凍 月

1. 斬


闇に身を潜め、息を殺して待つ。
朧な記憶とは裏腹に、意識は冴え冴えと澄み渡り、
「その時」という一点に向かい、集中していく。

獲物を狙う、しなやかな肉食獣にも似て、
ぴたりと構えた姿勢は、力を孕みつつ、微動だにしない。

たとえ狩の獲物が、主の父親であるとしても、
それを斟酌する「心」を、彼…銀は持たない。
ゆえに、迷いも躊躇いもない。
あるのは、主の命令を遂行する意志のみ。

だからこそ、主の泰衡は、彼を父への刺客として差し向けた。


銀が、音もなく動いた。
意を決する一呼吸すらなく、唐突に、秘やかに。

見張りの武士が、声を上げる間もなく悶絶する。
具足の音をさせぬよう、やんわりと床に転がすと、一挙動で目的の部屋に入る。

余計な気迫は無用。
殺気を感じ取れば、武士たる者は必ず目覚める。
規則正しい寝息の位置を確かめると同時に、手にした武器を振り下ろす。

致命的な一撃。

……いや、かわされた。
深い傷は負わせたが、急所を外れている。

「何奴?!」
怪我を負っていても、その声には怯えの欠片もなく、震えてもいない。
並みの者なら、それだけで気圧されることだろう。

しかし…

その時すでに、銀の姿は部屋から消えていた。

御館が枕辺の刀を手にした気配を、銀は察知した。
なれば二度目の攻撃は、こちらの手を見られるだけ。
御館の声に、郎党達が駆けつけてくる。

瞬時の判断だった。

御所のあちこちに灯火が点き、武士達が館や周辺を探し始めた時には、
銀はすでに主の元に戻っていた。


人払いをし、泰衡の部屋に、二人、対峙する。

「何食わぬ顔で戻ってきたか」
銀は頭を垂れた。
「申し訳ございません」

泰衡の表情が、かすかに動いた。
「…しくじったな、銀」
「はい」
銀は顔を上げぬまま、淡々と答える。

「姿を見られたか」
「いいえ。しかし……」
「言い訳か?」
「言い訳ではありません。少し気づいたことがございます」
「言ってみろ」
「御館は、襲撃を予想していたようです」

「……」
一瞬沈黙した泰衡の、次の言葉を待つ。

「警戒が、厳重だったのか」
「いいえ、見張りの数はいつもと同じ。されど、御館は咄嗟に刃先をかわされました」
「豪の者の父上らしい…。それだけか?」
「御所の者達の反応が非常に速く、とどめの一撃を加える前に、駆けつける足音が多数」

「そうか」

「ご命令を果たすことが出来ず、申し訳ございません。
ご処分は、如何様にも」

銀は、泰衡の手にある鞭が自分の背や肩に唸り来るものと思っていた。

しかし、
「行け」
泰衡は不機嫌そうに、そう言っただけだった。

銀は顔を上げて泰衡を見る。
「では、私はこの失態を、どのように贖えばよろしいのでしょうか」

「明日になれば、事は皆が知るところとなる。お前を鞭打つのは簡単だが、
御館の件とお前の怪我を、結びつけて考える者がいない…とは限らぬからな。
お前への処断は、その後だ」
「御意」

ふい…と、かき消えるように、銀は部屋から出て行った。


泰衡は思う。
気配というものの無い男だ。
感情というものも……。

父上を…殺めそこなったと聞いた時、
俺がどのような気持ちであったのか…など、
あの男には、分からぬのだろう。

いや、俺の気持ちなど、誰も分かる必要はない。
俺自身にとっても、無用のものなのだから。


泰衡は、扉を開き、簀の子に出た。
秋の冷たい夜気が、ぴりりと頬を刺す。
庭の木々は暗い影の中に沈み、草むらの虫の音だけが耳につく。

星のない空を見上げる。

銀は気になることを言った。
…父上が襲撃を予期していた?
計画が、知られていたというのか?
俺がこのことを口にしたのは、今宵、銀に命令を下した時だけだ。

やつの思い過ごしか。
それとも、御館と話し込んでいた龍神の神子とやらが…。

泰衡は、庭に下り立った。
虫の音がぴたりと止む。

過ぎたことは、考えても無駄だ。

だが少なくとも、己の身に刻まれた傷の跡に気づかぬ父上ではあるまい。

警告、と受け取ってもよし。
俺の覚悟のほどを悟ってくれたならば、なおよい。

平泉が生き延びるための道は、ただ一本の細道。
それを違えずに辿っていかねばならない。
冬は近い。備えるだけでは駄目だ。
迎え撃たねば…。

時間が、迫っている。

誰にも…父上にも、邪魔はさせぬさ。



同じ館の中、星のない空を、銀も見上げていた。

眠れない。
何かが、しきりに心を刺している。

泰衡様のご命令を果たすことが出来なかったことを、悔いているのか。

違う。

心の視界を閉ざす白い霧の向こうに、何かが動いている。
意識の底で、あがくものがある。

「神子様…」

言の葉が、ひとりでに口をついて出た。

雲が薄れ、山の向こうに沈み行く月の影が、幽かな形を見せた。

刹那、白い霧が晴れ、銀は心に宿る月を見た。

恐ろしさに、息が詰まる。
「……やはり…私は…」

銀が心の内に見たもの…、
それは、呪詛に穢された、幻の黒い月だった。



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気の早いあとがき


「重衡殿被囚」を書いている時、
平泉の部分をもっとふくらませたいな…と思いました。
でも、あの話の中では、流れからいってとても無理。

以来、妄想を溜め続けてきて、この話へと至りました。

何話になるか、まるっきり見当もつきませんが(汗・大汗!!)
がんばります。

とにかく、平泉のゲーム沿い銀×望美話では、「知盛問題」と「八葉問題」
(と、真宮が勝手に名付けている超・難題)をクリアしなければなりません。
いえ、超・難題というのも、真宮が勝手に思い込んでるだけですが(苦笑)。

で、「知盛問題」というのは…
銀を愛する過程での、望美ちゃんの中の知盛の存在とは?

そして「八葉問題」とは…
あれだけ腹黒・機略・特殊能力などに長けた八葉メンバーが、
おとなしく軟禁されてるって、どうよ(爆)。

あああ…自分でハードル上げてどうするの?な話を
書き始めてしまいました。

そしてこれは、少々早いですが、
来月の銀のお誕生日頃完結目標!の、
生誕祝い小説でもあるのです。
珍しく早手回し(笑)。

2007.8.24