夢喰観音 3

泰明×あかね ゲーム本編中


宇治殿の渡殿は、冷んやりとして薄暗く、
館に入った時から、あかねは沈鬱な気分に襲われている。

――なぜだろう。
空が翳ってきているのかと思い、連子格子の外を見ても、
降り注ぐ陽の光は先ほどから変わっていない。
南池のきらめきが、太陽が隠されていない何よりの証拠だ。

藤姫からの書状を読んだ家令が自ら先に立ち、
あかね、泰明、頼久の三人を、西の対へと案内している。
田鶴君が土御門に帰り、留守を預かる家人ばかりとなった宇治殿は、
ひっそりと静まりかえり、日中というのに館の中に人の動きはない。

「静かすぎる。用心しろ、神子」
最初にそう言ったきり、泰明は何も言わない。
頼久が寡黙なのもいつものこと。
まして、普段は上がることの許されない場所を通るとなればなおさらだ。
しん…と静まりかえった館の中には、家令の足音と、ぜえぜえとした息づかい、
あかねの立てる小さな足音しか聞こえない。

急に老け込んだ様子で、背を丸めて前を歩く家令によれば、
この静けさは、館の者達が伏せってしまっているからだという。

「具合の悪い人がいると聞いていましたけれど、これほど多いとは知りませんでした」
あかねの言葉に、家令は肩を落として頷いた。
「田鶴様があのような時に、我々までもが…などとは申せませんので」
「辛かったら、無理しないで休んで下さい。
場所が分かれば、私達だけで行きますから」
あたたかな言葉に心和らぐものを感じながらも、家令は頭を振った。
「務めでございますので」
「当然だ。務めは果たせ」
「はあ…その通りでございます」

家令は密かにため息をついた。
――なぜ藤姫様はこの三人を土御門から遣わしたのだろう。
姫様からの使者というので会ってみれば、顔を合わせたとたんに
「蔵から見つかったという観音像を見せろ」と命じられたのだが、
唐突な依頼の理由を問うてみれば、とうてい信じがたいことばかり。

この無愛想この上もない陰陽師によれば、
館の者達の不調、さらには田鶴様の病もまた、
観音像が原因となっているらしいという。
だが、尊くも美しい観音様の像が、そのような怖ろしいことをするだろうか。
それもただの仏像ではない。おそらくは数代前の帝の念持仏――。

御仏に関わることだけに、疑うだけでも畏れ多いことのように思える。
それに、そもそも像は像だ。どのようにして人に害を為すというのか。
しかし、「それを確かめに来た」と素っ気なく言われてしまえば、断りようもない。

「陰陽師殿、観音像が元凶というのは、どうにも信じかねますが…」
家令は再び、おそるおそる言ってみた。
が、返ってきたのはぶっきらぼうな命令口調の言葉。

「静かにしていろ」
泰明が足を速め、家令の前にすうっと歩み出る。
その手に呪符があるのを素早く見て取った頼久が、左手を剣の柄にかけた。
「泰明殿、この先に何か」
泰明は西の対の入り口に鋭い視線を向けたまま答える。
「先ほどから、館の澱んだ気の中に微かな瘴気が混じっているのを感じていた。
その源は、この先にある」

「怨霊ですか?」
あかねが問うたとたん、家令は悲鳴を上げた。
「ひっ! …お、おおお怨…?!」
だが、後ずさりして逃げようとする家令が見たのは、信じられない光景だった。

真っ先に逃げ出すはずの若い娘――藤姫様の書状には、
尊いお方…とだけあるが、 どう見ても、ただの街娘だ――が、
足を震わせることもなく 扉に向かって歩いていくのだ。
武士団の若棟梁は家令に向かって頭を下げ、落ち着いた口調で短く言う。
「危険があるかもしれません。どうか、退がっていて下さい」

家令の目の前で扉に五芒星の形が光り、三人はその向こう…
西の対へと入っていった。

しかし……


「この厨子…で間違いないの?」
「大きさも作りも、聞いている通りのものです、神子殿」
「像がここにあったのは確かだ、神子。まだ僅かに陰の気が澱んでいる。
私達が来るのが遅かったということだ」

暗い塗籠の中、三人の眼前には扉の開いた厨子がある。
だがそこに夢違観音の像は無く、
蓮の花を象った優美な台座が残っているだけだ。

頼久の掲げる手燭の灯りが、頼りなげに厨子の中を照らしている。
その周りは闇に沈み、蔵から運び込まれた品々は黒い塊となって、
形も定かではない。
あかねは周囲を見回し、小さく震えた。

――寒いのだろうか?
泰明はそう考え、すぐに別の可能性に思い当たる。

神子は、この暗闇が怖ろしいのかもしれない。

掌を上に向け小さく呪を唱えると、
幾つもの淡い光が蛍のように飛び立った。
塗籠の中が、柔らかな薄明かりに包まれる。

あかねの眼が大きく見開かれ、強張っていた肩から力が抜け、
驚きの表情が安堵の笑みへと変わって、泰明に向けられた。

「ありがとうございます、泰明さん」
なぜか一瞬胸がつまり、泰明はゆっくりまばたきをして答えた。
「礼には及ばない、神子」

その時、厨子の周囲を調べていた頼久が、何かを手に立ち上がった。
「厨子の脚元にこのような物が」

それは、干涸らびて色褪せた細長い棒状のもの。
これまでに聞いた経緯から、用途は明らかだ。
泰明が頷くと、頼久は厨子の扉を閉め、閂のかすがいにその棒を通した。

「ぴったりですね。でも、厨子に比べてずいぶん古いような気がします」
あかねの言葉に、頼久も頷いた。

「閂は元々このように古いものだったのか」
泰明の言葉は、おっかなびっくり塗籠の側まで来ていた家令に向けられたものだ。

「お…怨霊は…どうなりました」
閉じた扉の向こうからいきなり声をかけられて驚きながらも、
家令は一番大事なことを問うた。
「ここにはいない」
「は〜よかった…」
「安堵するのは早い。入って来るのが怖ろしいならそこで答えろ。
厨子に付けられた閂は色褪せてひび割れていたか」

家令は首をひねった。
扉が開いた後は、閂のことなどすっかり失念していたのだ。
しかし、閂を外そうとして苦闘したのは彼自身。
「はっきり覚えておりますが、ひび割れなどは見えませんでした。
鮮やかな朱の色で塗られておりまして、それはもうつやつやと滑らかな手触りで」

「もう一つ、尋ねる。館の者が観音像を最後に見たのはいつだ」
今度はすぐに答えが返った。
「昨夜、私が寝る前に確認しました。
今朝は田鶴様ご出立の準備で慌ただしく、誰も西の対には入っておりません」

「分かった。お前はそこで待っていろ」
「は…はい……」
有無を言わさぬ泰明に、家令は逆らう元気も失せ、しおしおと従う。

泰明は色褪せた棒をかすがいから外し、干涸らびた表面に指先を滑らせた。
指が触れた後に瞬きほどの間、次々と金色の梵字が浮かんでは消えていく。

最後の文字が消えると、息を詰めて見ていたあかねが尋ねた。
「泰明さん、その文字は何ですか」
「陰陽師の使うものとは異なるが、魔を封じる呪法の一つだ」
「それが厨子に取りつけられていた…ということは……」
「観音像は、魔のものとして封じられていたのですか、泰明殿」

泰明は頷き、厨子の後ろに回って背面に書かれた元号と干支を見た。
「この厨子が作られたのは、百年も前のことだ。
それ以来ずっと、封印の力は続いていた。
呪法を施したのは、法力の高い僧だったのだろう。
まだ僅かながら力の残滓を感じる」

「封印が解けたのは時が経ったからではない…って
泰明さんは考えているんですね」
「そうだ、神子。封印を破ったのは鬼。
おそらくは、首領のアクラム自身だ」
「しかし泰明殿、なぜ鬼の仕業と分かるのですか」

「強力な呪を破るには、それ以上に強い力が必要だからだ。
そのような力の持ち主は、お師匠と鬼の首領しかいない」
淡々と答えると、泰明は懐から何も描かれていない紙を取り出して
厨子の蓮台に置いた。

気を集中させ、印を結び眼を閉じて呪を唱え始める。
淀みなく流れる呪に呼応して、紙が小刻みに震え出した。
あかねと頼久が息を呑んで見守るうちに、紙はふわりと浮かび上がり、
ひらひらと舞いながら厨子の外へ出て、再び泰明の手の中に収まった。
紙を両の掌でぴたりと挿むと、泰明は塗籠の扉に向き直る。
と、扉がひとりでに開き、泰明は外界の光に向かって腕を伸ばした。

「行け」
合わせた手を開いた瞬間、紙吹雪の渦が塗籠を満たした。
あかねと頼久が眼を見張る中、渦は扉の外へと流れ出ていく。

「もうご用はお済みで…」
覗き込んだ家令が、「ひっ」と叫んでのけぞった。

紙吹雪の行く先を眼で追いながら、泰明は塗籠を歩み出る。
あかねと頼久もそれに続いた。

紙吹雪は、小さな紙を雪片のように点々と落としながら、
泰明達の来た方向へと飛んでいく。
紙の跡をたどって進むにつれ、泰明の顔が険しくなり、
泰明の術の意味を察した頼久は、足取りを早めた。
駆け足で二人の後を追うあかねにも、次第に状況が飲み込めてきている。

千切れた紙の最後の一枚が落ちていたのは、車宿の前。
牛車を止めておく場所だ。
その紙を拾い上げ、泰明は高く昇った陽を仰いだ。
「遅かった。だが、今から戻れば夕刻には着く」
頼久は、小走りに追ってきた家令に頭を下げた。
「一刻を争います。どうか、こちらの馬をお貸し下さい」

ここに至って、家令の我慢は限界に達した。
「ふ…藤姫様からの遣いならばと、これまで黙って言う通りにしていたが、
無礼にも程があるというものだ。
そもそも、棟梁の嫡男とはいえ、警護の武士が」
「頼久の言ったことが聞こえなかったか」
声を荒げた家令の言葉を、泰明は表情一つ変えず遮った。
「それとも、意味が分からないのか。
一刻を争うとは、土御門に大事が起きぬよう
早く戻らねばならないということだ」

怒りに赤く染まっていた家令の顔が青ざめた。
「土御門……さ…さ…左大…に…何事が起きると…」

その時あかねが、ぺこんと頭を下げた。
「急なお願いをしてすみません。でも、とても大切なことなんです。
今からちゃんと説明します。というか、泰明さんに説明してもらいます。
その間に頼久さんが馬の用意、ということでいいですか?」
「そそそれで…よい…」
「分かった、神子」
「直ちに」

そして――
「夢違観音は土御門に向かった」

頷かない家令に、なぜこれだけで分からないのかと不思議に思いながら、
泰明は「ちゃんと説明」するべく、一から順を追って話した。

夢違観音の正体はまだ分からないが、
それがただの仏像でないことだけは確かだ。
なぜなら、観音像の置かれた塗籠周辺はおろか、
厨子の中にまで瘴気が漂っていたからだ。

しかし、観音像はすでに無い。

泰明は、厨子から出た瘴気がどのように移動いたのか、
痕跡を辿る術を施した。

その痕跡が車宿まで続いていたのだ。
これは、瘴気を放つものが牛車に取り憑いて
宇治殿を後にしたことを意味するのではないか。

そしてここしばらくの間、宇治殿に出入りした牛車は
田鶴君を乗せたものだけ。
つまり姿を消した夢違観音の向かった先は、土御門。
今頃はもう、到着している時分だ。――

泰明の話を聞いた家令は、今にも泡を吹いて倒れそうな様子だ。
頼久が馬を引いてくると、挨拶もそこそこに三人を送り出す。

彼らの姿が門の向こうに消えるやいなや
その場にへなへなと座り込んでしまった家令を、
遠巻きに見ていた家人達が助けに駆けつけた。





馬上の泰明の手から、呪符が飛ぶ。
次の瞬間、それは黒と黄の模様を持つ鷺となり、空高く舞い上がった。

一直線に北へと向かう式神を見送る三人の思いは同じだ。
「藤姫に早く伝言が届くといいですね」
「だが鬼が絡んでいる。油断はできない」
「泰明殿、夢違観音の正体は何でしょうか」
「まだ分からない。だが、厨子に残っていた瘴気は怨霊のものだった。
観音像の姿を模して人々をおびき寄せているのか、
あるいは、元はただの像であったものが怨霊に変じたのかもしれない」
「長い間厨子に封じられていたなんて、とても怖れられていたんですね」
「それが田鶴様の牛車に取り憑き、土御門へ運ばれてしまうとは」

太陽が刻々と西に傾いていく。
だが夏の日は長い。まだ明るい内に土御門に着けるはずだ。

夢違観音が徘徊するのは夜。
それまでに土御門に戻れば、たとえ観音像が牛車から離れて
屋敷のどこかに潜んでいたとしても、探し出すことができる。

――その前に何事も起きなければいいのだが…。

一抹の不安というには重すぎる胸苦しさを感じながら、
三人は洛中への道を急ぐ。


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起承転結の転・その一です。
なので次回は、転・その二になります。
タイトルでネタバレしているので、構成もネタバレです。

これから他の八葉メンバーも登場しますが、
とりあえずこんな感じで、まだ少なくとも3話ほど続きます。
おつきあい頂ければ幸いです。


2010.11.11 筆