夢喰観音 1

泰明×あかね ゲーム本編中


「どうした、神子。これで六度目だ」
泰明が立ち止まり、小さく首を傾げてあかねの顔を見た。

「す、すみません!」
出かかっていた六回目のあくびを、あかねは必死で押さえ込む。

「なぜ謝る。神子を責めてはいない。案じているのだ」
永泉も心配そうに言った。
「今日の神子は、どことなくお疲れのように見えます。
どうかご無理はなさらないで下さい」
「土御門に戻るか、神子」
泰明の眼は真剣だ。

ふるふるふると、あかねは慌てて首を横に振る。
「そ、そうじゃないんです。心配かけてごめんなさい。
夕べは風の音で目が覚めて、そのまま寝付けなかっただけで…」

永泉がほっとしたように頷いた。
「そうでしたか、神子。確かに昨夜の風は野分のように激しいものでした。
夜中に目覚めてしまうのも仕方ありません」

「でも、もう大丈夫です」
あかねは元気よく言った。
「歩いているうちに、目が覚めてきましたから。
それに今日はこんなにいいお天気だし、
お休みしたらもったいないです」

永泉は青く澄んだ空を仰ぎ見た。
風に吹き払われ、見渡す限り一筋の雲もない空だ。
「本当によい日ですね。
私のような者にも、清浄な気が巡り始めているのが分かります」
「神子、お前の努力は形となって現れている。
五行が均衡を取り戻す日も近いだろう」

あかねはにっこり笑った。
「早く、そうなるようにがんばらなくちゃいけませんね。
さあ、行きましょう」

「そうだ。早くそうなるように…すべきだ、神子」

「では、今日は洛中を回ってはどうでしょうか、神子。
あまり眠っていらっしゃらないのでしたら、
遠出はなさらない方がよいと思うのですが」
「ありがとうございます、永泉さん」





あかねの睡眠不足――
昨夜の大風がもたらしたものは、これだけのように思えた。

京の街に大きな被害はなく、
左大臣の土御門でも、木々の葉や花びらが吹き散らされた程度。

しかし京の南の宇治では、洛中のように遮る物が少ないためか、
点在する貴族の別荘に少なからぬ被害が及んでいた。

その中の一つ、左大臣の別荘では、
朝から総出で壊れた箇所の確認やら修繕やらで大忙しだ。

この別荘自体が古い由来を持つ建物ということもあるが、
彼らが急いでいるのは、明日から数日間、左大臣の嫡男田鶴君が
滞在することになっているから、というのが主な理由だ。

そんな中、乾の古い蔵を調べていた家人が、
扉の反対側の壁が大きく崩れているのを見つけた。
蔵といえば、代々の大切な品が納められている場所。
すぐに人を呼び、納められていた物が無事かどうか確かめに入る。

「おおっ!」
「美しい…」
真っ先に皆の目に飛び込んできたのは、漆黒の厨子であった。
外界の光を受けて、なめらかな漆塗りの表面と透彫の金具が輝く。

背面には、精緻に描かれた模様と共に、
金泥で元号、干支と「夢違観音」の文字。

しかし、この厨子にふさわしく、中にはさぞ立派な仏像が…と
期待を胸に皆が正面に回ってみると、そこには意外な物があった。
厨子の扉に、閂がついているのだ。

これほどの厨子だ。所有していたのは明らかに高貴な身分の方。
そのような方が、閂など必要とするだろうか。

とはいえ、このまま厨子を外気に曝しておくことはできない。
「御仏に傷などつけてはならぬ。中の仏像と厨子は別々に運ぶことにしよう」
宇治殿を預かる家令が、厨子に向かって合掌してから閂に手をかける。

しかし
「む…どうしたことだ」
横に滑らせるだけの簡単な閂が、びくとも動かない。

かすがいに通してあるのは朱塗りの棒だから、錆び付いているのではない。
横棒と、かすがいの間には隙間もある。
なのに、動かない。

いろいろ試みても結果は同じ。
忙しい中でこれ以上時間を費やすことはできないと判断した家令は、
その場で閂を外すことはあきらめ、厨子を閉じたまま
屋敷の中へ移動させることにした。

大人の身の丈ほどの厨子を丁寧に布でくるみ、数人がかりでそっと運び出す。
屋敷の来歴からして、この厨子が御物であっても不思議はない。
大事に扱っておくに限るのだ。

厨子は西の対の母屋にある塗籠に慎重に置かれた。
その後から、蔵に納められていた主立った貴重品も次々と運び込まれる。

最後の品を納めると、扉を閉じて家人達は立ち去り、
塗籠の暗闇に、ごとり…と音がしたのを、誰も聞くことはなかった。





その夜、あかねは心おきなく大きなあくびをすると、
穏やかな菊花の香に包まれて床に入った。

今日は「神子としての自覚がない」って叱られるかと思ったけど、
泰明さんも永泉さんも、あきれたり怒ったりしないで、心配してくれた。

京に来たばかりの頃とはずいぶん違うな…。
考えてみたら、あれからふた月以上も経ったんだ。
いろんなことが変わったけれど、何も変わってはいないものも、たくさんある。
でも、私にしかできないことがあるなら、がんばるしかないんだ。
明日は絶対に、歩きながらあくびなんかしない!!

勇ましい決意と共に、あかねは眠りに落ちた。





一方泰明は、あかねを土御門に送り届けて安倍家に戻るなり、
すぐその足で、兄弟子達と怨霊の調伏に出向いていた。

貴族の寂れた屋敷に潜んだ怨霊をあぶり出すのに手間取り、
待機している兄弟子の一人が、思わず「ふああ…」とあくびを漏らす。
つられて、一人二人三人…

と、怖ろしい視線を感じて、兄弟子達のあくびは途中で引っ込んだ。
「ななな何だよ、泰明。夜なんだから眠いんだよ」
「そーだそーだ」
「仕方ないだろ」
「陰陽師としての自覚がないのか」
「ごめんなさい」
「でも」
「もう少し優しくしてくれても」
「務めの最中にあくびをするような者を責めるな、案じよ、というのか」
「むぐぐ…あ、ちょうどいいところに」
「怨霊が出てきた」
「早く調伏して帰ろう」

「そうだ、早くそうすべき…だ」
泰明はずいっと前に進み出た。

「キシャァァァッ!!!」
怨霊が泰明めがけて飛びかかる。

「わ」
「泰明」
「あぶな…」

しかし次の瞬間、泰明の放った呪符が怨霊に吸い込まれ、
ぼふん…と鈍い音がしたと同時に、怨霊は黒い煙を吐いて倒れた。

すかさず兄弟子達が怨霊を取り囲み、泰明はその場を下がる。
調伏は彼らに任せておいて問題ない。

泰明は空を見上げた。
秋のように冴え冴えと月の輝く夜だ。

このように静かな夜なら、神子は心安んじて眠れるだろう。
………神子。
なぜだろう、お前のことを考えると、胸がとても苦しい。

泰明は小さく首を傾げる。

私は、壊れかけているのだろうか。





田鶴君を迎える準備も整い、宇治殿の人々が眠りに就いた深夜、
真っ暗な塗籠の中に、淡い光を帯びた人影が現れた。

豪奢な束帯を纏ったその男の髪は、艶やかな黄金の色。
だが顔は白い仮面に隠され、表情は窺い知れない。
赤い唇だけが、冷ややかな笑みの形を作っている。

ひっそりと闇に沈む厨子に向かい、その赤い唇が何事かを囁く。
と、中でがたり…と何かが動いた。

男は低く抑えた声で嗤う。

「黒塗りの厨子に不似合いな朱の閂。これだけで意味が知れようものを。
それでも開こうと試みるなど、人間とは愚かなものだ」

男は白い手を伸べ厨子に向けた。
と、鋭い音が響き、閂に通した横棒の朱色が、みるみる褪せていく。

「そして、この程度の封印も破れぬとは」
男の冷笑が歪んだ。

「この世の闇に数多蠢く、知らぬ方がよいこと、開かぬ方がよいもの」
開いていた手の指を曲げ、人差し指だけを伸ばして横に動かす。
「この扉もまた……」

色を失った横棒が、つうっと滑って閂から外れた。
床に落ちる乾いた音と同時に、厨子の扉が音もなく開く。

闇を透かしても、男の眼には中の観音像がはっきりと見えた。

「礼を言うぞ、鬼」
しわがれた声と共に、像の口が生き物のように横に広がり、
中で長い舌がちろちろと動く。


絶え間なく流れる宇治の川音も、この塗籠には届かない。
音のない闇の中に這い出してきたものを、
男は冷ややかに見ていた。


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タイトル通りのお話です。
こういうストレートな題名(つまり、ネタバレしている題名)は、
これまで一生懸命避けてきたのですが……。

まあ、何事も挑戦です。
粉砕玉砕大喝采(by某社長)な結果になっても
書き手が落ち込む以外の被害はないし。

というわけで、なまあたたかく見守って頂ければ幸いです。


2010.10.23 筆