ひいなの (はこ)  〜11〜

泰明×あかね(「舞一夜」背景)

  


怨霊の髪が幾本も、主の胸部に突き刺さっている。
そしてなお、傷を抉るように蠢きながら奥へと進む。
主の口から、ごぼごぼと血が溢れ出た。

激痛の中で、怨霊が自分の命と、心の全てを
奪い去ろうとしていることを、主は悟った。
この怨霊が、もはや愛しい者の形代となることがないことも。
初めから、そうなるべくもなかったことも。

もう、残り少ない命だった。
だが、彩女を忘れて死ぬのはいやだ…と
意識の残滓にしがみつきながら思う。


心を食わせても、彩女への想いだけは残っていた。
怨霊に食われた者達は、皆抜け殻となった。
それでも私だけは、この想いを失うことはなかったのだ。

そう、私の想いは、これほどに強い。
誰にも負けぬほどに…。


だから、彩女……どこにもいかないでおくれ。
最期まで私の心に……。


意識が薄れていく。
彩女、どこにいる?
なぜだ?お前の顔が…思い出せない。



     『……ごめんなさい…あなた…』

「誰だ?」

     『ずっとあなたの心に…おりましたのに…』

「どこかで、聞いた声だ…切ない…」

     『あなたの代わりに、私を食わせておりましたのに…』

「私の心の代わりに?」

     『…私には、あなたの命まで守る力は無かった…』

「優しい声だ…あたたかな声だ…」

     『…今度こそ、あなたと共に参ります…』


白い光が満ちた。


覆い被さるように視界を覆っていた怨霊が、消えた。
胸に刺さった忌まわしい髪も、全て消え去った。

薄靄のかかったまなこに、淡く小さな光が見える。
まるで蛍のそれのように、儚げな光。
己の目で見ているものか、心に映し出されたものかすら、定かならない。

だが、主には分かった。
これこそが、声の主であると。


「私と共に…どこへ行くのだろうか」

     『…常世の国へ……。もう、お一人にはいたしません…』





倒れた燈台から移った火が、御帳を飲み尽くし、低い天井をなめている。
炎があおられたび、熱風が吹き付ける。

怨霊を封印すると、あかねは倒れたままの主に駆け寄ろうとした。
「神子、何をしている、早く逃げろ!!」
「でも、この人をこのままには…!」

しかし、なおも行こうとするあかねの腕を、泰明はしっかりと押さえた。
「あの男は、もうこと切れている」
「でも、助かるかもしれません」

男の身体は、怨霊にやられて、ひどい有り様になっている。
酷い様子を、神子に見せることはできない。

あかねの腕をつかんだまま、容赦なく戸口に向かう。
「火に巻かれぬうちに、行くぞ!」
「泰明さん、そんな!」

すまぬ、神子。
だが、お前の優しさは、時に…。


「愚かな優しさは、時に命取りになる…」

冷ややかな言の葉が、行く手を阻んだ。

泰明が術で吹き飛ばした扉を、燃え落ちた天井の梁が塞ぐ。

そしてその前に、仮面の男が立ち現れた。
金色の髪が、炎を映し輝く。


「アクラム!」
「あなたの仕業だったの?!」

「なかなかに楽しませてもらったぞ、龍神の神子」

「楽しい…ですって?人の心を弄んで?
アクラム、あなたのこと許さない!」

「ほう、許さぬ…、か。
相変わらず、威勢だけはよいのだな」
アクラムは皮肉な笑みを浮かべた。
「どのみち、あの男の命は長くはなかった。
最期に、幸福な夢を見せてやったのだ」

「嘘を言って、だましたくせに!」
「あの男は、あれで満足していたのだ。
偽りか否かなど、問題にもならぬよ。
それとも、お前にあの惨めな男を救うことができたとでも?龍神の神子」

「戯れ言はそこまでだ!!」
泰明の術が、アクラムを撃った。
こともなげに、アクラムは術をはね返す。

「効かぬぞ、化生の陰陽師」
アクラムの術が襲う。
泰明も同時に術を撃つ。
気の塊がぶつかり合い、お互いを消し去った。

「ここで決着をつけるのか。私はかまわぬよ」
炎の中で、アクラムは傲然と笑みを浮かべた。

めらめらと燃え上がる炎が、四方に広がっている。
「泰明さん…、負けないで…」
だが、あかねの呼吸はひどく乱れている。

アクラムとの決着は後だ。

しかし、泰明が炎に焼かれた壁を術で砕こうとした瞬間、
アクラムが動いた。
咄嗟にあかねをかばう。

そこをアクラムの術が直撃した。

「ぐっ…」

「よい様だな、地の玄武」
アクラムは、倒れた泰明を見下ろし、嘲るように小さく笑う。

「決着をつける、と言ったはずだ。
八葉は、これで一人欠ける」






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