・・・超大人の時間・・・


七月の「る・いーだ」



繁華な表通りから一筋入った、小さな路地の突き当たり。
階段を下りて重そうな木の扉を開いた先に、そのバーはある。

カウンター奥の棚には、ずらりと並んだ酒の壜と
一点の曇りもなく磨かれたグラスが並ぶ。

控えめな照明に照らされた壁際には
古いアップライトピアノが置かれ、
中年の男性が背を丸めて心地よい音色を奏でている。
語らう客達の声も、音楽と溶け合うかのように静かで穏やかだ。

上質の酒と、上質の時間。
バー「る・いーだ」のいつもの光景だ。

が突然、グラスを丁寧に磨いていたマスターの手が止まった。
いつの間にか、マスターの前に二人の男性が座っていたのだ。

店の扉はカウンターの真正面。
客人の出入りを見逃すはずがないのだが……。


男の一人がもう一人に向かって言った。
「おお、これはまた」

「奇遇とはこのこと」
話しかけられた方が答え、二人は揃って髭を震わせた。

声を出さずに笑った……のかもしれない、と
マスターは思った。

男性はどちらも堂々たる体躯で、たっぷりとした髭を蓄えており、
上質なスーツを見事に着こなしている。

威厳、威容という形容がぴったりの雰囲気を纏い、
ただ者ではないことだけは、ひしひしと伝わってくる。

マスターは気を取り直し、グラスと布を片付けた。

いずれにせよ、二人は真っ当な客のようだ。
る・いーだには時折、不思議な客が現れるが、
この二人もそうなのだろう。

マスターは二人に向かって軽く会釈すると、
ショットグラスに秘蔵のウイスキーを注いでその前に置いた。

「る・いーだにようこそ。
酒と時間はよき友です。ごゆっくりお過ごし下さい」

その時、他の客に呼ばれ、ふと我に返ったマスターは目を瞬いた。

――ん? なぜ私はあのウイスキーを選んだのだろう?
最初の一杯は店からのおごりだが、
いつもは客に好みを聞いてから出すことにしているのに……。

だが、二人がグラスを口に運び、
満足げにふううっと深い息をついたのを見て、
マスターは自らの疑問を封じることにした。

不思議もまた「る・いーだ」の楽しみの一つ。
詮索しては興ざめだ。



男達は、声を落として語り合っている。

「しのびの外出もままならぬ。
互いに窮屈な身の上よ」

「だが今宵は互いに忙中閑ありということか」

「例の日が晴れたおかげじゃ。
雨であれば一大事。
嘆き悲しむ娘を幾日もかけて慰めねばならぬでな」

「まだ問題は続いておるのか」

「あの婿殿はまだまだじゃ。
余に事あらば、自らが統べる身となるを自覚せぬまま
幾星霜を経ても我が娘を恋うるばかり」

「だが一途であるは上々。
偽りなき者に厳しい裁きが与えらることはない」

「裁きと言えば、件の笏はその後どのように」

「子供の盗人には子供をと、幼き鬼共を遣わしたが、
盗人の住む町で楽しく暮らしておる」

「なんと!」

「務めは忘れてはおらぬようじゃが、
盗人相手に笏を返せと口ばかりで、粘りが足りぬ。
まだ獄卒もできぬ子鬼ゆえ、三人揃えば何とかなるかと考えたが」

「成長を待つしかないということか」

「お互いにな」

二人の髭が大いに揺れる。

「ところで、笏が戻らぬままで裁判はどうしておるのか。
罪人どもが滞っているとの噂は聞こえてこぬが」

「こっそりスペアを使っておる。他言無用」

「承知した」


「……おお、そろそろ時間じゃ」

「……おお、余も行かねばならぬ」



――――よき時間であった。礼を言う。

厳かな声に振り返ったマスターは、
目を見開いたまま、立ちすくんだ。

あの二人が消えている。
現れた時と同様、入り口の扉は一度も開いていない。

二人のいたテーブルの上では、
無造作に置かれた金銀宝石が眩い光を放っている。
マスターは途方に暮れた。

これでは頂き過ぎというもの。
二人の滞在は僅かな時間、
口にしたのはたった一杯の酒だ。

それでも………と、マスターは考え、
つつましやかに微笑んだ。

二人は、よい時間だったと、言い置いて行ったのだ。
その言葉を、何よりもうれしく思う。
胸の奥に、ぽっと暖かいものが灯る。



重い木の扉が開き、二人連れの客が入ってきた。
今度は明るい笑顔の若い女性と、常連の男性だ。

マスターはカウンターの中から会釈した。

あのお嬢さんは、二十歳になったお祝いで、
先日初めて来られた方だ。

名前は……そう、もちろん覚えている。

「いらっしゃいませ、望美さま。
そして………さま」




      




大人の時間

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番外編

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あとがき

おっさん二人(とはいえ超大物)の会話がメインの話に、最後までお付き合い下さり、
ありがとうございました。

そして、終わり近くにやっと出てきた望美ちゃん!
この望美ちゃんは、いったい誰とエンディングを迎えたのでしょう。

マスターの最後のセリフ
「そして………」の点点の中には、
お好きなキャラの名前を入れてくださいな。

一応、「迷宮」ED後背景ですので。



なお、この物語はフィクションであり、
実在の人物、店、地名等とは、一切関係ありません。


2017.7.7 筆