・・・・・夏の空・・・・・


5.失踪


「ヒノエくん・・・どこに行っちゃたの・・・?」

あれから数日がたった。ヒノエは姿を消したままだ。
今までにも時折、ヒノエがふらりとどこかへ出掛けることはあった。
しかし、2,3日もすれば、涼しい顔をして舞い戻ってきたのだ。
熊野別当の神出鬼没ぶりは、異世界にいた時から、よく承知している望美だ。
けれど、こんなに長く所在不明になったことはない。
ヒノエの身に何か起こったのだろうか。いくら馴染んでいるとはいえ、こちらの世界の 生まれではないのだ。
それとも・・・・。

「私が・・・はっきりしないから・・・それで」
ぼんやりと朝食のトーストを口に運びながら考える。
ここ何日も望美をさいなむ、胸を締め付けられるような思い。
「ヒノエくん・・・帰っちゃったのかな」

テレビでは朝のニュースが流れている。
降り続く雨の話題。
「四国、近畿地方にかけて、引き続き警報が出されている地域があります。
道路が寸断されて孤立した地域は・・・云々」

鎌倉でもしばらく太陽を見ない日が続いている。
望美の心も重く、どんよりと沈んでいた。

「早く行かないと遅刻するわよ。今日から期末試験でしょ」
望美のスローペースに、たまらず母が声をかける。
「あ、ああ、そうだね。行ってきま〜す」
必死に元気な声を出す。

けれど、カラ元気は玄関を出たとたんにしぼんでしまった。
「はぁ〜・・・」
大きなため息をつきながら歩き出すと、
「なんだぁ?朝から不景気な顔して」
隣家から出てきた将臣とはち合わせした。

「ああ、将臣くん、おはよう」どよどよどよ・・・
「そのシケたツラは・・・ヒノエのことか?」
「うん・・・・」
「心配ねぇよ。アイツのことだ。そのうち『やあ、姫君』とか言って、ひょっこり帰ってくるって」
「はは・・・・そう・・・・だよね」
「何だ?気になることでもあんのか?」
「ううん、何でもない。・・・今までも、時々、旅に出たりしてたんだ。だから・・・今度も、きっと、そうだよね」

「望美、まさかお前・・・・ヒノエが黙って帰っちまったとか、思ってんじゃねーだろな?」
「・・・・っ!!」
「馬鹿なこと考えんじゃねーよ!!」
将臣は大声で言った。道行く人が驚いて振り返る。
「・・・・将臣くん・・・・」
「アイツがそんなこと、するわけねーだろ!お前、ヒノエを信じられねえのか?」
「あ・・・・・」

将臣の言葉が突き刺さる。
そうだ。ヒノエくんは、そんな人じゃない。
それは私が一番、知っているはずなのに・・・。
こんなにだらしないことじゃだめだ!
ヒノエくんはきっと帰ってくる。
信じて・・・・・待っていよう!

けれど・・・
霧の中を歩いているような日が過ぎていった。
試験がうまくできたのか、できなかったのか、それすらはっきりとはわからない。
試験期間は終わり、夏休み前の残りわずかの授業が始まる。
内容はもっぱら、試験の答案の返却と解答の説明だ。

雨の上がった蒸し暑い日、授業中にぼんやりと窓の外に目をやると、
校門の所に藤堂先生の姿が見えた。小さな子の手を引いている。
まみちゃんだ。
まみは、しぶしぶと歩いている。また保育園を抜け出したのだろうか。
門の前に女の人が待っていた。保育園の先生が迎えに来たらしい。
藤堂先生からまみちゃんを預かると、車に乗せて走り去った。
先生はひょろ長い身体を折って、何度もぺこぺこと頭を下げている。
走っていく車にまでお辞儀をした。

「あんなに何度も頭下げることないのにね・・・・」
休み時間に亜矢がめずらしく話しかけてきた。
「亜矢ちゃんも見てたんだ」
「うん」
「また、まみちゃん、来たんだね」
「うん」
話しかけてきた割には、口が重い。
「亜矢ちゃんに会いに来たのかな」
「わかんない」
「まみちゃんとはまだ会ってないの?」
「うん。どうせ、今晩会えるし」
「え、まみちゃんと約束したの?」

亜矢は平板な声で言った。
「先生が、まみちゃんを連れて家に挨拶に来るんだって」
「へえ、それじゃ、お父さんもお母さんも許してくれたんだね」
「・・・・・」
「違うの?」
「うん。押しかけ挨拶。お父さん達、図々しいって怒ってる」
「そっか」
押しかけても図々しくても、一緒にいてくれるなら、いいじゃない!
望美はそう言いたかった。
「望美ちゃん、どうしたの?」
「え、ああ、なんでもない」
「ええと、何かこの頃元気ないね・・・」
「あ、亜矢ちゃん、もしかして私のこと、心配してくれてるの?」
「あ、その、私じゃあまり頼りにならない・・・と思うけど」
「ん!ありがと!私、大丈夫だよ」
「なら、いいんだけど・・・・」

ぽわんとした亜矢ちゃんにまで気づかれているなんて、
私、ずいぶん落ち込んでるように見えるんだろうな・・・。
いけない、いけない!

望美は気を取り直す。
笑ってお帰りなさいって言うんだ。
ヒノエくん・・・大好きなヒノエくん・・・・
早く・・・・・・帰ってきて。

翌日は再び雨。
カラ元気の望美は、笑い顔を貼り付けて登校する。

「ねえ、望美、例のカレシとは別れたの?」
教室に入るなり、女の子のグループにつかまった。
口さがない噂が広まっているのは知っていたが・・・・・。

顔に貼り付けた笑顔をむしり取る。
じろっ!!
殺気のこもった望美の一睨みで女の子達は黙った。
というより、びびった。
「の、望美・・・・恐っ」
「ごめんね、ごめんね・・・」

頭に来て、つい戦場に立つ時の気を発してしまった。
女子相手に悪かったと思うが、
「私だって、女の子なんだから!」
心の中で言い訳する。

そういえば昨日、藤堂先生が由希の両親と対面したはず。
うまく和解できたのだろうか。
しかし、面と向かって聞ける話題ではない。
亜矢の表情を窺うと、目が腫れぼったくて、明らかに不機嫌そうだ。

修羅場だったのだろうか。
小さい子の目の前で・・・。

今日はヒノエくん、帰ってくるかな・・・・。
一日に何度もつぶやき、否定で終わるこの問いを、何日繰り返していることだろう。

放課後、望美は担任から教材運びの手伝いを頼まれた。
男子の姿が見えなかったので、「じゃ、春日さん」と名指しされた。
「うう・・・私ってそんなに力持ちに見えるんだろうか」
あながち、間違いでもないかもしれない、などと考えながら、望美は
大きな段ボール箱をかかえて、ふらつきながら歩いていた。
ちょうど渡り廊下にさしかかった時、

・・・・・・
まみがいる。
また・・・・・
ちょっと、この子、いいかげんに・・・・

「おばちゃん、どこ?」(またちがうおばさんだ)
「亜矢ちゃんのこと?」(昨日、会ったんじゃないの?)
「うん」(きまってるじゃない。へんなおばさん)
「ちょっと待っててくれる?呼んでくるから」(藤堂先生、何とかして!)
「うん」(はやくしてよ)

望美がそろそろと回れ右をしようとした時、亜矢が来た。

「おばちゃん!」
まみがすごいしかめっつらで叫ぶ。
「なんで・・・・・」
亜矢も眉をひそめてまみを見る。

ややあって、亜矢は言った。
「藤堂先生の所には、私が連れて行くから、望美ちゃんは心配しなくていいよ」
「うん、わかった。じゃ、お願いね」
望美はそのまま荷物運びを続けることにした。

校舎に入る時に振り返ると、亜矢はまみと向かい合ったまま動かない。
まみが、何かを差し出した。
亜矢はおずおずと手を伸ばす。
雨がザーザーと音を立てて降っている。
二人の声は聞き取れない。

望美が見たのは、そこまでだった。


翌日は休み。望美は昼近くなってから起きだした。
ヒノエと美術館に行ったのが、遠い日のように思える。

空気が重く湿った、蒸し暑い日だ。
参考書と問題集を取り出して勉強を始めるが、身が入らない。
ほどなく、キッチンから母の声がした。昼食ができたらしい。
だが、食欲がわかない。ジュースだけ飲んで、食卓を離れた。

「どうしたの、望美?悩み事でもあるの?」
「ううん、何でもない」
「待って、もう少し話を・・・・・」
母の声を振り切るように、自室に戻る。
母に・・・・ヒノエのことを聞かれるのが恐かった。
「なにをやってるんだろ、私・・・・」
誰か・・・・大人に相談すべきなのだろうか。
どうしたらいいんだろう。
わからない・・・・。

「何処に行くの?」
「ちょっと出掛けるだけ」
じっとしていられなくなって、家を出る。

「私、最低かも・・・・。これじゃ、いけないよね」
そう思いながらも、気がつくと、いつの間にかヒノエのマンションの前に来ていた。
ヒノエの部屋の窓を見上げても、閉まったまま。
何度も来ては、そのたびに悲しくなる。繰り返し、自分を痛めつけているような気分だ。

その時、携帯が鳴った。
一瞬もしかして!と思い、すぐにその希望は潰える。
ヒノエだけは、電話もメールも特別な着信音。間違えることはない。

着信表示は「宗方亜矢」。
だが、かけてきたのは、
「春日さん?覚えているかしら?私、宗方由希」
早口で、ひどく慌てているようだ。
「はい。覚えています」
美術館に行った日のことを思い出し、望美の胸がズキンとする。
しかし、その思いは、由希の次の一言で吹き飛んだ。

「亜矢が・・・亜矢がいないの。・・・・・どこへ行ったか、何でもいいの、心当たりはない?」

昨日、最後に見た光景が蘇る。
雨の渡り廊下。
まみと向き合う亜矢。

「直接会って、お話します。私も一緒に探させて下さい!」

二言三言やりとりをすると、望美は駆けだした。

昨日、二人は何か話していた。
そしてまみは、亜矢に何かを渡した。いや、亜矢が手を伸ばしたところを見ただけだが。
あれは何だったんだろう。

関係ないことかもしれない。
でも、可能性があるなら、捨てておくことはできない。

まみの差し出した物・・・・。
あれは何だったか?
走りながら望美は懸命に記憶を探る。




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