えていて不思議はない。
それにしても、なぜ由希は学校に来たのだろうか。

そして亜矢の頑なな態度は?
気にはなっていたが、放課後になって、やっと亜矢に話しかけることができた。
休み時間はせわしなくてゆっくり話す時間もなかったし、昼休みには亜矢が 教室にいなかった。
無口な部類の亜矢だが、今日は人と話すのを避けている様子が ありありと見て取れる。

「昨日はごめん」
単刀直入にきり出すことにした。
「何のこと?」
カバンに教科書やノートを入れながら亜矢はぽつっと聞き返す。
「亜矢ちゃん昨日は怒ってたみたいだから。私、何か悪いこと言っちゃったかなあって」
亜矢は手を止めた。
「・・・・・望美ちゃんは悪くないよ。私の八つ当たり・・・・だから。ごめん、気にしないで」
「そっか。なら、いいんだけど、亜矢ちゃん少し、元気ないみたい・・・
あ、これも よけいなことかも・・・。私、一言多いね。ごめん」
亜矢の、強張っていた肩から、少しだけ力が抜けた。

「望美ちゃん、昨日、お姉ちゃんと帰ったでしょ」
「あ、そうだよ。そのことも話したかったんだ。でも、よく知ってるね」
「だって、ここから見えたもの」
「そうか、あの後まだ教室にいたんだね」

「・・・・・お姉ちゃんのこと、どう思った?」
「明るくて、さっぱりしてて、きれいだし、素敵な人だなって」
「そう・・・だよね」
「ね、お姉さんも亜矢ちゃんみたいに絵が上手なの?」
「え?」
「違うの?」
「ぷっ・・・ふふふ」
亜矢は笑い出した。
「ちょ、ちょっと、亜矢ちゃん」
「望美ちゃんって、変わってるね」
「ええーっ?急に人のこと笑っておいて、それはないよ」
「ごめん、望美ちゃんのこと笑ったんじゃないの。・・・・みんな私に、
『お姉さんみたいにああなの?こうなの?』って聞くのに、望美ちゃんてば・・・」
「だって、それが当然だよ。私は亜矢ちゃんのことは知ってるけど、
お姉さんとは昨日会ったばかりなんだから」
「知ってるでしょう?お姉ちゃんがすごい人だってこと」
それを言われると望美は自分の鈍感さを指摘されているようで、少しきまりが悪い。
「・・・えっと・・・そのことはね・・・今日、気がついたの」

亜矢は初めて顔を上げて望美を見た。
「望美ちゃん、やっぱり変わってる」
「そ、そうかなあ。何度も言われるとそうかもしれないって思っちゃうよ」
「お姉ちゃんね、人より何でも上手にできるけど、絵だけはだめ。
数学の図形だったら正確に描けるけど、でも、花も椅子も人も、区別がつかないの」
「あ、あははは。・・・・って、ごめん!つい笑っちゃって・・・」

亜矢はそれには答えず、窓の外の空を見やった。
今日もどんよりとした曇り空。また、雨が降り出しそうだ。

「ダ・ヴィンチみたいだね・・・・って、言ってくれたの」
「え?」
話題が急にどこかへ飛んでしまった。いったい、亜矢は何が言いたいのだろう。

「私、左利きでしょ・・・それで、左手で絵筆を持って、描いてたら・・・・藤堂先生が、
そう言ってくれたの。他の先生はみんな、お姉ちゃんのこと、言うのに」
亜矢の心のわだかまりが少し見えた気がする。
一人っ子の望美にとって素敵な姉の存在は憧れと言ってもいい。だが、比べられるとなると、 確かに複雑な思いがある。
だが、それは今に始まったことでもないはず。亜矢の落ち込みぶりは、 他にも理由があるような気がする。

「それから私、なんだか、絵を描くのが楽しくなって・・・単純だよね・・・でも、一生懸命 描けば描くほど、
世界が広がっていくような気がしたの。先生も、喜んでくれて、 『これは、あなたにしか描けない絵ですね』・・・って」
「うん、私もそう思う。絵はよく分からないけど、亜矢ちゃんの絵って、亜矢ちゃん そのものって感じがするんだ」
「ありがと。でも、もういいの。私、もう描いてても楽しくないの」
頑なな亜矢に戻ってしまった。

亜矢はカバンのファスナーを開け、中から1枚のハガキのような物を出すと、望美に押しつけた。
「これ、あげる」
「な、何?これ・・・」
見ると、招待状を兼ねた、美術展のお知らせのようだ。

「これ、私より亜矢ちゃんが行った方が絶対いいよ!」
「・・・・わざわざ私の所に持ってこなくても、お姉ちゃんに渡してくれればよかったのに」
亜矢はうつむいて吐き出すように言う。
出品者の中に、藤堂先生の名前があった。昨日先生が教室に来ていたのは、これを 亜矢に渡すためだったようだ。
だが、
「お姉さんに渡すって、どういうこと?」

亜矢は顔を背けて言った。
「お姉ちゃん・・・先生と・・・・・」
「ええっ?!も、もしかして・・・けけけっ」
小馬鹿にして笑ったのではない。単語が途中で切れただけだ。
「お父さんもお母さんも大反対なのに・・・・それなのに・・・・・」

望美の中で、昨日の出来事がカチリ、と繋がった。
「昨日、まみちゃんが学校に来ていたんだよ」
「え?!」
「藤堂先生の子供のまみちゃん、知ってるよね」
「うん。まだ会ったことはないけど、名前だけなら」
亜矢はうなずきながらも、怪訝な顔をしている。
「保育園を抜け出して、『おばさん』に会いに来たの」
「・・・・・・・」
一瞬、顔をゆがめると、亜矢はカバンをつかんでそのまま 教室を走り出ていった。

「あっ、待って!!」
望美の手にはハガキだけが残る。
どういうわけでこのようなことになったのか・・・。
ずいぶん立ち入ったことを聞いてしまったような気がする。
謝ろうとして、深みにはまってしまった。

才気煥発で明るく、誰もが振り返るような容姿の由希と、
ひょろひょろと背が高く、 運動不足で、どこか間延びした藤堂先生。
そして、二人に対して複雑な思いを抱く亜矢。
望美は小さくため息をついた。

招待状を無駄にするのも悪いと思う。
よく見れば「このハガキで3名様まで入場できます」と書いてある。
「ヒノエくんを誘ってみよう。お母さんにあれだけウソ八百並べた訳も、 まだ聞いていないし」


「じゃあ、姫君だったら、どうする?」
部屋に来るなり、厳しい言葉で追求する望美に、しれっとしてヒノエは聞き返した。
「どうする・・・って・・・」
こんな時、ヒノエは憎らしいほど落ち着いている。とても同い年とは思えない。

「去年の冬、あなたのお嬢さんは異世界に飛ばされて、そこで白龍の神子として戦いました。
その後、あちらの世界から悪い神様がこの鎌倉に来てしまったので、その神様を
倒すため、オレもお嬢さんと一緒にこちらの世界にやって来ました・・・・とか言えばよかった?」
「・・・・・・」
「今、大事なのは、オレの存在をお前の母上に受け入れてもらうことだと思うんだけど」
「確かに、本当のことを言っても信じてもらえないと思うよ。・・・・・だからって、あんな」
「出来過ぎた話まで作って・・・ってかい?」
「そうだよ。完全に騙されてるよ、お母さん。なんか、そんなのって、いやだ」

「ふうっ、姫君はかなり怒っているんだね」
「私、戦の時のヒノエくんの機略はすごいと思ってる。でも、これは戦じゃないんだよ」

ヒノエは望美の頬に手をやり、顔を上向かせると、真っ直ぐに望美の目を見る。
「望美・・・これは、オレにとっては戦と同じ、真剣勝負なんだって、信じてくれるかな?」
「ヒノエくん・・・・」
「お前がオレと来るなら、オレはお前の父上にも母上にも、本当のことを全部話すよ。
でも・・・・もし・・・」
「でも・・・、何?」
ヒノエはいつになく、少し躊躇した。
「オレが・・・一人で帰るなら、・・・・外国へ行きました・・・って、それですむだろ?
後は何も残らない。お前に迷惑もかからない」
「ヒノエくん・・・そこまで考えて?」

ヒノエはにこっと笑った。
「というわけなんで、姫君も許してくれる?」
こちらの気持ちが緩んだところを、すかさず突いてくる。かなわない。
「あんまりウソの上塗りはしないでね」
「ま、姫君がお望みなら、気をつけるけど。このオレがお前にとって、
サイコーの相手だってこと、まずはわかってもらわないとね」
そう言うとヒノエはウィンクした。




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