ひいなの (はこ)  〜8〜

泰明×あかね(「舞一夜」背景)

  


「な、何ごと…?!」
突然のことに動揺した主が、周囲を見回した。

その隙に腕を振りほどき、あかねは思い切り相手を突き飛ばす。

よろよろとよろけて、主はぺたりと尻餅をついた。
顔には驚愕の表情。
まさか、宮中に上がるような娘が、このような狼藉を働くとは、
想像すらできなかったのだろう。

しかし、そんなことにかまってはいられない。
あかねは脇目もふらず扉に駆け寄り、手を掛ける。

と、何かが足に絡みつき、そのまま引き倒された。

足元に目をやり、黒いものが巻き付いているのを見る。
それの先を辿っていくと、こちらを向いたまま伏している人形がいた。

人形の髪が生き物のように蠢き、あかねの足に巻き付いたのだ。
髪は、抗いようのない力で、あかねを人形に引き寄せていく。

カタッ、カクン…、カタン…。
人形が、ぎこちなく起きあがった。
赤い口元が、きゅっと上がる。
笑みの形なのだろうか。

「きゃあぁぁっ!!」
あかねは悲鳴を上げた。

「おお!彩女…やっと動いてくれたのだね!」
主は躍り上がらんばかりに喜んだ。
「やはり、この娘でなくてはだめだったのか。
さあ、早く…早く食らっておくれ!」

「いやあぁぁぁ!!」
必死にもがいても、ずるずると引きずられていく。
助けて!!
お願い!!
……泰明さん!!!


その時だ。

扉が粉微塵に吹き飛んだ。

「眼を閉じろ、神子」

その言葉と同時に、バチバチと音を立て、青白い閃光が部屋を満たした。

グ…ギャアァァ…!!
人ならぬ苦悶の声が響き渡り、あかねの足首が自由になる。

「もうよい」

目を開くと、泰明がいた。
あかねに背を向け、あの人形と対峙している。
人形は後ろに倒れて、動かない。

流れ込んだ外界の雨の気が心地いい。
泰明の髪、着物の袖や裾からも、雨の滴がしたたり落ちている。

「大事ないか、神子」
「ありがとう、泰明さん……あの…ごめんなさい…」

「お前が考え無しの行動をとるのはいつものことだ。
分かっていながら、それを予期できなかった私が悪い」
「そ、そんな…」

「しかし、そもそもの元凶は、その男だ」

泰明は、呆然としている主を一瞥すると、氷よりも冷ややかな声で言った。
「己の欲望のため、鬼と取引きするとは」

「…ひ……」
主は息を飲んだ。

貴族が鬼とよしみを通じるなど、誰にも知られてはならないことだ。
だから、彩女のことは自分一人の胸の中に納めてきたはず…。

「鬼…って、どういうことですか?じゃあ、この人形も?」
「私の式神を防いだこの屋敷の結界は、鬼のものだった。
人形も、人の手によるものではない。
となれば、鬼に作られたもの」

泰明は、首にかけた数珠を人形に向けて掲げた。
「この人形の穢れは強い。このままにはしておけぬ」

「彩女!!」
主が転げるようにして人形の前に身を投げ出した。
「彩女に手を出すな!!これは私の妻だ!」
「鬼の甘言に乗り、愚かなことを」
「愚かでもよい!鬼でもよい!彩女が戻ってくるなら、私は何でも…」

主の言葉が途切れ、その身体が無造作に投げ出された。
ごっと、嫌な音をさせて壁に当たり、そのまま床に落ちる。

人形が立ち上がった。
主をつかんで放り出した髪だけが、ざわざわと動いている。

「やはり狙いは神子だったか」
「え?」
「あの男は、利用されたにすぎぬ」

カタタン…。
人形が、一歩踏み出した。

「神子っ、逃げろ!」
泰明は印を結ぶと、人形に向けて術を放つ。

ガクン!…と動きが止まった。

……と見る間に、カクン…カクン…と人形は奇妙な音を立て始めた。

ポトリ……と、腕が落ちる。
クン……と首がずれる。

首のずれたまま、人形は笑った。
口が大きく横に広がり、そのまま顔が二つに裂けていく。

「あ…ああ…」
あかねが、ぐらりとよろめいた。
「見るな!神子」

泰明は、あかねを抱き留め、その顔を胸に押し当てる。
「泰明…さん」
腕の中で、あかねが震えているのが分かった。
我知らず、腕に力がこもる。

「走れるか?」
「はい」

しかし次の瞬間、
人形の髪が、部屋いっぱいに広がり、二人に襲いかかった。
あかねをかばった泰明の背に、髪は矢のように突き刺さる。

「ぐっ!」
泰明の顔が苦痛にゆがむ。
「泰明さん!泰明さん!!」

「神子、お前は無事か?」
「私は大丈夫です。でも、泰明さんが…」

……神子が…心配している。
「問題ない」

「あの人形は、心を…食らうんです。泰明さんの心が…」

……神子、悲しそうな顔をするな。
「私は心を持たない。だから心を食われることもない」

自分の中に、何かが入り込んでくるのを、泰明は感じている。
無駄なことを…と思う。

「泰明さん…」
神子が泣いている。
どうすればいい……?

そうだ…

「案ずるな、神子」
泰明は、微笑んだ。
いつも神子は、私の笑みを見ると嬉しげな顔をする…。
これで…神子は、笑ってくれるだろうか。

私は、お前のために在る。
お前のことは…必ず守るから…。


「泰明さん!」

……「泰明さん」…

…………「やす…あき…さん」


腕の中のあかねの顔が、その声が…遠ざかっていく。


なぜ……

なぜ……私は失う
なぜ……持たぬものを失うのだ

神子……神子……
私は……失いたく……な…





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