ひいなの (はこ)  〜9〜

泰明×あかね(「舞一夜」背景)

  


雨が本降りになった。

「何だよ、こんな時に」
空を見上げて天真が舌打ちする。
「せっかく、鬼を振り切って来たってのに」
「そんならオレだって同じだぜ。
でも、天気に文句言っても仕方ないじゃん」
「それはそれ、これはこれだろうが」

「天真先輩とイノリくんが、途中で会えてよかったと思ってたけど、
ずっとこんな風だったの、頼久さん?」
「はい」
「大変だったね」
「天真の口の悪いのには、慣れております」
「何だとーっ、頼久!」

「にぎやかなのはよいが、困ったね。雨はもっと激しくなりそうだ」

その言葉を待っていたかのように、雨足が急に強まった。

道がぬかるみ、馬は早く走れない。
何より雨に煙って視界が悪く、近くのものの影さえ、
建物なのか、生い茂った木なのか、判別がつかなくなってしまった。
皆の焦る心に反して、どうしても歩みは遅くなる。


その時、馬の耳がぴん、と立った。

頼久が片手で皆を制した。
「何か近づいてきます。ご用心を」

「ひぇぇぇぇ…」

「人の声か」
「何だか聞き覚えがあるぞ」
「…永泉様です!間違いないでしょう」
「若いと耳もいいのだね、鷹通」
「このような時に、そのような冗談を仰るとは」
「お困りのようです。お迎えに行って参ります」

ほどなくして、声の方向を頼りに雨の中を走っていった頼久が、
永泉と共に戻ってきた。
片手を伸ばして、永泉の馬の手綱も御している。
先程の勢いはどこへやら、永泉の馬はいかにも老馬らしく、とぼとぼと歩いていた。


「ああ、皆様にお会いできるとは、何と嬉しく心強いことでしょう」
永泉の目には、じんわりと涙がにじんでいる。
よほど恐かったのだ……友雅は内心おかしくもあり、
このお方が、よく頑張ったものだ、とも思う。
「お助けできて、我々もほっとしています。
馬から落とされていたなら、それこそ大変な一大事でございましたから」

「で、なんで永泉は、こんな所に来たんだよ」
イノリの言葉に、永泉は真剣な顔に戻る。
「おそらく、皆様と同じ理由かと思うのです」

「しかし、困ったものだね。せっかく八葉が集まったというのに、
このような篠付く雨では、方向を見失いそうだ」
「近くまで来ているはずなのに、申し訳ありません。
山はおろか、目印の建物さえ見えないこの状況では、道案内もままならず…」
「鷹通のせいじゃねえんだから、すまながるなよ」
「でも…こうしている間にも、あかねちゃん…」


とその時、雨を貫いて、ぐわん……と、何かが揺らいだ。
「ぐっ……!」
凄まじい気が通り抜け、一瞬、息がつまる。

「な、何だよ、今のは」
皆、肩で息をしている。

「泰明殿です」
永泉が、異変の起きた方向に顔を向けた。

「泰明殿が、何か忌まわしい結界を壊されたのです。
今流れた気は、消えゆく結界の一部でしょう」
「何だかボク、すごく嫌な気持ちがした…」
「呪詛を伴った結界ということかな。とすると…」
「おう!鬼のもんに決まってらあ!とっとと行こうぜ!」

「この気を辿っていけば、間違いなくその場所に行かれるでしょう」
「そこに、神子殿がいる…」
「案内よろしくな、永泉」





人形の髪は、泰明の身体にも巻き付き、ぎりぎりと締め付けていた。
泰明に抱かれたままのあかねも、一緒に捕らえられている。


「泰明さん…」
あかねが呼びかけても、瞳が、かすかに光るだけ。

だめだよ、泰明さん…。
私をかばって、あなたが身代わりに心を……なんて。


   『神子、お前は無事か?』

自分も痛くて辛いのに、私の心配をしてくれて

   『案ずるな、神子』

私を恐がらせないように、微笑んでみせて…

   『私は心を持たない。だから心を食われることもない』

そんなあなたが、心を持っていないなんて…!

私は、怯えていたんじゃない。
あなたがいたから、もう恐くなかった。

私は、あなたの優しさに…泣いていたの。
どこまでも純粋なあなたの心が……とても痛々しくて…。


人形の髪が、あかねを探り当てた。
針のような先端が、所かまわずあかねに刺さる。

つぷっ…つぷっ、つぷっ…

「…痛…っ…う…」

泰明さん…こんなに…痛かったのに……。

何かが、自分の中に入り込んでくる。

あかねは歯を食いしばった。

私は、負けないよ。
心を、食われたりなんか、しない!!


腕を、必死に伸ばす。

泰明の頬に手を当てた。
指先が、宝珠に触れる。

「泰明さん、戻って…」
宝珠に、熱が灯った。

宝珠に触れている腕に、髪が襲い来る。
が、あかねに触れようとした瞬間、弾かれたように離れた。

宝珠が熱い。


「呪われた人形!泰明さんを返して!!」





水の中のようにゆらゆらと、あてどなく漂う意識の底で、
泰明は仲間の幻を見た。
晴明を、兄弟子達の姿を見た。

幻は、波のように揺れて消える。
しかし、波のように揺れて蘇る。

水底の幻など、儚いものなのに……
なぜなのだ……

「泰明さん…」

遠くで、呼ぶ声がある。

「泰明さん」

その声が、幻をつなぎ止めているのだと分かる。

「戻ってきて」

声が、私を呼んでいる。

行かなくては…と思う。

しかし、大きな波が来た。
幻は、波の揺らぎの中に、飲み込まれて消えた。

ゆらゆらと揺れながら、泰明は一人になった。

「誰も…いないのか…」
ふいに襲ったこの気持ちは、何だろう。

気持ち?
私には、心がない。「気持ち」など、持たないはず。


「泰明さん」

声が…近い。
ゆらゆらと漂い、探す。

あたたかな声。
優しく、私を満たす声…。

と、透き通った美しい姿を見つけた。
それが手を差し伸べると、一つ、また一つと、
消えた幻が帰ってくる。


「神子…」

「泰明さん」

透き通った笑みがこぼれた。
咲き誇る花よりも、やさしく美しい笑顔。

「神子!」

泰明は急ぐ。
神子が、呼んでいる。

泰明は手を伸ばした。
神子も手を伸ばす。

二人の指が触れ合った時、
透き通った姿は、みるみるはっきりと形を成した。






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