ひいなの (はこ)  〜5〜

泰明×あかね(「舞一夜」背景)

  


庭も建物も、しん…と静まりかえり、
ぱらぱらと落ちる雨粒の音だけが、やけに大きく聞こえる。
人の気配というものが無い屋敷だ。

「どうぞ…こちらへ」
案内されて歩きながら、あかねは庭が気になってならない。

白茶けて枯れかけた樹木。
うなだれた草花には、この雨も恵みとはならないようだ。
しかし雨の中、黙々と木の世話をする下働きの男がいる。

と、あかねは、前を行く童が怯えているのに気づいた。
その男を見ないように、足早に行こうとする。

「どうしたの?大丈夫?」
あかねが声をかけると、童はびくんと震え、あやうく転びそうになった。
とっさに童の手を掴む。
その手は、蒸し暑さの中というのに、とても冷たい。

「ごめん、急に声をかけたから、驚いたのね」
「も、申し訳…ありません」
童は蚊の鳴くような声で答える。
「震えてるみたいだけど、何か恐いことでもあるの?」
「!……」
「私で、力になれること、ある?」
「え……?」
童の目が、大きく見開かれた。
目の前の、明るく優しい笑顔をまじまじと見る。

思わず童は口を開こうとして、はっとしてうつむいた。

「ここでは話しづらい?」
「あ、あの…そういう…わけでは…」

童は思案し、再び顔を上げて、あかねと目を合わせた。

……このひとが、本当に心配してくれているとわかる。
初めて会ったのに、助けようとしてくれている。
胸の鼓動が、喜びと不安と緊張で、激しくなる。

しかしその時、視界の隅で、男の切った枯れ枝がバサリと落ちた。

……無理だ。
でも、このひとだけは…。

童は眼を閉じた。
そして、大きく息を吸って、
「ここから…」
言葉を発したのと同時だった。

「ようこそ、おいで下さりました」
青白い顔をした屋敷の主が、姿を現した。





「……っ…。いったい、どうしたってんだ」
イノリは、額の宝珠に指を這わせた。

身体に埋まっていても、痛みどころか違和感さえ感じない宝珠が、
なぜかさっきから、気になって仕方がない。

しくしくと、かすかな痛みにも似た何かが、宝珠から伝わってくるのだ。

「あかねに、何かあったわけじゃねえだろうな…」
イノリは爪を噛んだ。

しかし、すぐに答えは出る。
「ウジウジしてるなんて、オレらしくねえじゃん」

だが、今日は休みをもらって、姉の見舞いに来ているイノリだ。
喜んで迎えてくれた姉を置いていくのは、ひどく気が引ける。

「あ、あのさ、姉ちゃん…」
イノリは、言いにくそうに切り出した。

「どうしたの?さっきから落ち着きがないけれど…」
「姉ちゃんの具合が悪いってのに、こんなこと言うのって、その…」

セリは、ふっと息を吐いてから、イノリに笑顔を向けた。
「どこかに、急いで行かなくてはならないのね」
「な、なぜ分かるんだ?!姉ちゃん」
イノリはひどく驚いた。
「だって、顔に書いてあるもの」
弟のあっけにとられた顔を見て、セリは思わず笑ってしまう。

「早くお行きなさい。私のことは気にしなくていいのよ。
今日はあなたの顔を見られて、それだけで元気になったわ」

「すまねえ!ありがとな、姉ちゃん!!」
言ったと同時に、もう家を飛び出して、表通りを全力で駆けていく。

その様子を微笑んで見送ったセリだったが、
イノリを待ちかまえる者がいることなど、彼女には知る由もなかった。



「ふうん、今日は一人なんだ。仲良しごっこはやめたのかい」
「……!鬼…!そこをどけよ」
「何をそんなに急いでるのかな」
「お前、知っててジャマしてんのか?」
「え?何のことさ」
「トボけんなよ」
「僕には、お前達の都合なんて、わかるわけないだろ。
まあ、わかりたくもないしね」
「だったら、早くそこをどけよ。さもないと」
「さもないと…だって?フン、一人じゃ何もできないクセに!」
言うより速く、セフルの術がイノリに襲いかかった。





馬を走らせながら、天真が言った。
「何だ、鷹通も宝珠が変なのか?」
「ええ、それで皆さんにお会いして、そのことを確かめようと思ったのです。
この宝珠は神子殿との大切な絆の証。
異変を看過することはできません」

「クソッ、俺があかねから目を離したのが、いけなかったんだ…」
「そんなに思いつめるものではないよ。
いくら美しい花といっても、いつも監視の眼の中に閉じこめられていては
かわいそうというものではないかな」
「神子殿を一人にしたというなら、それは私も同じだ。
しかし、今は神子殿の元に急ぐ方が大事」
「…そうだな、とにかくあかねの所へ行かなきゃ始まらねえか」


しかし、大内裏をはずれ、さらに馬を進める一行の前に、

「ここまでだ、八葉」
低い声が響いた。
都大路に、男が忽然と姿を現す。

「イクティダール!」
「…っ!やはり、鬼の仕組んだことか!」

イクティダールは剣を抜き、構えた。
「お前達を、ここから先へ行かせるわけにはいかない」

「あいにくと、私達は先へ行かなければならないのだよ」
「おう、邪魔するってんなら、相手になるぜ!」

「皆様、脇の道から、お行き下さい」
イクティダールと同時に抜刀していた頼久が、つ…と前に進み出た。
「ここは私が引き受けますゆえ」

「お前だけ置いていけるかよ。ここは青龍コンビでがんばろうぜ」
天真も前に出た。

「青龍か…。四神の加護を受けた者といえど、
神子がいなければ、その力、使うべくもない。
それでも戦うというなら、覚悟!!」


「天真先輩…、頼久さん…そんなのって」
馬上で幾度も、詩紋は振り返る。

「詩紋、ここで全員が残って戦うことが、今本当に必要なことかな?
鬼の仕業となれば、一刻を争う。
神子殿の救出が最優先……間違っているだろうか?」
「………」
詩紋はうなずくしかない。

「急ぎましょう!京の道のことなら、私に任せて頂いて大丈夫です」
鷹通は、人通りの少ない道を選び、馬を全速力で走らせる。

ぱらぱらと降っていた雨足が、次第に強まってくる。
遠くで、かすかに雷鳴が轟いた。





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