夢喰観音 6

泰明×あかね ゲーム本編中


京の空は今朝も晴れ渡り、山々の緑の稜線が青空に眩しく映えている。

――昨日の事件が、まるで夢の中のことみたい。
そう思いながら、あかねは大きく伸びをした。
「ふあぁぁ……あ、いけない!!」
歩きながらあくびなんかしないって決めたのに…。

両手で口を覆って、出かかったあくびを慌てて抑える。
しかし同行の二人には、隠しきれるものではなく……

「神子殿、恐ろしい思いをした後なのだから、
今日は休んでいてもよかったのだよ。
よければこれからでも土御門に戻って眠るといい。
私が一日、君の側にいて…」
「友雅殿、思いやりのお言葉とは存じますが、
神子が返事に困っておられます。」

「あ、ええと…私なら、大丈夫ですから」
あかねは笑顔でふるふると首を振った。

いつもより少し遅くなったものの、
あかねは友雅、永泉と共に呪詛の探索に出かけてきている。

遠出はしない予定だ。
昨夜のことであかねが疲れていることもあるが、
夢違観音像の件で、早ければ夕刻頃に動きがあるかもしれないからだ。
だが、それまでの時間を無為に過ごすことはない。


昨夜の手詰まり状態を打破したのは、左大臣だった。
政の中枢にいる大物が動いたことで、今は状況が大きく変わっている。

厨子の封印が解かれたことから始まった一連の出来事を知るなり、
左大臣は、まだ回復していない身体を押して、内裏に出ることにした。
朝議の席で、昨日起きたことを自ら伝えるという。
体力が衰えているにもかかわらず、驚くべき決断の早さと実行力であった。

まずは、内裏の中を隈なく探すよう、帝に奏上する。
鬼が絡んでいるとなれば、貴族は即刻自分の屋敷を改めさせるだろう。
そして下命により、多くの者が街中の探索に当たることになる。
そうなれば、人々が獏の毒牙にかかる前に、
観音像を見つけることができるかもしれない。

そして件の像が発見されたなら、すぐに左大臣邸に報せを送るよう、
手筈を整えるという。

「あやつめの恐ろしさは、この身がよう知っておる。
早く止めねば、京に混乱を招くは必定。
あやつの所在を突き止めた折には、神子殿、よろしくお頼み申しますぞ」

――そう言い置いて、左大臣は泰明を伴い、内裏へと出発した。

体調がまだ万全とは言い難いため、今日は一日泰明が側につき、
様子を見ることになったのだ。
「泰明さんがついていてくれたら安心ですから」
あかねに、にっこり笑って頼まれ、
泰明は口元まで出かかった「否」の一言を呑み込むしかなかった。


そのようなことなど知る由もないあかねは、
もう一度出かかったあくびを今度こそ上手に押し殺し、
眼の前に近づいた緑の小山を見上げた。

「今頃はもう、左大臣さんのお話は終わっているかな」

気持ちはどうしても、夢違観音のことから離れない。
それは、友雅と永泉も同じだ。

「そうだね、内裏はこの話でもちきりだと思うよ。それにしても……」
友雅はふいに真顔になった。
「帝の念持仏が怨霊の住処になるとはね…」
「厨子に書かれた年は、御室の寺を発願された帝の御代のもの。
賢帝と讃えられた方でしたが、一方ではとてもご心労の多いお立場であったと
聞き及んでおります。幽霊に悩まされたこともあると……」

「じゃあ、悪い夢もたくさんみたかもしれないですね。
それで観音様の像を造ってお祈りしたんでしょうか」
「ははっ、神子殿は真っ直ぐな言葉で核心を突くのだね。
そうであっても不思議はない。というより、きっとそうだったのだろう」
永泉が、数珠を握りしめて震えた。
「御仏の姿を借りた怨霊とは……何と恐ろしいことでしょう」
「そのような怨霊を利用するとは、鬼もよけいなことをしてくれたものだよ」

気がつけば、三人はもう神楽岡の麓まで来ていた。
さやさやと、気持ちのよい風が葉末をならして吹いてくる。

あかねは大きく息を吸って、気持ちを切り替えた。
今は、呪詛の探索が先だ。

「さあ、行きましょう!
前ここに来た時は、藤の花がとってもきれいだったんですよ。
まだ咲いているといいなあ」
あかねはそう言って、境内へと続く階を駆け上がる。
「あ、お待ち下さい、神子」
永泉が慌てて後を追った。

「やれやれ、永泉様と神子殿が走ったなら、
私も後に続かぬわけにはいかないのだが…」

そう言いながら、友雅は相変わらずの足取りで上っていく。
そして、階の途中で足を止め、来た道を振り返った。
街並みの向こうに西の山までが、くっきりと望める。

アクラムはもう、この街のどこかに観音像を潜ませたかもしれない。
たくさんの人々の住む街……その中で、鬼が狙うとしたらどこなのだろうか。
もしも私が鬼の立場であったなら……

そこまで考えて、なぜか冷んやりとしたものを身の内に感じ、
友雅はため息を一つつくと再び階を上り始めた。

ここは、神子殿のように気持ちを切り替える方がよいのだろう。
まだ陽は高い。
夕刻までは、ゆるりと京を巡るとしようか。



しかし、そのような余裕は、もうなかったのだ。




神楽岡で手がかりを得た三人は、次に糺の森へ移動した。

静寂に包まれた森には、時折鳥の声が響くだけだ。
だが、木漏れ日の下を歩いていたあかねは、ふと呼ばれたような気がして、
生い茂る木の間越しに、青い空を見上げた。

「泰明…さん…?」

同時に、木の葉に囲まれた視界の中に、翼を広げた鳥が現れる。
光を背にした鳥の色ははっきりとは分からないが、
そのほっそりした輪郭は鷺のようだ。

鷺は あかね達の前に急降下すると、最後の瞬間にふわりと着地した。
そして三人が口を開くより早く、泰明の声を発する。

「内裏だ、神子」

「え? 内裏?」
きょとんとしたあかねに代わり、友雅が口早に言った。
「獏が、現れたのだね」
「そうだ」
「兄上…主上はご無事ですか」
「左大臣殿は」
「どちらも無事だ」

「すぐに行きます。泰明さん、どうか…気をつけて!」
「案ずるな、神子。問題ない」





三人が到着した時、内裏は混乱の極みにあった。
何が起きているのか正確に把握している者はほとんどいない。

だが、何がどうなっているか分からないながらも、
法親王様を危険な場所に入れるわけにはいかないと、
屈強な北面が数人がかりで永泉を押しとどめてしまった。

「わ、私も…後から必ず参ります…!…!……!!」
必死な声を背中に聞きながら、ひしめき喚く人々をかき分けて
あかねと友雅は中へと入っていった。



あかねが初めて足を踏み入れる内裏は、迷子になりそうなほどに広い。
そして、ひどく暗い。
宇治殿がそうであったように。

ふいに眼の前に人が現れ、友雅が剣に手をかける。
だが、それは陰陽寮から駆けつけた安倍家の陰陽師だった。

「泰明はこの先の後涼殿にいる」
それだけ言うと、足音もなく歩み去る。

「ありがとう。さあ、神子殿、こっちだよ」
友雅の案内で、長い回廊を歩く。
延々と続く渡殿を歩き、新たな建物に入り、簀の子を通り、また渡殿へ。

人の気配は皆無だ。
だが時折、開いた妻戸、傾き乱れた几帳越しに、
倒れている人々が見える。

息を…しているのだろうか。
お願い、どうか生きていて!!
獏を封印したら、きっとみんな助かるから…。

心の中で祈りながら、あかねは先を急いだ。

倒れている者を最初に見つけた時、
あかねは助けようとして部屋に入りかけたのだった。
それを友雅がやんわりと止めた。

「神子殿、君のやさしい気持ちは分かるが、
今君にできる一番大切なことは、怨霊を封印することではないかな。
彼らの治療は安倍家の陰陽師にも、僧侶にもできる。
だが封印は、神子殿にしかできないのだから」

その通りなのだと…理性では分かる。
だが、倒れている人を見ながら置き去りにしなければならないのは、
あかねにとっては身を裂かれるほどに辛く悲しいことだ。

急ごう。
早く怨霊を封印して、みんなを助けるんだ。

あかねは、涙の滲む眼を手の甲でごしごしと拭った。


次へ





夢喰観音  [1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11]  [12]

[小説・泰明へ] [小説トップへ]


最後のあかねちゃんは涙目でしたが、
彼女のにっこり笑顔に抗えず、
左大臣さんのお供につくことになってしまった泰明さんも、
もしかすると同じように…
……だったりすると、可愛いなあとか…
小さな声でつぶやいてみます。


2010.12.06 筆