夢喰観音 10

泰明×あかね ゲーム本編中


淡い光が巨大な怨霊の姿を浮かび上がらせた。
獏は長い舌を揺らしながら、身体中の毛を逆立てている。

「んまそうなもので儂を釣りおったか、この忌々しい陰陽師めが!」
「帝の血筋を好むとは、お前が自ら明かしたことだ」
あかねを片腕で支えながら、泰明は獏に向き直った。

「帝の…血筋?」
一瞬あかねはきょとんとしたが、すぐに永泉のことに思い当たる。
内裏の入口で足止めされながらも、永泉は必ず後を追うと言っていたのだった。

「泰明さん、もしかして永泉さんのことを話しているんですか?
まさか、永泉さんを囮に? それってひどいじゃないですか!!
永泉さんは、大丈夫なんですか!?」

泰明は小さく首を傾げた。
「怒っているのか、神子?
帝の血筋とは当然、永泉のことだ。
永泉は、神子を助け出すために眠りのまじないを受けた。
それ以外に、私がここに来る方法がなかったからだ。
だから今、永泉は深い眠りに入っている。
しかし友雅が側についているから心配ない」

「私を……助けるために……
もし失敗していたら、永泉さんは」
泰明は頷いた。
「このやり方が危険であったことは事実だ。
永泉の夢を喰らおうと、闇の境界を突き抜けて獏が現れるのは一瞬。
機を誤れば永泉は喰らわれ、私は獏を捕らえることはできなかったはずだ」

「小賢しい真似をしおって!!」
獏はぎぃぎぃと耳障りな声で吼えると、太い後ろ足を蹴って、
二人の頭上から襲いかかってきた。

あかねを抱え、泰明は大きく横に飛ぶ。
あかねに危険が及ばぬよう、十分に距離を取ったのだ。

しかし、その刹那、獏の巨躯が膨れ上がった。
獏との距離は無いも同然。
泰明の傷ついた肩の間近で、追ってきた獏の牙がガチッと鳴る。

獏はぎろり、と泰明を睨み、次いで下瞼をすっと上げた。
「逃げられんぞ、陰陽師。ここは儂の住処じゃ」

同時に、獏の前足が空を切る。
が、泰明の読みの方が早かった。
獏の巨躯を潜り抜け、巨大さゆえに大きな盲点となった真後ろに回る。

僅かに得た、獏からの攻撃のない時間。
しかし泰明は、その好機を反撃のために使うことはしなかった。

「神子、気を静め、呼吸を整えろ」
そう言うと、あかねに向かって両の手を合わせて印を結び、
淀みなく呪を唱え始める。
「泰明さん…?」

「儂を見くびるか!」
身体を回した獏が、鋭い鈎爪を振り下ろした。
しかし、反射的に身を縮めたあかねの上で、その爪が音もなく止まる。

「神子の周囲に結界を張った」

短く素っ気ない泰明の言葉に、あかねは自分の周りを見回した。
空気が帯電しているような微かな刺激と、時折青く揺らめく光が、
あかねと泰明を包んでいる。

「これで、神子には獏の爪も牙も通らぬ。
少し離れていろ。やつを倒す」
そう言って、泰明は結界をすっと抜け出た。

「泰明さん! 泰明さんも、自分に結界を」
「不要だ」
「でも、獏の力は」
「問題ない。その結界は、神子を私の術の余波から守るためのものでもある。
機が訪れるまで、下がっていろ」

「勝手なことをぬかすでないぞ、こわっぱ!」
獏は驚くべき速さで体勢を立て直すと、両前足で泰明を捕らえた。
「お前なんぞは喰らわん。噛み砕くだけじゃ」
力任せに押さえつけ、容赦なく鋭い牙を突き立てる。
「泰明さん!!!」
結界の中で、あかねの悲鳴が凍り付く。

と、次の瞬間、獏の巨体が何かに弾かれたように宙に舞った。
その真下で、泰明が片腕を真っ直ぐ獏に向けている。
唇が呪を紡ぐたび、鮮やかな光を放つ五芒星が次々と獏を取り囲んでいく。

獏は闇雲に暴れもがき、己を捕らえようとする呪縛を手当たり次第に砕いた。
針のように鋭い気の破片、かまいたちのように渦巻く気の刃が辺りに飛び散り、
あかねを包む結界がバチバチと火花を発して光る。

だがしばしの後、桔梗の形をした光の帯は獏を二重三重に縛し、
巨躯の動きは完全に押さえられた。

「ば…馬鹿な…ここは儂の…場所じゃ」
獏は空中で太い四肢をばたばたと動かし、咆哮した。

「そうだ。ここは夢と現との境。
観音像に喰われたお前の住処だ」

泰明が腕を下ろし、ついと後ろに身を引くと同時に、
獏が横倒しにどすんと落ちてくる。

動きを奪われているにも関わらず、獏は喉から奇妙な音を出した。
「人ならぬ陰陽師よ、よく気づいたものじゃ」

泰明はにべもなく言う。
「それもまた、お前が自ら明かしたのだ。
獏の世界は夢と現の間。ならばどこにも逃げ場はあろうものを、
お前は観音像に戻るのみだった」
「儂ぁ、そんなに分かりやすかったかのう」

のんびりした言葉に聞こえるが、獏は狡猾だ。
泰明は鋭い視線を獏に据えたまま、あかねを呼ぶ。
「神子、獏はもう動けない。今のうちに封印を」
「はいっ」

泰明の側に走り寄ったあかねに向かって、獏は下瞼を持ち上げた。
不気味な形だが、これは笑い顔のようだ。

「封印とな? やっぱりお前さん、んまそうなのも道理じゃ。
じゃが、そんなにうまくいくかの?」

その言葉に、獏に向けたあかねの手が止まる。
「夢喰…観音」

泰明がすぐに聞きとがめた。
「神子、夢喰観音とは何だ」
「夢違観音像のことです」

息もつかせぬ戦いの連続で、まだ泰明には言っていなかったのだ。
あかねは口早に続けた。
「泰明さんが来る前に、アクラムが現れて…」
「アクラムが、ここにいたのか!?」
「はい。でも、私が一緒に行くのを拒んだら、消えてしまいました。
その時に、観音像には鬼の呪詛が仕込まれていると言っていたんです。
昔の宮人が、アクラムの先祖に頼んだそうです。
だから、呪詛を浄…」

その瞬間、あかねの言葉を遮るように、闇が落ちた。
泰明の灯した光が、全て消え去ったのだ。

「あ……」
「神子! 手を!」
「泰明…さん」

あかねの側にいたのが幸いした。
伸ばした手が互いに触れ合い、あかねは泰明の腕にしがみつく。

『させぬぞ』

どことも知れぬ場所から、低く歪んだ声が闇に滲み出た。
それは声と言うより、音に近い。
空間そのものが、いびつに振動しているようだ。

『現から来た者……
終わらぬ悪夢の中で
朽ちよ』

二人の周りに瘴気が満ちた。
泰明の結界がなければ、息を奪われていただろう。

だがその結界が内側にたわんだことを、あかねは感じた。
周囲の瘴気は次第に濃密になり、結界を押し潰そうとしているのだ。
結界から伝わる感覚は、強くびりびりと耐え難いほど。

「神子、気が乱れている」
泰明の冷静な声が、恐慌に陥りそうになったあかねを引き戻した。
あかねの手の上に、泰明の掌が重なる。

「痛いのか、神子」
「いいえ」
「怖いか」
「いいえ、もう大丈夫です」
「では、呪詛について尋ねてもいいか」

そこであかねは、はっとした。
泰明の言葉の真意に気づいたのだ。
無駄を嫌う泰明が、呪詛のことを最初に聞かなかった――。

こんなに大変な時なのに、私を心配してくれたんだ。

闇の中で、あかねはにっこり笑って答えた。
「はい」

「観音像についてアクラムは正確には何と言ったのか、思い出せるか」
「ええと……」

時間がない。あかねは焦る気持ちを抑え、
一つ一つ、会話の記憶を辿る。

「まず、アクラムが現れた時に、観音像のことを夢喰観音と呼びました。
最初は夢違観音だっただろう、とも言いました」
「観音像は初めから呪詛のために造られたのではない、ということか」
「はい。その後、帝を呪詛するために、アクラムの祖先が呪詛を仕込んだんです」

「鬼によって仕込まれた呪詛が、夢違観音を夢喰観音に変えたのか。
神子は、その呪詛を浄化しよう、と言いかけたのだな」
「はい。観音像から感じた嫌な感覚は、四神の呪詛によく似ていますから、
浄化できると…思います」

「いや、神子ならば必ずできる。
だからこそ夢喰観音は神子を怖れ、このように攻撃してきたのだ」

『消えよ』
みしり…と結界が軋む。

「消えぬ!!」
泰明は、重ねた手をそっと離した。

「泰明さん…」
「案ずるな、神子。お前のことは必ず守る。
何も怖れることはない」
そう言って泰明は、ぱんと両の手を合わせた。
眩い光が、桔梗の形に拡がる。
だがその光が照射するのは、漠たる闇の空間ばかりだ。

しかし、あかねを包む結界は力を取り戻した。

「光は闇を祓う。私の術が続いている間に、
心を研ぎ澄まし、呪詛を探せ」
「はい!」

あかねは眼を閉じた。

心を落ち着けて……
呪詛の石と似た……あの冷たく禍々しい感覚を……探す。

周囲の瘴気が祓われたせいだろうか。
まるで暁の前に訪れる静寂の時間のように、何もかもが静かだ。
そんな時には、遠い遠い音が聞こえてくるものだ。

耳を澄まさなければ聞こえない、意識の端をかすめて通り過ぎる音……。
でも、それに気持ちを向ければ、はっきりと分かるのだ。
それが存在することが……。

瞳を閉ざした視界と、張り詰めた聴覚を、何かが微かに掠めた。

「ありました!」
意識を集中させれば、闇の向こうに潜むその姿が、はっきりと見える。

暗紫色に凝り固まった楔が、禍々しい気を発しているのだ。

「それはどの方向だ、神子」
「あっちの方で……や…泰明さん!!」

眼を開けたあかねは、結界の外で印を結ぶ泰明を見た。
静寂の理由が分かった。
術が続いている間…という言葉の意味も分かった。

泰明は、自らの身を瘴気にさらしながら、
あかねを包む結界の周囲にさらに大きな桔梗印の結界を張っていたのだ。
桔梗印の中は、瘴気の祓われた凪の空間ともいうべきか。

だがその外側に立つ泰明は、酷い有様だ。
獏に切り裂かれた陰陽装束が瘴気によって腐食し、変色して溶けかけている。
剥き出しになった肩の傷口が、黒く泡立っている。

立ちすくむあかねに、泰明は視線を向けた。
「どうした、神子。見つけたと思ったのは誤りか?
ならばもう一度試みれば」
「泰明さん…」

泰明は首を少し傾げる。
「神子、なぜ泣く。今は無駄に時間を費やす時ではない」
「泰明さん……そんなにまでして私を守らなくても…」

泰明は、ゆっくりとまばたきした。
「神子、八葉は神子の剣であり、盾でもある。
私を案じる必要はない」
そう言って、小さく微笑む。
「呪詛の在処に向かって歩め。私は、お前の進む先の闇を祓う。
そうすれば、お前は過たず呪詛までたどり着けるだろう」

あかねはごしごしと眼をこすった。
そう、今は呪詛の浄化が一番大事なこと。
そして……

あかねは、泰明につかつかと歩み寄った。
あかねを守る結界の中に、泰明も入ってくる。
「神子、これでは意味がない。
私が外にいた方が、この結界は強くなる」

身を引こうとした泰明の袖を、あかねはぎゅっと握りしめた。

「泰明さん……一緒に行きましょう」


次へ





夢喰観音  [1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9]  [11]  [12]

[小説・泰明へ] [小説トップへ]


今回で完結…かと思っていたのに、
書き込んでいく内に……(滝汗)

これからしばらくサイトをお休みしますので
次回更新までとっても間が空いてしまいます。
ごめんなさい!!!
またウェブに戻ってきましたら、
これまでの話と同じように、必ず完結させます!!!


2011.1.13 筆