夢喰観音 5

泰明×あかね ゲーム本編中


「私に命令するとは。神子も守れぬ八葉が、くだらぬことを言う」
低く嗤う声と同時に、呪縛を解かれた獣が消えた。
「神子を案じるなら、そこから動かぬことだ」

四角く切り取られた視界の向こうで、アクラムは消え残る入り日を背にしている。
その腕の中に閉じこめられたあかねは懸命に身をもがくが、
精一杯の抵抗も、赤い束帯の袖を揺らすだけ。

すでに家人達は左大臣を連れて逃げ去っていた。
広い土御門の庭だが、ここの他に人の気配はない。

頼久と対峙しているのはイクティダールだ。
アクラムの背を守り、頼久の剣を止めたのは、他ならぬこの鬼の副官であった。
泰明同様、頼久もまた、あかねを人質に取られて迂闊に動けない。

まずは御堂の外に出なければ――
じり…と泰明が僅かに前に出た瞬間、
「動くな、と言ったはずだ」
アクラムの術が鋭い刃となって泰明を襲う。
つ…と横に動いてかわすが、刃は泰明の頬をかすめて後ろの御堂の壁を砕いた。

「泰明さん!」
あかねが悲鳴を上げる。
「止めて、アクラム! ひどいことしないで!!」

しかしアクラムは無言のまま赤い唇を歪め、片腕を無造作に振った。
御堂の扉が浮き上がり、泰明に向かって叩きつけるように飛ぶ。
「泰明さん!」「泰明殿!」
しかし次の瞬間、扉は勢いを失い、泰明の足元にばらばらと崩れ落ちた。

「お前の術はこの程度か、アクラム」
泰明の言葉に、アクラムは失笑する。
「お前がこれほど甘いとは思わなかったぞ、地の玄武。
このような扉など粉微塵に吹き飛ばせばすむこと。
反撃の機会をくれてやったのに、神子に破片が当たらぬよう手加減するとは」

「お館様、天の青龍は自分が押さえておりますので、どうか今の内に」
イクティダールが低い声で言った。

「分かっている、イクティダール」
そう言うと、アクラムは掌を上に向けた。
御堂の中にあった夢違観音像がふっと消え、
黒い揺らめきが踊ったと見る間に、アクラムの手の中に移動している。

「これは…もしかして宇治殿から消えた…あの」
あかねが息を呑む。
間近で見る像は美しく、そしてどこか禍々しい。

「厨子の封印を破ったのは、やはりお前か、アクラム」
「そうだ…と言ったならどうする? このように美しい像が
百年もの間、狭い厨子に閉じこめられていたとは、哀れと思わぬか」
「像に巣食った怨霊を解放して、何を企んでいる!」

アクラムは傲然と頭を上げ、冷ややかな声で言い捨てた。
「くだらぬ話は終わりだ」
あかねを抱えたままアクラムが身を返し、
イクティダールが半身で頼久を牽制しながら一歩後ろに下がって言う。
「乱暴なことをするのは本意ではないが、
君達が下手な手出しをすれば神子が傷つく。
この場は、引き下がってほしい」

「いや、放して!」
「神子殿!」
「神子!」

その時だ。
石の礫が二方向から飛んできた。
一つは目にも止まらぬ速さでイクティダールを襲うが、
もう一つは大きな放物線を描いてゆるゆると飛んでくる。
しかしイクティダールは石に目もくれぬまま礫を払い落とし、
遅い方の石はアクラムまで届くことなく、あらぬ方へと飛ばされた。

だが、その一瞬で状況は動いた。

「よくやった、天真!」
頼久が一気に踏み込み、イクティダールは向きを変えてその剣を受ける。
「八葉は、ここにもいるぜ!」
天真が御堂の背後から飛び出してきた。
「天真くん!」
「あかね、今助けるからな!」

「地の青龍か、何の力も持たぬ者が、愚かな…」
アクラムが不快そうに唇を歪めた瞬間、
足下の地中から、ほっそりした四肢を持つ式神が宙に飛び出した。
式神は大きく口を開け、あかねを押さえたアクラムの腕に牙を立てる。
「ぐ…」

自分を拘束していた力が僅かに弱まり、あかねは身を捩って逃げ出した。
「あかねちゃん! 大丈夫!?」
天真とは反対側から姿を現した詩紋が、あかねに駆け寄る。

「逃がしはせぬよ、龍神の神子」
アクラムの気が膨れ上がり、式神が吹き飛んだ。
背を向けて逃げるあかねに白い指を向ける。
と、走っていく足下の地面がえぐられ、躓いたあかねはそのまま倒れた。
「させぬぞ、アクラム!」
そう叫んだ時にはもう、泰明はアクラムの眼前にいる。

しかし至近距離から泰明が術を放つ直前、アクラムは消え、
倒れたあかねと、それを助け起こそうとしていた詩紋の傍らに現れた。

「危ない!」
詩紋が身を投げ出して、あかねに覆い被さる。

アクラムは詩紋を見下ろし、冷たい声で低く吐き捨てた。
「金色の髪を持つ無力な八葉……それだけで気に入らぬよ、地の朱雀」
そして、小さな背中に向けて無造作に術を撃つ。

「止めろ!」
青い光が走り、桔梗の形に広がってアクラムの術を弾き返した。
間髪入れず、泰明は次の攻撃を仕掛ける。

「泰明、頼むぜ! 詩紋、あかねをしっかり抱えていろ!」
駆け寄った天真が詩紋の襟首を掴み、あかねもろとも引きずっていく。

しかし、イクティダールが頼久の剣をかわし、天真の前に瞬間移動した。
「この野郎!」
打ちかかった天真の拳をイクティダールは前腕で軽々と受ける。
だが、剣を振ることはせず、イクティダールはアクラムに視線を向けた。

「お館様! ここはひとまず!」
アクラムは唇にうっすらと笑みを刷く。
「では、今宵はこれでよしとしようか。また会おう、龍神の神子。
行くぞ、イクティダール」
「御意」

その言葉と同時に、アクラムとイクティダールは消えた。
「待ちやがれっ!」
天真の叫びだけが、夜の庭に響く。

皆の気持ちとはうらはらに、遠く祈祷の場で歓喜の声が上がった。





夜も更けて、僧侶達が帰った後の土御門は、静けさを取り戻している。
喜びの気に満ちた静けさだ。
嫡男の田鶴君が意識を取り戻し、御堂で倒れていた左大臣も
居合わせた安倍家の有能な陰陽師が施したまじないで、
ほどなくして回復した。
これ以上に喜ばしいことがあるだろうか。

だが藤姫の館では少し様子が違っていた。
あかねの部屋に集まっている皆の間には、重苦しい空気がある。
一時とはいえ鬼に神子を人質に取られ、
宇治殿で起きた怪異の鍵を握ると思われていた観音像を奪われたのだから。

そこへ左大臣の治療を終えた泰明が戻り、大事ないことを告げると、
皆我知らず、大きく息を吐いた。
大きな胸のつかえが、一つだけ取れたのだ。

最後に入ってきた泰明は、部屋の入り口近くに座した。
あかねは部屋の上座に藤姫と並んで座り、左大臣の無事を心底喜んでいる。

倒れた時にひざをすりむいていたが、それ以外に怪我がなかったのは、
不幸中の幸いだった。
屈託のない笑顔が、ここにこうしてあるのだから。
だが、鬼にあのまま攫われていたら………

――アクラムに捕らえられた神子を見た瞬間、
私を支配したあの感覚は何だったのだろう。

胸が…潰れていくようだった。
しなければならないことが分かっているのに、何もできないとは。

獏の鈎爪に捕らえられていた時より、ずっと強い力が、
私の胸を潰そうとしていた。
呼吸すらままならず、ただ、神子を見つめた。
救いを求める神子の眼差しに応えなければと、
それしか考えられなかった。

だから、あの状況で最良と思われる手を講じた。
扉を砕いた瞬間に、破片の下に式神を置いて地中に潜らせ、
近づいてくる天真と詩紋の気配を隠した。

だが、神子を助け出すことはできたが
恐ろしい思いをさせてしまったことに変わりはない。
私は八葉として当然の務めを果たすことができなかったのだ。

……八葉として……そうだ。
この苦しさは、八葉だからなのだろう。
そして私が、人ではないからなのだろう。

その時、泰明の視線に気づいたあかねが、にこっと笑った。
一瞬目が眩み、はっと気がついて、泰明は口の端を持ち上げ、
これでよいのかと戸惑いながら、微笑みを返す。

あかねの表情は笑みのまま。

泰明は安堵した。



一方、藤姫は大きな瞳に涙をいっぱい溜めて、
両の手を胸の前でぎゅっと握りしめている。
「神子様…よくぞご無事で……」

あかねはまだ青ざめた顔をしているが、気丈に言った。
「みんなが助けてくれたから、私は大丈夫」
しかし、すぐにしょんぼりと肩を落とした。
「でも、私のせいで観音像が奪られちゃって…」

「神子のせいではない」
「お前が気に病むことないって」
「あかねちゃんが連れて行かれなくて、本当によかった」
「神子殿のご無事が、何より大事です」

「ありがとう」
ほっとして礼を言うあかねの顔に、小さな笑みが戻る。

しかし、まだ悔しさの収まらない天真が、右手の拳を左の掌に打ち付けながら言った。
「あかねが連れて行かれなかったのはいいが、鬼のやつらの目的が分からねえ」
「ボクもそれが不思議なんだ。
イクティダールさんが天真先輩の前じゃなくて、後ろに瞬間移動していたら、
あかねちゃんを連れて行くことだってできたと思う」

「くそっ、手玉に取られたってことかよ!」
「落ち着け、天真。神子殿が不安になる」
「そ、そうだな。大きな声出して悪かった。あかね、気にするなよ」
「気になる」
「何だよ、泰明に言ったんじゃないぜ」
「私が言っているのは、観音像の行方のことだ」
「紛らわしいやつだな。だが、俺もそのことは引っかかってる」

しばらく考え込んでいたあかねが顔を上げた。
「泰明さん、『像に巣食った怨霊』って何ですか?
御堂の中に、一瞬、獣みたいな影が見えましたけど、あれが怨霊なんですか?」

アクラムとの遣り取りを聞いていなかった天真と詩紋は怪訝そうな顔になる。
「な、何だ? あの観音像から怨霊が出てくるとでもいうのか?」

泰明は頷いた。
「そうだ。そして、神子が獣と見たのは間違いではない。
あれは年経りた獏だ」
「獏ぅ?」
天真が気の抜けたような声を出した。
「獏って、悪い夢を食べてくれるっていう、あの獏のことかなあ?
ボク、獏が怨霊だったなんて知らなかった」

「いや、元々は眠りと現の間に棲む妖異にすぎない。
人と関わるのは、悪夢を喰らう時だけであったはず。
それが、あのようにおぞましい姿と化したのは、
観音像に棲みついてからのことだろう」

「まあ、尊い観音像に妖異が?」
藤姫が頬に手を当て、不思議そうに首を傾げた。
「やつが棲みついたのは、夢違観音と呼ばれている像だ。
そこにいれば、悪夢を求めて探し回る要もない」

「何だ、ただのなまけ者な獏かよ」
そう言ってから、天真は真顔になる。
「だが危ないやつ…なんだな。悪夢を喰うだけなら、鬼が手を出すはずがない」

「その通りだ、天真。宇治殿の状況は異様だった。
やつは、悪夢を喰うだけではない。
悪夢を見せ、苦しむ者の生気をも喰らっていたのだ。
頼久、あの家令の様子を覚えているか」
「はい、ひどく疲弊していらっしゃいました。
悪夢に苛まれて眠れないだけで、あのようになるとは不思議だったのですが、
やっと分かりました」
「田鶴も同じ。幼い身体では、目覚めることすらできなくなったのだろう」

「おい、ちょっと待てよ。宇治殿で起きたことは、全部が獏の仕業なのか?
みんながみんな、観音像を拝んだわけじゃ……って、もしかして」
天真の言葉に、詩紋がぶるっと震えた。
「像から出て、眠っている人達を襲ったんですか…」
「そうだ。だがやつは、さらに禍々しい存在になっている。
考えてみるがいい。左大臣は御堂に眠りに行ったわけではないのだ」

皆、その意味に思い至り、部屋は重苦しい空気に支配された。

「何て恐ろしい…」
「その怨霊が、アクラムの手に渡った」
「冗談じゃねえ。そんなのが京の街に放されたら…」

一所に巣食う怨霊ならば、その場所に行けば戦って封印できる。
だが、観音像が持ち去られた今、獏はどこに潜んでいるか分からくなってしまった。
獏を封じるためには、まずは居場所を探し出すところから始めなければならない。

だが今は、呪詛の在処を探索している最中だ。
優先すべきは、四神の解放。
しかし、獏を好き勝手に跳梁させることもできない。

広い京の街で、どうやって観音像を探し出すか――。
方策を考えあぐねる中、答えは意外に早くやってきた。


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今回、ほとんど戦闘シーンってどうよ。
と問われれば、
よいではないか、はっはっは。
と答えます。

冷静に戦いながら、実は何を考えていたんだ、二歳児は。
とか……
神子がアクラムに攫われていた「かもしれない」と考える有能な陰陽師。
とかが、
私的にツボなのです。

以上、変な日本語でごめんなさい。


2010.12.01 筆