凍 月

7. 絶



雪煙を蹴立て、夜よりも黒い人馬が走る。
漆黒の馬、それを駆る漆黒の髪の男。
闇に溶ける黒い外套に施された金糸の紋様が、
雪雲を割ってのぞいた月光にきらめく。

林の中、山裾にも、松明が見え隠れしている。
やつらを追う、郎党達だ。

だが、追いついて捕らえるつもりはない。
こちらが待ちかまえていなければならない。
他ならぬ、この俺自身が、この手で始末をつける。

泰衡の眼に、暗い光が閃いた。


金のただならぬ吠え声がしたのは、紛糾を重ねた軍議がやっと終った時だった。

「泰衡様!」
「総大将が合戦の前に、どこへ参られる?!」

制止の声を振り切って、柳御所を出た。
もしやという疑惑ではなく、奇妙な確信のようなものがあった。

すでに、俺は、予期していたのか。
やつが裏切ることを。
あの凍てついた笑みの中に、やつは全てを隠し通した。

腹の奥底から、抑えきれぬほどに滾り立つものがある。

怒り…か。
誰に向けて、何に向けての怒りなのだ。
フ…この期に及んで、俺もいい様をさらしたものだ。


分かれ道に出た。

やつらは追っ手を避け、人目につかぬ道を選んでいくはず。
なれば、ここから…

目をつぶっても、この丘の道を違えることはない。
細い小道の一本一本まで、思い描くことができる。

泰衡は馬に鞭を入れた。

高館へと向かう急坂を、馬は一気に駆け上がる。






剣が一閃した。

銀は避けることなく、泰衡の刃を身に浴びた。

自分の悲鳴が、遠くに聞こえる。
時間が急に遅くなったように思えた。

銀がゆっくりと後ろに倒れていく。
眼が、合う。
届かないとわかっているのに、必死で手を差し伸べる。

銀の唇が動き、言葉を形作ろうとした。
「みこ…さ…」
しかし、皆まで終わらぬうちに、その身は崖の下へと落ちていった。

目の眩むような、急峻な崖だ。
淵に身を乗り出し、声の限りに叫ぶ。

返ってくるのは、夜の静寂だけ。

けれど、声がかすれても、まだ銀の名を呼び続ける。
涙があふれ、したたり落ちる。


私は、まだあなたに大切なことを伝えていない。

なのにまた、あなたを助けられなかった。
私を助けるために、あなたが今度もまた、自分を犠牲にした。

私を愛してくれた…あなた。

あなたに言わなくてはならないのに。
私もあなたを、愛していたと。
今も、あなたのことを愛していると。






真っ逆さまに、落ちてゆく。

「神子様…どうか、そのような悲しい眼をなさらないで下さい」
そう、言いたかった。

だが、言の葉を声にすることはできなかった。

魂の絶え入るような悲痛な叫び声だけが、耳に残る。

あのような声で…神子様…。
私は、あなたをまた悲しませてしまったのですね。
あなたの微笑む顔が見たいのに、
あなたには、誰よりも幸福であってほしいのに。

私があなたに差し出すのは、幸福ではなく、悲しい涙ばかり。

雲間から、白い月が見える。

ああ…私は…生きたい。
胸の奥から、熱い願いが吹き上がった。


その刹那、
地に叩きつけられる衝撃


生きて、あなたを幸福に…


痛みの感覚が、ない。


あなたの喜びに輝く笑顔が、見たい…。


意識だけが、遠のいていく。


たとえ穢れた身であっても、私は…あなたを…





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