夢喰観音 12

泰明×あかね ゲーム本編中


封印の光が消えると同時に、ぱきん…と何かの割れる音がした。

音の源は、呪詛の楔があった場所だ。
そこに、観音像が倒れている。

鈍色の霧のような薄闇の中、慈悲の微笑みは変わらぬままだ。
しかしその身体には、心の臓に当たる位置を中心に、
亀裂が四方に走っていた。

「楔が消えたから…なんですね。とても痛々しいです」
あかねの悲しげな声を背に、泰明は油断無く観音像に近づく。
だが、歩を運ぶ内に分かった。
もう夢違観音像には凝り固まった念も穢れも、暗い力の残滓もない。

膝を曲げて身を屈め、像を拾い上げようと手を触れる。
その瞬間、観音像は笑みをたたえたまま音もなく崩れ去った。

泰明の背中越しに見ていたあかねが、驚きの声を上げる。
「観音様が……消えた…」

「神子によって、この像は呪詛から解き放たれたのだ。
悲しむ必要はない」
泰明は振り向いてあかねを見上げ、小さく微笑む。
「神子は獏を封印し、呪詛を浄化した。
闇も薄れつつある。ここが現の空間に戻るのも間近い」

「そうですね…これで全部終わったんですよね…」
あかねはにっこり笑った。
「よか…っ……」

言の葉が花びらのように、はら…と散り落ちる。

「神子!」
咄嗟に下から支えた泰明の腕に、あかねが倒れてきた。

瘴気を浴びたのか。
なぜすぐに言わなかった。

だが、泰明の言葉は口の端に上る前に止まる。

腕の中にあかねを抱き留めた瞬間、
柔らかな唇が、白い呪をかすめて通った。
一瞬の知覚が引き延ばされる。

眼を閉じ、青ざめた頬をしたあかねの顔が近づき、
肩を支えた泰明の腕の中で僅かに角度が変わり、
唇が触れて――

熱い。
その一点に、全ての感覚が集まっていく。
これまでに触れた何よりも熱い。
熱がもたらす耐え難い疼きが、胸の中に同じ熱をもたらす。

「神…子……」

腕の中のあかねは、規則正しい呼吸をしている。
気を失っているが、大事はない。

無意識のうちにそれだけ確かめると、
泰明はあかねの瘴気を祓った。

撫物の札を使い、祓えの呪を唱えると、
あかねにまとわりついていた瘴気が札に集まり、ちりちりと黒く縮んで消える。

「神子…瘴気は祓った。もう問題ない……」
小声でささやくが、あかねは眼を開かない。

泰明は小さく首を傾げた。
さらに陰陽の術を施せば、気を失っているあかねを目覚めさせることは容易い。
だが、そのようなことをする気持ちになれないのだ。

昨日からのことを思えば、あかねが倒れてしまうのも無理からぬこと。
全てが解決した瞬間、張り詰めていた気持ちがふつり、と切れたのだろう。

――神子、しばし休むといい。

あかねの髪をかき上げ、額に手を当てて眠りの呪を唱える。
泰明が見守る内に、青ざめた頬に血の気が戻り、
あかねはすうすうと心地よさそうな寝息を立て始めた。

腕の中にある頼りなげな軽さ、薄い肩。
伝わり来るあたたかさ。
小さく開いた唇の、淡い花の色。

神子は弱く、それでいて強い。
恐怖を知らぬ自分と、怖れの中にあって折れない神子。
その清浄なる強さの意味を問うたなら、神子は何と答えるのだろうか。

いや、神子とは、あるがままに在る者。
伸びやかに、ひたむきに、真っ直ぐに。

神子……お前の眼は、何を見る。
お前の心は、何を求める。
お前の眼に、私は映っているのか…。

神子……お前はこんなに近いのに、
なぜ、とても遠い……。

ずきずきと痛いほどに鼓動が高まっていく。
息を整えても、抑えることができない。
身の内の五行が激しく乱れている。

呪が……燃える。


遠くから、微かな音が届いた。
外界の音が聞こえてきたのだ。
話し声と衣擦れの音は、友雅と永泉のものだ。

現が悪夢の名残を駆逐し、周囲には、ぼんやりと塗籠の形が戻りつつある。
灰色の大きな櫃の影、几帳の輪郭、火の無い高燈台――
止まっていた時が、動き出した。


行かなければ。
神子を連れて戻り、封印を終えたことを一刻も早く伝えるべきだ。

神子は怨霊を封印し、呪詛を浄化した。
私は八葉として、陰陽師として、務めを果たした。
それだけのことなのだ。
ここで無為に時を過ごす必要なはい。

だが、この刹那の刻は
――私の中に刻み込まれる永劫。

惑いの心を払えぬままに、泰明はあかねを抱いて立ち上がり、
塗籠の扉に真向かう。

泰明の惑いとうらはらに、霧が晴れるように闇が消えた。
塗籠の扉の向こうは、眩しい光に満ちている。








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完結しました。
1か月以上の中断が入りましたが、
待っていて下さった皆様、
最後まで読んで下さった皆様に、心から感謝です!!

で……事故ちゅうはよいですね。
話はこの後、火之御子社でのイベントに続く感じです。
下書きでは、泰明さんの独白が長めに入っていたのですが、
迷った末、ばっさり切り落としました。

お楽しみ頂けたなら、嬉しいです。


2011.02.27 筆