・・・・・夏の空・・・・・


エピローグ・夏の空


翌日、雨雲は去り、朝から日射しがまぶしい。
テレビでは気象予報士が、今日にも関東は梅雨明けか、と話していた。

少し早めに学校に着いた。
教室に入ると、亜矢ももう来ている。望美を見ると、にこっと笑った。
「望美ちゃん、昨日はありがとう」
手には、あのスケッチブック。
「これ、油彩で仕上げようと思ってるの」
「じゃあ、また美術部に?」
「うん。藤堂先生も許してくれたし」
「当たり前だよ。それに、私もうれしいな。その絵、すごくいいと思う。仕上がったら見せてね」
「ありがとう!約束するね」

約束、という言葉で思い出した。
「亜矢ちゃん、言いづらかったら無理しないでほしいんだけど・・・・」
気になっていた昨日の亜矢の行動の理由を、望美は尋ねた。
まみとの約束とは、何だったのか?

「お姉ちゃんから聞いたんだけど、望美ちゃんにはいっぱい心配かけちゃったみたい。
だから、きちんと話さなくちゃって、思ってたんだ」

亜矢の話、それはおおよそ、次のようなことだった。

事の始まりは、昨日でも一昨日でもなく、藤堂先生と由希の結婚に、由希の両親が
強硬に反対した時からだった。

「見えないけれど、いつもそばにいてくれるお母さん」だけではなく、
「手をつないでくれるお母さん」が一緒にいてくれるようになる!
まみは大喜びしていたのだが・・・・・。

いつまでたっても、新しいおじいちゃんやおばあちゃんに会えない。
手をつないでくれる、きれいで優しいお母さんも、お家に来てくれない。
そこでまみは行動を起こした。

「おばちゃん」がお父さんの学校にいることを聞いた。
だったらおばちゃんからも、おじいちゃんとおばあちゃんに頼んでもらおう。
まみと会って下さい、お母さんがまみの家に来ることを許して下さい、と。

まみが知っていたのは、亜矢の髪が長いということだけ。
それで、望美に「わたしのおばちゃん?」と話しかけたのだ。

「あれ?ちょっと待ってよ。昨日は亜矢ちゃんのこと・・・」
「あれはね、私から頼んだんだ。約束を守るから、お姉ちゃんて呼んでねって」
「あー、亜矢ちゃんて、けっこうズルいね」
「ふふふっ、そうかな?」

結局まみが亜矢と会えたのは、藤堂先生に連れられて由希の両親に挨拶に行った時だった。

その時、別室で亜矢と待っていたまみは、父を罵倒する言葉を聞いてしまったのだ。
「子持ちの中年男に、大事な娘はやれない!」と。

幼くても、いや、幼いからこそ、自分が受け入れられているかどうかに敏感だ。
亜矢は、まみの凍り付いたような表情から、まみがその意味を理解したことを知った。
あわてていろいろと慰めたり、別のことに興味をひこうとしたが、無駄だった。
鎌倉駅でこの疑問を口にしなくてよかったと、望美は心から思う。

そして翌日、あの雨の日、まみは亜矢に会いに来た。
おばちゃんが自分の味方だということがわかったので、助けを求めに来たのだ。
あの時のしかめっ面は、ヒノエの言う通り、泣き出したいのをこらえていたものだった。

「まみを、このおばあちゃんのいえにつれていって」
そう言って、差し出したハガキは、まみの亡母の実家からの手紙だった。
「まみはおばあちゃんのうちのこになるの」
「どうしてなの?まみちゃん」
「まみがいないとおとうさんはおかあさんといられるの」

もちろん、まみの言う通りにするわけにはいかない。
だが、まみの幼いけれど一生懸命な思いは大切にしてあげたい。

そこで亜矢は提案した。
自分がまず行って、まみのことをお願いしてくるからと。
まみはごねたが、結局は「明日」と言う言葉で折れた。
幼い子に「いつか」は通用しない。だから「明日」と約束したのだ。

そのような事情なので、両親はもちろん、藤堂先生にも由希にも言いづらい。
でも夕方には帰るのだからと思い、亜矢は黙って家を出た。

まみの決意はかなり固く、ハガキのことを尋ねる藤堂先生に、
とうとう一言もしゃべらなかったそうだ。
結局家中のハガキを探し回り、最後に由希が本棚のアルバムに気づいた。
そこからハガキ剥がされていることから、やっと亜矢の行き先の見当がつき、
鎌倉駅へ駆けつけての再会となったのだった。

まみの気持ちは、望美の想像していたような新しい母への反発ではなかった。
小さな心の中にあったのは、家族の幸福への願いだったのだ。

「ヒノエくんの言う通りだったな」
「え?今何て言ったの?」
「あ、何でもないよ」
「ヒノエくんって聞こえたよ。昨日の人でしょ?すごくカッコいいよね。いいなあ、望美」
心なしか、亜矢が明るく、そして落ち着いて見える。
昨日のことは、亜矢にとっても一つの転機だったのだろうか。

始業の鐘が鳴った。
今日は終業式。体育館に集合だ。
長い休みが始まる。
が、3年生にとっては勝負の夏。ざわめく1,2年生とは違い、浮かれ騒ぐ者は少ない。
望美は最後まで姿勢を崩さず、おもしろいとはいえない話を黙って聞いていた。

ホームルームで、休業中の諸注意を受け成績表をもらうと、望美は急いで家に帰った。
着替えてすぐにまた家を飛び出す。
「まあ、せわしないこと・・・」

あきれ顔の母の声を背に走り出し、角を曲がると、思いっきり誰かと・・・・・・
ぶつかりそうになり、ふんわりと抱き留められる。
「そんなに急いで、誰かと逢瀬の約束でもしているのかい?」
「あ、ごめん・・・」
望美はまたもや平謝りだ。ヒノエの反射神経のおかげでぶつからずにすんだが・・・。

「買い物につきあわせるだけじゃ悪いしね。今日は姫君の行きたいところ、どこにでもお供するよ」
「本当?」
「ああ、もちろん、どこだっていいよ。お前とだったら、海の彼方でも、空の果てまでも・・・・ね」


二人は若宮大路を南に下り海岸に出た。
少し風が強い。
靴を脱いで、裸足で歩いた。
波打ち際に向かって、二人の足跡が続く。

「やっぱり、海はいいね」
海の真向かいにヒノエ。
その広さに負けないくらい、大きくて、深い人。

「ヒノエくん」
望美の声がいつもと違うことに、ヒノエは気づいた。
ゆっくりと振り返る。
「聞かせてくれるんだね。お前の答え」

「うん。私は・・・・・」

海の気が吹きつける。
波頭が沖の彼方まで光り、きらめく。
空は澄みきった、まぶしい青。
どこまでも青く続く、夏の空。







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[6.探し続けて] [7.祝福] [8.明日]

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あとがき

夏はヒノエくんの季節。ちょうど今の時期とシンクロさせるべく、短期連載に挑んでみました。
結果は・・・・・、ご拝読頂いた通りです。

特に断りも入れませんでしたが、これは「迷宮」エンド後を前提にした話です。
「迷宮」では九郎さん、ヒノエくん、景時さんの3人は、エンディングの後どうするの?
という疑問がそのままになっています。
これは、各プレイヤーのご想像のままに、ということなのでしょうね(にんまり)。
妄想御随意(←拡大解釈)ということなら遠慮無く、というわけで、こんなん書きました。

で、終わり方も「迷宮」にならって・・・・がふっ。

話はきっちりと最後まで書ききるべき、と真宮は考えます。
一方で、読む人はこの先にどんなことを想像してくれるのかな、とも思います。
その狭間で、少し揺れ動きました。

藤堂×宗像宗方の場面、姉妹の間の複雑な思い、由希の高校時代の話、
ヒノエが通った熊野路のルートや現地での活躍ぶり、この話の後日談、等々、
2話分以上、バッサリと削りました。
結果、すっきりはしましたが、望美の迷いや決断と重なる部分が
曖昧になったのは否めません。ははは・・・・・。

ミステリに出てくるお茶のシーンなど、趣味に走った部分も多くありますが、
あとがきで語るのにはそぐわないですね。いずれ、またの機会にぜひ、おつきあい下さいませ。

全体に、ちょっとリアルな物語になりましたので、最後に一言、お決まりのフレーズを入れておきます。

この物語はフィクションであり、実在する人物、団体等とは、一切関係ありません。