柔らかな口調、端正な顔にたたえた微笑み。
けれど、その心の内は、垣間見ることすらできない。
見えないのか、それとも見せないのか…。
銀は静かに塗籠を出て行った。
怒りの言葉を投げつけても、悲しみをぶつけても、穏やかな物腰を崩さぬまま。
銀…あなたが遠い。
あなたの心が、こんなにも遠い。
振り切れぬ心を抱いて、
あなたを真っ直ぐに見ることができなくて…
いつも、あの人の面影を重ねて…
気づいた時には、遅すぎた。
あなたを…本当に分かろうとしなかった。
あの時、あなたの心を壊したのは…私。
それなのに、あなたを助けたいなんて、
私の思い上がり…なのだろうか。
閉じこめられた小さな部屋。
ぼんやりと暗い灯火に浮かび上がる、今の私に許された世界。
天井の木目の形、床の小さな傷まで、覚えてしまった。
小さな部屋に力無く横たわり、繰り返し見つめる。
大きな時の流れの中の、芥子粒のような自分。
今日は、ことのほか寒い。
はぁーっと息を吐いて、手を暖める。
心まで、冷えないように。
逃げるためにできることは、思いつく限り試し、
何度も部屋中を調べて回ったけれど…
何もなかった。
ここは御所。建物の造りは堅牢だ。
扉には閂。壁は厚い。床板には、薄紙一枚入る隙間さえない。
火桶の炭で穴を穿とうかと思ったこともある。
でも、木の焦げた臭いで、すぐに気づかれてしまうだろう。
塗籠は、部屋の中に作られた箱のようなもの。
ここを出ても、もう一つの部屋の中に入るだけ。
その部屋を出れば、見張りがいる。家人の出入りもある。
時は必ず動く。その「時」は、いずれ来る。
今私にできるのは、待つことしかないのだろう。
でも、それでいいのだろうか。
泰衡が私をわざと怒らせて、白龍の逆鱗のことを知った。
以前にも同じことがあったけど、それがんなことに…
逆鱗が戦に使われるなんて、想像もしていなかった。
たくさんの鎌倉兵が焼かれた…。
神の力で、多くの命が奪われていく。
私の龍の…力で…。
どうしたらいいのかわからない。
逆鱗もなく剣もなく、戦う力さえ、ない。
それでもまだ、折れない自分がいるのを感じる。
絶望が胸を突くけれど、でも、まだ終わりじゃない。
終わらせない。
これは私の意志で選んだ道だ。
重衡さんを……銀を助けるまで、私は、負けられない。
そして、ふと思う。
幾度繰り返しても、きっと私はこの道を選ぶだろう。
……私も、あの人と同じなんだ。
柔らかな口調、端正な顔にたたえた微笑み。
けれど、その心の内は、垣間見ることすらできない。
見えないのか、それとも見せないのか…。
銀の内に起こりつつある変化に、誰一人として気づかなかった。
泰衡さえも、それは同じ。
雪原の静寂に凍てついた光を放つ月のように、
銀の瞳は冷たく、冴え冴えと澄んでいる。
銀の中で、記憶の奔流がせめぎあい、叩きつける瀑布の如く逆巻き、渦を巻き、
激しい飛沫を上げていることを、窺い知る者はいない。
火の気のない部屋。
灯火もつけず、銀は端然として冷たい床に坐している。
その心の内に見ているのは、見知らぬ景色、人々……己の記憶。
壮麗な建物、賑わう大路、
親しげに話しかける者、剣を振りかざし、打ちかかる者。
突然、身を切られるような冷たい風が吹いた。
夜空を赤く照らし、大塔伽藍が燃え上がる。
…火をかけたのは、私だ。
炎上する街の上に、呪詛に覆われた黒い月が上る。
「忘れなさい…忘れていいのよ…」
人ならぬ声が響く。
ぎりりと歯を食いしばり、抗う。
忘れてはならなかったのだ。
決して忘れてはならないのに、私は秘かに願ってしまった。
できるものならば、忘れてしまいたい…と。
二度と誤ってはいけない。
神子様の願いに…応えるために。
春宵の朧な雲が流れてきた。
黒い月が隠れていく。
そして再び月が姿を見せた時、白い光が満ちた。
夜の森の中で、優しい声に出会う。
十六夜の君は言った。
「逃げて…」
けれど私は、あなたを振り切り、戦場に戻った…。
そして…敵に捕らえられたのだ。
潮の香が、漂っていた。
そうだ、馬上に括り付けられた私は、海を…
遙か沖へと出て行く舟を、見ていたのだ…。
その後、私は………。
………私は
「ぐっ…!!」
銀は胸をかきむしった。
禍々しい文様が、赤い光を帯びて身に浮かび上がる。
光は息づくように明滅し、息を奪い、眼前を闇で閉ざす。
「…神子…様、十六夜の君…」
それは、祈りの言葉。
「お許し下さい…」
それは、祈りの心。
「あなたをお助けした後は…この身を…この心を」
その手の中の、ただ一つの真実。
[1.斬]
[2.傷]
[3.謀]
[4.封]
[6.剣]
[7.絶]
[8.響]
[9.蝶]
[10.祈]
[11.光]
[12.月]
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