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・・・大人の時間・・・


「る・いーだ」ふたたび


夕暮れ時の鎌倉駅。

雑踏の中でもひときわ目立つ、長身美形の三人組が、
これまた人目を引かずにおかない美しい若者と、ばったり会った。
近頃の若い者には珍しく、凛々しくも涼やかな雰囲気の青年だ。

「九郎、このような所で会うとは思いませんでしたよ」
「…っ!弁慶か。あ…、先生に景時も」

九郎はひどく驚いた様子だ。

「どうした、九郎。何か考えこんでいるようだったが」
「い、いいえ。それより、先生達は…ええと確か…あきは…?」
「秋ハ原は、楽しかったですよ。ねえ、リズ先生」
「……うむ」

九郎の後ろをきょろきょろ見回していた景時が言った。
「あれ〜、みんなは?」
「ああ、みんなはもう将臣の家に戻っている。
からおけの、さあびすたいむとかいうのが終わったそうだ」

「それで、九郎は一人で出掛けてきたんですか?」
「そうだ…」
「どこに行ったのか、聞いてもよいか、九郎」
「は、はい…。由居の若宮と八幡宮を参拝して、兄上の…その…」
九郎は少しうつむいて、言葉を途切らせた。

ちらり、と三人は目配せを交わした。
景時が頷いて、いつもの明るい調子で九郎に言う。

「ねえ、これからオレ達、行きつけの店に行くんだけど、
一緒にどうかな」

九郎は、きょとんとして顔を上げた。
「行きつけの店とは、何のことだ?」
「よい雰囲気の中で酒を楽しめる店があるんですよ」
「酒盛りをするのか?」
「宴の場というより、静かな時間を過ごす場と言う方が近いかもしれぬ」
「リズ先生が言うと、なんだかすごく大人って感じだよね」

「どうですか、九郎。
せっかくこうして、地の四人が揃ったんですから」

九郎は、はっとしたように目を見開くと、三人を順番に見た。
そして「よろしく頼む」
と言うなり、深々と頭を下げる。

「あ〜、そんなに大げさな所じゃないから気を遣わないでね」
「じゃあ、行きましょうか」



繁華な表通りから一筋入った、小さな路地の突き当たり。
階段を下りた先の、重そうな木の扉を開く。

以前来た時と同じように、ピアノの生演奏が静かに流れている。
演奏者は、頭痛歯痛腰痛腹痛から回復した中年男性だ。
カウンターの中から、マスターが会釈した。

景時が一言二言話しかけると、マスターは頷き、奥の座席を示す。
大きな植木と柱の陰になり、他からは見えにくい場所だ。
そこを指示したマスターの深謀遠慮は、推して知るべしである。

しかし、それは三人の考えとうまく噛み合った。
「よい席が取れましたね」
「ここなら、落ち着いて話ができるよね」
「ますたあは、気配りのできる男なのだな」

マスターが銀のトレーで酒を運んできた。
「『る・いーだ』にようこそ。
初めての方には、最初の1杯は店からのおごりです」
そう言って、九郎の前に皆と同じものを置く。

「そうか、礼を言う」
九郎の古めかしい言い方に、マスターは少し驚いたように眉を上げた。

弁慶はグラスを取り上げると、マスターが何か言う前に話しかける。
「ぎむれっと…ですね」
「その通りです。よくお分かりになりましたね、武蔵様」
「ふふっ、偶然です」
「武蔵…?おい、べん…」
「まあまあまあ、いいじゃない。
とにかく、楽しくやろうよ。せっかくこうして集まったんだし」

「では、ごゆっくり」
マスターはそう言うと、カウンターに戻っていった。

「本当に、よい酒だな」
グラスを口に運び、リズヴァーンが呟く。
「かくてるって、作る人の腕がよくないとね〜」
「景時は味にはうるさいですね」
「では…頂こう」
一口飲んだ九郎の頬が、ほんのりと染まった。

「どう、気に入った?」
「九郎には、強すぎますか?」
「な、何を言っている!」
くぴっ!

「九郎、この酒は、ますたあが腕を振るって作ったものだ。
落ち着いて味わってこそ、その心に応えることができる」
「す、すみません、先生」
ちびり…。

飲むたびに、九郎の頬も目元も桜色になっていく。
しかし、酔うことはできないようだ。
時折漏らすため息で、言葉を探っているのだと分かる。
三人は、黙ってグラスを重ねていく。

「弁慶、聞きたいことがある」
突然、意を決したように、九郎が切り出した。
「改まって、何でしょう?」
弁慶は笑顔を向ける。

「俺達はもうすぐ、元の世界に帰る。お前はその後、どうするつもりだ?」
笑顔を崩さぬまま、弁慶は即答した。
「まだ分かりません」

「……っ…!確かに…そうかもしれないが、和議が結ばれ、戦は終わったんだ。
何かやりたいことがあるだろう」
「薬師として、五条橋のたもとで暮らす…とか?」
「そ、そうだ!それだ!」
「ふふっ、それもいいかもしれませんね」
「俺も、いいと思う」

熱心に頷くと、九郎はリズヴァーンに向き直った。

「……先生は…鞍馬の山に戻られるのですか?
それとも、旅に…」
「…………」
リズヴァーンは、黙したまま九郎の視線を受け止めた。
「す、すみません。出過ぎたことを伺いました」
「謝ることはない。先々を考えておくのは、大切なことだ。
だが、答えられぬこともある」

「う〜ん、帰ってからのことか〜。
戦がなくなれば、軍奉行もお払い箱かな」

「景時!」
「わっ!な、何?いきなり大声出して。
オレ、何か悪いこと言った?」
「い、いや、すまん…。ただ…」
「ただ…何?」

九郎は、景時の眼を見据えた。

「そ、そんな恐い顔しないでよ〜」
「景時、頼みがある」
「は、はひ〜。何かな?」少し裏返った声で、景時は答えた。
「オレにできることなら何でも言ってよ」

「俺がこの先、道に外れたことをしようとしたなら、
兵の前だろうとかまわん、皆と一緒に俺を止めてくれ。
それでも俺が聞く耳持たぬようなら、躊躇わずに、俺を斬れ。
いや、斬ってくれ、この通りだ」
九郎はテーブルに伏さんばかりに、頭を下げた。

景時は両手を上げて身を退いた。
「や、やだな〜。オレがそんなこと、できるはずないでしょ」
しかし、九郎は顔を伏せたまま歯を食いしばり、言葉を続ける。
「何があろうとも、俺は…お前を信じている」

景時と弁慶が眼を合わせた時、リズヴァーンがすっと席を立った。
「九郎のぐらすが、空のようだ」

「あ、先生に、そのような…」
九郎は慌てて顔を上げたが、リズヴァーンはそれを軽く制した。
ややあって戻ってくると、グラスを九郎に手渡す。

「きれいな色ですね」
気まずい沈黙を破って、弁慶が口を開く。
「これは、オレも飲んだことないよ」
「冷えている内に飲みきった方がおいしいと、ますたあが言っていた」

「はい、ありがとうございます先生」

くぴっ、ごくごく…。

九郎は酒を飲み干すと、カタン、とテーブルにグラスを置いた。
その眼が、とろんとしている。
次いで瞼が閉じ、つううっと身体が傾いて、壁に寄りかかったと見る間に

すうすう……すやすや……

九郎は眠っていた。

三人が一斉に、ため息をつく。

「いや〜、一時はどうなることかと焦っちゃったなあ」
「景時、九郎を眠らせるにしても、ここで銃を取り出すのはまずかろう」
「ええっ、気がついてたんですか」
「手の動きで分かった」

「ふふっ、リズ先生はなかなかの策士ですね。
口当たりがよくて、しかもかなり強いものを作ってもらうとは」
「一服盛るのが、遅すぎたな弁慶」
弁慶は屈託無く笑った。
「九郎はいい飲みっぷりでしたからね。
薬を入れようとしたら、もうぐらすは空でした。
でも結局、九郎にあれ以上言わせないためには、
リズ先生の方法が一番無難だった、ということかな」
「下手をすれば、世話になっている有川家や神子に迷惑をかけてしまう。
それだけは避けねばならぬ」
「そ、そうだよね。誰が見てるか分からないものね〜」

再び、沈黙が下りた。
低い談笑の声、控えめに流れるピアノの音が通り過ぎていく。


弁慶が、ぽつりと言った。
「どうやら九郎も、この世界の歴史を知ってしまったようですね」

「オレ達の世界とは違うといっても、やっぱり辛いよね、九郎にとっては…。
この世界じゃ、オレだって、嫌われ者みたいだし…」
「ふふっ、僕もかなり痛いですよ」
「私は、天狗ということになっているようだ」

「九郎なりに、考えたんですね。
元の世界に帰ってから、同じ事が起きないとも限らない。
自分との関わりさえ断っておけば、僕たちを巻き込むこともないだろうと」
弁慶は小さく笑った。
「水くさいな。とうに覚悟はできているのに」

「頼朝様に讒言するくらいなら、みんなの前で堂々と自分を斬れってことでしょ。
それなら、確かにオレは悪役にはならないかもしれないけど…
あ〜、参っちゃうよねえ」
「九郎らしい、といえば、そうですが…」

「和議が成ったとしても、その先は分からぬ。
弁慶が言うように、九郎はそれを考えたのだろう」

「確かに、そうでしょう。
僕たちは、全員が帰るわけではない。
平家は、清盛を失い、還内府もまた、失うことになるんですから」
「源氏方は、政子様、そして望美ちゃんと譲くんか」
「戦略的に見れば、源平間の力の均衡は、大きく崩れることになります」
「平家にも、数多の優れた武将はいる。
しかし、一族の精神的な支えという点では、清盛と還内府に勝る者はいない」

「景時、どう思いますか?
鎌倉はこれを、好機と捉えるのではありませんか」
「………あの頼朝様なら…あるいは…」

景時は、グラスを握りしめた。
「でもね、オレ……和議なんて、できっこないと思ってたんだ。
それなのに、あそこまで漕ぎ着けたんだよね」
「ええ、僕も、望美さんから話を聞いた時には、半信半疑でした。
それでも、僕たちは…」
「我らは神子の意を受け、和議のために動き、それを成した」

「それを壊さないようにすることも、僕たちの役目…ですか」
「大変だけど、オレ達が望んだことでもあるんだよね」
「この後、時空を遙かに分かたれようと、
神子の願いは我らの世界に生き続けるだろう。
九郎の懸念を、本当のことにしてはならぬ」

景時は顔を上げた。
やれやれといった風情で、肩をすくめる。
「帰ってからも、忙しそうだな〜」

「一番大変なのは、九郎でしょうね。
それに、敦盛も……」
「源氏に残っても、平家に戻るとしても、かなり微妙な立場だよね」

「いや、敦盛は大丈夫だ」
リズヴァーンが、九郎を支えて立ち上がりながら言った。
「何か、聞いているんですか」
「意は固く決している、と。それだけだが」
「ふふっ、それなら心配ないかな。
ああ見えて、かなりの頑固者ですからね、敦盛は」


「……もうすぐ、お別れなんだよね〜」
景時は店の中を見回した。
そこにリズヴァーンが声をかける。

「ますたあに挨拶したかったが、私は九郎を連れて先に出る。
すまぬが景時、私に代わり、感謝の意を伝えておいてくれ」
「御意〜ってね」
「では、九郎をお願いします、リズ先生。
誰だって、酔って眠った姿を、人に見られたくはないですからね」
かすかな笑みを浮かべ、リズヴァーンの姿が消えた。

静かに二人は席を離れる。
「もう、ここに来ることもないでしょう」
「来ない方がいいのかもしれないね」

「梶原様、武蔵様、お帰りですか」
「うん」
「お連れのお二人様は?」
「先に帰りましたよ」
「????」
「よろしく伝えてくれって、頼まれてるんだ。
よいお酒と、よい時間をありがとう…ってね」
マスターはうれしそうに笑った。
「何よりのお言葉です。どうぞまた、皆様でお越し下さい」

「ありがとう、ますたあ」
「さようなら」


重い木の扉を開き、
振り返ることなく、
景時と弁慶は「る・いーだ」を後にした。


永遠に……。




      




大人の時間

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番外編

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あとがき


この話は「秋ハ原にて」と同じ日を想定しています。
いわば続編…なのですが、
ごめんなさい!
可愛い九郎さんが書きたかっただけなのに
なぜかシリアスになってしまいました。

「秋ハ原にて」のあとがきで、帰ってからのことを少々書いたのですが、
それがいけなかったかも。

あれやこれやを考え始めると、
大団円をブチ壊すような妄想が噴出し、
結果、こういう話になりました。

どちらかというと切ない終わり方ですが、
源氏方の地の四人には、なぜか合っているような。


少々長めの話に最後までお付き合い下さり、
ありがとうございました。


なお、この物語はフィクションであり、
実在の人物、店、地名等とは、一切関係ありません。


2008.4.7 筆