いまひとたびの 26



「お〜い、ここだここだ〜」
声の主は高い木の枝にひっかかっていた。

一目見るなり、泰明が怒りの声を上げる。
「なぜお前がここにいる。
神子はどこだ!?」

頼久とイノリが泰明の視線の先を見ると、
宵闇に沈む樹上で何かが動いていた。

「おそいぞやすあき!」
それは甲高い声を発した。

「ここからおりられずにこまっていたのだ
これからおちるから、わたしをうけとめろ」

泰明が眉をひそめるより早く、

「そ〜れ!」

かけ声と共に、小さな子供が木の上から落ちてきた。
泰明はついと腕を伸ばし、空中で無造作にその襟首をつかむ。

「よくやった、やすあき」
ぶらんとぶら下げられた子供は泰明をねぎらった。
身につけているのは泰明と同じ陰陽装束だ。

「あれっ?! こいつ見たことがあるぜ」
「泰明殿の式神か!」

「そうだ。よくおぼえていたな、いのり、よりひさ」

「おう、お前もよくオレ達を覚えてたな」
「小さいのにたいしたものだ」

「二人とも何を感心している。
だらしなく木に引っかかっていた式神をほめる必要はない」

泰明は目の高さにぐいっと式神を持ち上げ、鋭い声で詰問した。

「神子は無事なのか!?
私はお前を神子の護符として手渡したはずだ」

「じぶんのしめいはこころえている
みこがあぶなくなったらみがわりになることだ」

「だがここ神子はいない。いるのはお前だけだ」

とたんに小さな式神はしょんぼりうなだれた。

「やすあき、わたしはまちがっていたのだろうか?
わたしは、みこのみがわりになることではなく、
みこのねがいをかなえることをえらんだ」

「神子の願い……?」

式神はこくんとうなずいた。

「みこはじぶんをたすけよとめいじなかった
ただひとつのことだけをねがったのだ
そしてみこのねがいはわたしのともだちにもつたわった」

「お前の友達だと?」
「式神に友達がいるのか……って、え……何だこいつら!?」

イノリが驚きの声を上げるより早く、
頼久は剣に手をかけている。

「イノリ、泰明殿……囲まれています」

いつの間にか泰明達の周囲に朧な影がゆらゆらと集まっていた。

「やめろよりひさ
みんなわたしのともだちで
みこのしきがみだ」

「神子殿の……式神?」
「あかねは式神を使えるのか?」
「神子の式神……だと? この低級な影どもが?」

「ていきゅうなかげよばわりはしつれいだぞ、やすあき
すべてはみこのちからだ
みこのつよいねがいが、わたしたちをうごかした」

「神子の……願い?
まさか……見ず知らずの武士を助けようとしたのか……?」

式神はこくんとうなずくと中空に向かい、ぱくりと口を開いた。
あかねの声が、その口から放たれる。

「――お願い、あの人達を止めて!」





左近衛府に現れた友雅を、冷ややかな目が迎えた。
帝に同道すべく選ばれた面々は皆、既に準備を終えて控えている。
少将たる友雅の遅参は言い訳のできぬ事だ。

彼らの中には、日頃から友雅を快く思わぬ者もいる。

「少将殿、今までいったいどちらへ」
「髪が濡れておるようだが、まさか内裏を離れておられたというのか」
「朝からの騒ぎは知っておろうに」

ここぞとばかりに責め立てようとする言葉を、友雅は優雅な一礼で止めた。
そして非の打ち所のない詫びを述べ、内裏の見回りと称して早々にその場を辞した。

「あの……ご存知と思いますが、出立は……」
後ろから心配そうに声をかけてきた若い武官に、
友雅は艶然とした笑みを浮かべて振り返る。
「払暁だね、心得ているよ。遅れることはないから安心したまえ」

その笑みに隠された焦燥を知る者はいない。
今の内裏で道摩の策謀に最も近づいているのも、
苦境にある永泉の状況を知っているのも、友雅ただ一人なのだから。

だが帝は今、潔斎の場におり、明日からの儀式を終えるまでは
神官以外近づくことはできない。

永泉の無事を伝えたいのはもちろんだが、
道摩の手の者が内裏に入り込んでいるなら、
友雅が襲われたように、帝の身に危険が及ぶことも考えられる。

道摩はこれまで幾たびも帝の間近に迫りながらも、謎の書状を置くだけであったが、
その書状が公開され状況は大きく変わった。

冷たい雨気を含んだ長い回廊を、友雅は灯りも携えずに進んでいく。
まずは護衛の武官に、道摩のやり口を伝えておかねばならない。

鍵の手の回廊を足早に曲がったその時、
友雅の前に大きな人影が立ちふさがった。
とっさに身を翻すが、人影は友雅の動きに合わせ、
その行く手を巧みに制していく。

警護の武官だ。
しかもかなりの手練れ。
場所を心得てか自信の表れか、剣は抜いていない。

わらわらと松明の明かりが集まり、周囲が明るく照らされた。

大きな武官は友雅を見て驚きの声を上げる。
「曲者かと思えば、左近衛府少将殿ではないか!」

友雅の口の端に微かな笑みが浮かんだ。
「おや……こんな所で会うとは奇遇だね」

身のこなしから薄々分かってはいたが、この武官は友雅とは旧知の仲。
信頼できる手練れの武官だ。
だが今は苦虫をかみつぶしたような顔をしている。

無理もない。
帝の出立を前に道摩の件もあり、武官達は皆、気を張り詰めて警護しているのだ。

「少将殿、こんな所とは……」
「ああ、叱責は後でいかようにも受けるつもりだ。
だが、大事な話があるのだよ。主上の御身に関わることだ」

武官が苦言を呈するのを身振りで遮り、 友雅は簡潔に話をした。

「断じて……否。
ここからは……帝の…御座所ですぞ」

きしんだ声で誰かが異を唱えたが、
武官はそれを制して友雅の話に最後まで耳を傾けた。

ほどなくして友雅は帝の警護の一員として
武官と行動を共にすることとなった。

「ただし払暁までだ。
左近衛府少将殿も遅参はまずかろう」
小声でからからと笑い、武官は先に立って歩き出す。

遠くで、乾いた咳の音がした。





人の世とは皮膜一つ隔てた、ほの暗き広がりの中。

―――それがいつ生じたのか定かならぬ。

生じた後は漂っていた。蠢いていた。
時には何かに引き寄せられ弾かれ澱み、
そしてまた漂い蠢いていた。

周囲には同じように生じて漂い蠢いているものがあった。

たちまちのうちに生じては消えるものがある。
近づくものがある。遠ざかるものがある。
消えては生じる。

そのように在ることを何も思わぬ。
思うべき己がない。
己がないのだから他者もない。
有象無象の群れ。


いつのことか、それは大きな力に喚び寄せられ、
他の有象無象と共に皮膜の外にまろび出た。

その大きな力の命じるままに、使役された。
あるものは消されあるものは喰らわれ
あるものは形を変じて使役された。

何かを為しているのか為していないのか知らぬ。
為すとは何かを知らぬ。
知るということも知らぬ。

しかし―――ある時―――

それは名を、与えられた。

『ねえ、赤影さん、この部屋ってさっき来たところ?』

大きな力とは違う、ほわりと柔らかく心地よいものが、
有象無象の群れに一つずつ名を付け、名を呼んだ。

『ね、黒影さん?』

『青目さんもそう思う?』

名を呼ばれて初めて、己が存在していると知った。
他者がいると知った。


有象無象の群れは、変容した。

みこのしきがみ……
そして、ともだち……へと。

続く





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あとがき

ぐぬぬぬ……。
1年以上間が開いてしまった………(号泣)。
暗鬱な雨の世界を早く抜け出したいよ〜〜!!


2023.02.23筆