凍 月

5. 籠



柔らかな口調、端正な顔にたたえた微笑み。

けれど、その心の内は、垣間見ることすらできない。
見えないのか、それとも見せないのか…。

銀は静かに塗籠を出て行った。
怒りの言葉を投げつけても、悲しみをぶつけても、穏やかな物腰を崩さぬまま。


銀…あなたが遠い。

あなたの心が、こんなにも遠い。


振り切れぬ心を抱いて、
あなたを真っ直ぐに見ることができなくて…
いつも、あの人の面影を重ねて…
気づいた時には、遅すぎた。

あなたを…本当に分かろうとしなかった。
あの時、あなたの心を壊したのは…私。


それなのに、あなたを助けたいなんて、
私の思い上がり…なのだろうか。


閉じこめられた小さな部屋。
ぼんやりと暗い灯火に浮かび上がる、今の私に許された世界。
天井の木目の形、床の小さな傷まで、覚えてしまった。

小さな部屋に力無く横たわり、繰り返し見つめる。
大きな時の流れの中の、芥子粒のような自分。


今日は、ことのほか寒い。

はぁーっと息を吐いて、手を暖める。
心まで、冷えないように。


逃げるためにできることは、思いつく限り試し、
何度も部屋中を調べて回ったけれど…
何もなかった。

ここは御所。建物の造りは堅牢だ。
扉には閂。壁は厚い。床板には、薄紙一枚入る隙間さえない。

火桶の炭で穴を穿とうかと思ったこともある。
でも、木の焦げた臭いで、すぐに気づかれてしまうだろう。

塗籠は、部屋の中に作られた箱のようなもの。
ここを出ても、もう一つの部屋の中に入るだけ。
その部屋を出れば、見張りがいる。家人の出入りもある。


時は必ず動く。その「時」は、いずれ来る。
今私にできるのは、待つことしかないのだろう。
でも、それでいいのだろうか。

泰衡が私をわざと怒らせて、白龍の逆鱗のことを知った。
以前にも同じことがあったけど、それがんなことに…
逆鱗が戦に使われるなんて、想像もしていなかった。

たくさんの鎌倉兵が焼かれた…。
神の力で、多くの命が奪われていく。

私の龍の…力で…。

どうしたらいいのかわからない。
逆鱗もなく剣もなく、戦う力さえ、ない。

それでもまだ、折れない自分がいるのを感じる。

絶望が胸を突くけれど、でも、まだ終わりじゃない。
終わらせない。
これは私の意志で選んだ道だ。

重衡さんを……銀を助けるまで、私は、負けられない。


そして、ふと思う。

幾度繰り返しても、きっと私はこの道を選ぶだろう。
……私も、あの人と同じなんだ。




柔らかな口調、端正な顔にたたえた微笑み。

けれど、その心の内は、垣間見ることすらできない。
見えないのか、それとも見せないのか…。


銀の内に起こりつつある変化に、誰一人として気づかなかった。
泰衡さえも、それは同じ。

雪原の静寂に凍てついた光を放つ月のように、
銀の瞳は冷たく、冴え冴えと澄んでいる。

銀の中で、記憶の奔流がせめぎあい、叩きつける瀑布の如く逆巻き、渦を巻き、
激しい飛沫を上げていることを、窺い知る者はいない。



火の気のない部屋。
灯火もつけず、銀は端然として冷たい床に坐している。


その心の内に見ているのは、見知らぬ景色、人々……己の記憶。

壮麗な建物、賑わう大路、
親しげに話しかける者、剣を振りかざし、打ちかかる者。

突然、身を切られるような冷たい風が吹いた。
夜空を赤く照らし、大塔伽藍が燃え上がる。

…火をかけたのは、私だ。

炎上する街の上に、呪詛に覆われた黒い月が上る。

「忘れなさい…忘れていいのよ…」
人ならぬ声が響く。

ぎりりと歯を食いしばり、抗う。

忘れてはならなかったのだ。
決して忘れてはならないのに、私は秘かに願ってしまった。
できるものならば、忘れてしまいたい…と。

二度と誤ってはいけない。
神子様の願いに…応えるために。


春宵の朧な雲が流れてきた。
黒い月が隠れていく。

そして再び月が姿を見せた時、白い光が満ちた。


夜の森の中で、優しい声に出会う。

十六夜の君は言った。
「逃げて…」

けれど私は、あなたを振り切り、戦場に戻った…。

そして…敵に捕らえられたのだ。

潮の香が、漂っていた。
そうだ、馬上に括り付けられた私は、海を…
遙か沖へと出て行く舟を、見ていたのだ…。

その後、私は………。
………私は

「ぐっ…!!」
銀は胸をかきむしった。

禍々しい文様が、赤い光を帯びて身に浮かび上がる。
光は息づくように明滅し、息を奪い、眼前を闇で閉ざす。

「…神子…様、十六夜の君…」

それは、祈りの言葉。

「お許し下さい…」

それは、祈りの心。

「あなたをお助けした後は…この身を…この心を」

その手の中の、ただ一つの真実。



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