・・・大人の時間・番外編・・・


冬休みの終わり



その人は、クリスマスの夜、ひっそりと教会の前に佇んでいた。
ステンドグラスから漏れ出る灯りの下、
その人の周囲だけが、ほんのりと明るく見えた。
思わず足を止めて、息も止めた。

友達が一緒じゃなくてよかったと思う。
言葉を失くした瞬間だったから。

部活のクリスマスパーティー
――彼女のいない男ばかりのバカ騒ぎの帰りだった。

雪の降り出しそうな寒さに身を縮めながら、
人通りの途絶えた道で、
どれくらいの間立ち止まっていたんだろう。

目を離したら、消えてしまうんじゃないか……。
そんな錯覚にとらわれるくらい、
その人の白い横顔は、とても静かで、どこか悲しげだった。

地味なコートを着ているが、
同い年…くらいだろうか。
でも、高校生にはどうしても思えない。

こんな夜に、あんなにきれいな人が一人じゃ…

そう思った時、教会の扉が開いてもう一人、女の子が出てきた。

あれ?
とたんに現実に引き戻される。
去年、同じクラスだった春日望美だ。

ぼうっと突っ立っているこちらの視線に気づくこともなく、
その人と春日は何やら話しながら、駅に向かって行ってしまった。

友達同士なのか?

同じ学校じゃないことは確かだ。
あんな人がいたら、男どもが大騒ぎするに決まってる。

だとすると春日の親戚だろうか。
美人だってところ以外は、ちっとも似てないが。

とても気になる。
でも、わざわざ聞けるほど春日とは親しくない。

3学期が始まって学校で会ったら、それとなく聞いてみよう。

密かに、そう心に決めた。


だから年が明けて、小町通りでその人を見た時は、
わけもなく嬉しくなった。

やり残した宿題の調べ物をするのに、図書館まで行く途中だった。

三が日を過ぎても、鎌倉駅の周りは初詣の人でごった返している。
そこを突っ切るのは面倒だったが、来てよかった。

偶然て、あるもんなんだな。
思わず、顔がほころんだ。

人の頭の間に見え隠れするその人を遠目に見ながら、
今日も春日と一緒なのか、と考える。
一人だったら、話しかけてみようか、とも考える。

でも、急に声をかけたら驚くだろうな……。
こっちだってナンパどころか、
知らない女の子に声をかけたこともないし……。

どっちつかずの気持ちのまま、歩く。
少しでもいい、話ができたらと思うのに、踏ん切れない。

なるべく近くを通ろう――
それだけ思って人波をかき分けながらいくと、
その人が困っている様子なのに気づいた。

手を胸の前に組んで、少し背伸びをしては
あちこちを見回している。

誰かを探しているのか?
もしかすると……春日のヤツ…。

心細そうなその人を、放っておくなんてできるか!

だが、
「あの……」
声をかけたとたん、後悔した。
怪訝そうな表情を浮かべたその顔を間近で見たとたん、
何を言えばいいのか、分からなくなってしまったから。

でもここで黙ってしまったら、もっとおかしい。
ごくんとつばを飲み込んで、やっと声を出す。

「だ…誰かを探してるんですか?」

その人は、ゆっくりとまばたきすると、小さく頷いた。
「ええ、望美……友達と一緒に来たのだけれど、はぐれてしまって」

穏やかで優しい声だ。
ざわついていた心が、すーっと静まっていく。

それにしても、望美……って、
やっぱり、そうか。

「望美っていうと…、もしかして春日さんのことかな?」
「まあ、望美を知っているの?」
嬉しそうにきらきら光る瞳に見つめられて、顔がかっと火照るのが分かる。
いきなり赤くなるなんて、変なやつって、思われてないだろうか。
精一杯、普通っぽい声で答える。

「同じ高校なんです。1年の時、同じクラスで」
「ああ、くらすめいとなのね」

不思議な感じだ。
この人が言うと、「クラスメイト」が外国語みたいに聞こえる。

「あの、あなたは同じ高校…じゃないですよね」
せっかくだ。一押ししてみる。

笑顔が返ってきた。
「ええ、望美と一緒に学校に行けたら楽しかったと思うけれど」
「お家は、鎌倉じゃないんですか?」

その人は一瞬、当惑した表情になり、目を伏せると小さく言った。
「私……明日にはもう、帰るの」

何か悪いことでも聞いてしまったんだろうか。

「あの…すみま」
「朔!ここにいたの!!」

その場に割り込んできた春日の声で、
お詫びの言葉が尻切れトンボになってしまった。
せっかくのチャンスだから、自己紹介もしておこうと思ったのに。

でも、この人の名前が分かった。
「さく」っていうのか。
どんな字を書くんだろう…。

「望美!」
「ごめんね、心細かったでしょう」

朔は、かぶりを振った。
「大丈夫よ。この方が助けてくれたの」
「い…いや、そんな大げさなことは…」
照れくさくて、頭をボリボリかいてしまう。

が、ここで初めて、春日はこっちの存在に気づいたようだ。
天然なのは、相変わらずだなあ。

「あれ?ええと…そういえば、確か1年の時に…」
完全に、名前を忘れられてる…。
部活でも、そこそこ活躍してたのにな。
1年生でレギュラーで……
…って、まあ、いいや。

「無事に会えてよかったな。
友達ほっぽっとくんじゃないぞ、春日」
「うん」

「じゃ、失礼します」
軽く頭を下げて、歩き出そうとした時、
その人――朔は、思いがけないことを言った。
「足…早くよくなるといいわね」

「どうして……」
無意識に、険しい顔になっていたんだろう。
朔の顔が曇った。

「あの…違っていたらごめんなさい。
その歩き方、左足をかばっているのではないかしら」

「気にしないで下さい。その通りです…」

こんなやりとりをものともせずに、
「じゃあね、ありがとう」
こっちに向かってにっこり笑うと、
春日は朔と手をつないで歩き出した。

切り替えの早さが、うらやましい。
二人の後ろ姿を、見送る。

明日……八幡宮に……

そんな言葉が聞こえてくる。

明日、帰る前に八幡宮に?
その後、鎌倉駅に行くんだろうか。

だったら……。

歩き出そうとして、無意識に一歩目をそっと踏み出していることに気づく。

朔が言っていたのは、これか。

もしかしたら、ずっと年上なのかもしれないな。
医療関係の仕事をしているとか……。

何だか、落ち着かない。
人波を突っ切って、やっと立ち止まる。

今日は、図書館に行くはずだった。

でも……。

この足、本気で治さないといけないのかもな。

怪我をレギュラー落ちの言い訳になんてできないことは、
自分でもよく分かってる。
すぐに治ると高をくくって、
長びかせてしまったのは、自分の責任だ。

親から渡されている保険証と診察券は、ずっとカバンに入れっぱなしだ。
財布の中身を確かめると、回れ右した。

狭い路地を抜けて、子供の頃から世話になっている古い診療所に向かう。

我ながら単純だと思う……。

だけど、
早くよくなるといい…って
あんな風に言われたら……。

部で活躍してたのが去年だけ、なんて、カッコ悪い。

もしかして、また次の冬、朔は来るかもしれないから。


明日は、朔を見送ろう。

春日がいてもいい。
幾つ年上だって、かまわない。
ちゃんと自己紹介して、朔の名字も、連絡先も聞こう。




でも、次の日―――

春日と一緒に八幡宮に入っていく朔の後ろ姿を見たのが、
最後になった。

二人の周りには、他にもぞろぞろと男達が大勢。
その中で知ったやつといえば有川兄弟くらいのものだ。
あいつらの家が、春日と隣同士だっていうのは有名な話だから、
別に驚きはしないが、その他大勢はいったい何なんだ。

でも、いいさ。
お参りがすんだら、駅に行くんだろうから、その時に……。

とても目立つ「その他大勢」を目印に、池の前で待つ。
人のひしめく段葛から目を上げると、空がとても青い。

だが、参道を戻ってきたのは春日と、有川兄弟だけだった。

「あ…」
春日もこっちに気づいたようだ。
「よう、初詣か?」
有川が声をかけてきた。
何だか老けたように見えるが、そんなことどうでもいい。
弟の方は、いつも通り黙ったまま、眼鏡の奥からこっちを見るだけだ。

でも朔は……

「もう…行ったのか?」
挨拶抜き、主語も抜きで、春日に尋ねる。
視線が、合った。
春日の眼が、赤い。

「うん…。朔は……帰ったよ」

無理して笑ってるじゃないか。
春日の顔を見て、それ以上、何も聞けなくなった。

こいつが、こんな顔をするなんて……

理屈じゃなく、分かった。

どんな事情があるか知らないが、
朔とは、二度と会えないんだ。

春日は……
大事な友達と、別れたばかりなんだ。

こいつの方が、きっとつらいに違いない。

「あ、あのね…」
それでも何か言おうとする春日に、
有川弟が唐突に話しかけた。

「先輩、久しぶりに材木座まで行ってみませんか」
「お、いいな。で、その後はカレーでも食って帰ろうぜ」
「何だよ兄さん、またカレーか」
「ラーメンでもいいぞ、じゃあな」

こっちに向かって、ひょいと片手を上げると
春日を間に挟んで、有川兄弟は振り返りもせず行ってしまった。

二人のナイス・アシストに感謝だ。
きっとこっちも、情けない顔してたに違いない。
今日の所は、ありがたく借りにしとく。



予定が少し、変わった。

駅前の人混みを抜けて、図書館まで歩く。
定期は持っているが、たった一駅だ。

不思議と足の痛みはない。
胸が少し、つきつきするだけだ。

日射しがまぶしい。
冬だってのに、あったかくて、あっけらかんと晴れた日だ。

やり残した宿題がある。

今日こそ、終わらせよう。



      




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あとがき

オリキャラ視点で長い話になりました。

書いては捨て、の連続で、
実際書いたのは本文の倍以上(苦笑)。

ちょっぴり切ない気分を感じて頂けましたなら、幸いです。


2008.9.3 筆