・・・・・夏の空・・・・・


7.祝福


鎌倉駅に向かう車内で、望美の疑問にヒノエは一つずつ答えてくれた。

「ハガキっていうのは、この世界の文のことだろ?」
「うん、そうだよ。小さな紙1枚だけで出せる、簡単な手紙」
「で、それを街角の赤い箱に入れるだけで、相手に届くんだよね」
「その通りだけど・・・・」
「じゃ、そのハガキってのには、何が書いてあるんだい?」
「何って、相手の人に伝える言葉だよ。文と同じなんだから」
「もう一つ、大事なこと、忘れてない?」
「・・・・大事な・・・って・・・・あ!」
「そう、気づいたみたいだね」
「住所・・・・」

「たぶん、そこに書いてある場所に、お前の友達は行ったんだと思うよ」
「どうして、そう言えるの?」
「文面は重要じゃない。その子は住所を示したかったんだ。そこに行って欲しいと、お前の友達に頼んだと
考えられないかい?」
「じゃ、なんでわざわざハガキなんか持ち出したの?・・・・って、ああ、まだ読み書きなんてできないよね」
「そういうこと」

「でも、まみちゃんと亜矢ちゃんて、仲よくなさそうだったよ。いつもまみちゃん、しかめっ面してたし」
「ははは、姫君は素直なんだね。でもあの本、読んだんだろ?」
「あの本・・・・て、お砂糖の話?」
「そう、オレのヒント、覚えてる?自分が思っている通りにしか、人は見ることができないって」
「うん、覚えてるよ。あの謎は、普通とは逆の見方をしなくちゃいけなかったんだよね」
「姫君は、まみって子が、父親の結婚をいやがっているって思ってるんだろ?」
「うん・・・・。違うのかな。私だったら、って思うと・・・・あ!これが思いこみ?」
「気づいたかい?ま、この件にはそういう見方もあるってこと。例えばお前はしかめっ面だって言ったけど、
泣きたいのを我慢してても、そんな顔になるんじゃないかい?」
そんな風に考えたことはなかった。あの表情を見て、ずいぶん気むずかしそうな子だな、と思っただけだ。
保育園からの脱走を繰り返すくらいなので、かなりの意地っ張り、とも感じていた。
泣きたいくらいの思いを、5歳の子が抱えていたというの?
望美にはまだピンとこない。


鎌倉駅に着いた。
亜矢が帰ってきたなら、ここで乗り換えるはず。
ヒノエの話は仮定に仮定を重ねた推論の域を出ないのかもしれない。
けれど、待ってみることにした。
亜矢が帰ってくると信じたい。
そして、もっとヒノエと話していたい。

「亜矢ちゃんがもうすぐ帰ってくるって、なぜ言えるの?」
「お前から聞いている限り、外泊してまでどこかへ一人で行けるような子じゃないってことが1つ。
そしてもう1つは、目的地がたぶん、美術館にあったあの絵の場所だからさ」
「ええっ?」
「5歳の子の知っている場所はまだ少ないよ。あの子がこだわるほど大事な場所といったら、
病気の母親と一緒に過ごした、祖父母のいる田舎、と考えるのは不自然じゃない」
「そうか、そのハガキは先生の家に宛てたものだったんだし、それなら差出人が誰なのか、
まみちゃんはお父さんから聞いて知ってるはずだものね」
「オレも同感さ。いつもながら、冴えてるね、姫君は」

昼間の蒸し暑さがうそのように、急に冷たい風が吹いてきた。
夕暮れ時の暗さに、空を覆う黒い雲が加わり、辺りはみるみる暗くなってきた。
慌ただしく、駅の照明が点灯する。
遠くの空が光った。
目の前を行き交う観光帰りの人の足が、心なしか速まる。

「でも、田舎からのハガキっていうのは納得できるけど、あの絵の場所はものすごく
遠い所かもしれないんだよ。もうじき帰る、なんて言えるの?」
ヒノエはいたずらっぽく笑った。
「あの先生の描いた鎌倉の海の絵は、お前も見ただろう?」
「うん。由比ヶ浜や材木座海岸もあったね」
「一目で場所がわかるだけじゃない。あの絵は、すごく正確だった」
「え?どういうことかわからないよ」
「実際にその場所に立った時と、寸分変わらない。何の省略も誇張も無しだ」
「ヒノエくん、それがわかるの?」
「もちろんさ。無駄に鎌倉の海岸を歩き回ってはいないよ。地形は頭に入ってる。
視点を変えて、海から見たら何がどう見えるかもわかるよ」
「えーっ?」
「おや、姫君は疑うのかい?海賊が海に出て迷ったらカッコ悪いと思わない?」
「ヒノエくんはすごいね。私、そんな風に景色を見た事なんてなかったよ」
「姫君にそんな能力があったら、せっかくさらっても、すぐに逃げられてしまうだろ?
だから、お前にはそのままでいてほしいね」

「そうだとするとあの絵も?」
「後ろに大きな湖があっただろう?その向こうに、靄に霞んだ特徴のある山影があった」
「そ、そんな所まで覚えてるの?」
「他の海の絵があんまり興味深かったんで、あの絵も場所が特定できないかって思ってね。
少し力を入れて見ていたんだよ」
「はあ〜っ」
望美はため息をついた。あの絵は、親子に焦点が当たっている。背景にそれほど注意を払う者は多くないだろう。
ましてやあの時は、泣いている由希が前に立っていた。その状況で、よくこれほどのことを見て取ったものだ。

「だからね、ここから日帰りできる距離で、ああいう景色っていうと、だいたい場所は限られてしまうんだよ」
ヒノエは続けた。
「電車のルートで言うとね・・・・」
「ヒノエくん、電車まで詳しいの?」
「時刻表トリックは、推理小説に欠かせないからね」
ヒノエは片眼をつぶって見せた。

「でも、一番わからないのは、なぜ亜矢ちゃんが黙って行ってしまったかってことだよ」
「それは、本人に直に聞いてみるんだね。こっちに歩いてくる、あの子がそうじゃないのかい?」
ヒノエが示したのは、ふわふわと長い髪の少女。

「亜矢ちゃん!!」
「望美ちゃん・・・。デート?」
亜矢は望美の隣にいるヒノエを見て、少し顔を赤らめた。
大きなバッグを肩から提げた亜矢に、悪びれた様子はない。
望美の声が、思わず大きくなる。
「亜矢ちゃん!どこに行ってたの?!由希さんも藤堂先生も、みんな心配して、亜矢ちゃんのこと
ずっと探してたんだよ!」
「え・・・?もしかして、望美ちゃんも?」
無言で大きくうなずく。
「ごめんなさい・・・・心配かけるつもりはなくて・・・・」
「だったら、なんで携帯まで置いてったの?!あれは連絡しないで下さい、って意思表示だよ」
「忘れ・・・・ちゃったの。途中で気がついたけど、戻るとお母さんに見つかっちゃうし」

その時、
「亜矢っ!!」
「宗方さん!」
由希と藤堂先生が駆けつけてきた。
まみも一緒だ。まみの顔は、ぎゅぎゅっとつぶしたようなしかめっ面。

由希が亜矢に駆け寄り、腕をつかんで揺さぶりながら叫ぶ。
「亜矢ったら、みんなに心配かけて!いったい・・・」
その時、藤堂先生の手が由希の肩を抱き寄せた。そして、もう片方の手で亜矢もふわりと包む。
「お帰りなさい、宗方さん・・・みんなで迎えにきましたよ」
由希が口に出しかかった叱責の言葉は、藤堂先生の腕の中で涙と一緒に別の言葉に変わった。
「・・・よかった・・・あなたが帰ってくれて」

真ん中に押し込まれたまみは、亜矢をにらんでいる・・・・ように見える。
亜矢はまみに向かってにっこりした。
「約束通り、行ってきたよ」
まみの目が、びっくりしたように大きくなる。
「本当?」
「うん、本当だよ。ほら・・・・」

亜矢はバッグからスケッチブックを出して、開いて見せた。
そこに透き通った水彩で描かれていたのは、あの絵と同じ場所。
山を背に、光を浴びて立つ大きな木。
でも、あの絵と違うのは、木に花が咲いていないこと。
そして、木の下にいるのは笑顔の人々。
光に包まれて笑うまみ、藤堂先生、由希、そして亜矢。

それは、幸福を願う祝福と祈りの絵だった。

「あはは・・・景色だけじゃ淋しいかなって、みんなと・・・私まで描いちゃった・・・」
亜矢が恥ずかしそうに言う。
まみの目からぽろぽろと涙がこぼれた。
「お姉ちゃん!」
まみは亜矢に抱きついた。

その時、わかった。
ヒノエがどこに行っていたのかが。
簡単すぎる答え。
なぜ、今まで考えもしなかったんだろう?

「行こうか?姫君。それとも、さっきの答えがまだ聞きたい?」
「ううん。亜矢ちゃんが帰ってきたんだもの。これ以上私達が邪魔しちゃ悪いよね。
話なら、また学校でできるから」
「さすがオレの姫君。引き際を心得てるってね」

ぽつりぽつりと大粒の雨が降り出した。
由希達に別れを告げ、望美はヒノエと再び車上の人となる。
今日は何回この電車に乗るんだろう。
ふと、そんなことを考える。

でも、今は隣にヒノエくんがいる。
それだけで、望美はうれしかった。




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