夢喰観音 4

泰明×あかね ゲーム本編中


「式神が…阻まれた」

泰明が顔を上げ、北の空を見やった。
その先には東寺の塔の相輪が、西日を受けて輝いている。

羅城門を過ぎれば洛中だ。
後は、大路を駆け上がるだけ。

――もう少しで着けるのに。
何があったの?
泰明さんの式神を止めるなんて、やっぱりアクラムの仕業なの?

そこまで考えて、あかねの心臓がどきりと鳴った。

――だとしたら、アクラムが今いるのは…

馬の足が速くなる。
泰明と頼久の厳しい横顔は、二人が何を考えているかを
はっきりと物語っていた。





土御門では厳かな祈祷が続いている。

居並ぶ僧侶が声明を詠唱し、香木が焚かれ、
様々な法具が並ぶ様子は、ここが左大臣の屋敷ではなく
寺院であるかと錯覚させるほど。

祈祷が功を奏したのか、田鶴君の頬には
うっすらと赤みが差してきており、
時折すやすやと安らかな寝息が聞こえるまでになっている。
まだ目覚める様子はないが、ここに運ばれてきた時より、
容態がずっとよくなったのは誰の目にも明らかだ。

田鶴君の様子は、室外から見守っている家人によって
館の者達に逐一伝えられている。
藤姫に仕える女房も、威厳を保ちつつ、
それでも精一杯の早足でやって来て報告する。

「よかった…」
「さすが徳高きお坊様のお祈りでこざいます。
田鶴様が目をお覚ましになるのも間近いことでございましょう」

「神子様にもお教えしたいですわ。早くお戻りになるとよいのに」
庇の向こうを見やった藤姫に、女房が気遣わしげに言った。
「けれど神子様は本当に宇治にいらしたのでしょうか。
田鶴様の牛車とはすれ違わなかったそうですけれど」
「まあ……もしや神子様に何かあったのでは…」

藤姫の大きな瞳が憂いに翳り、
よけいなことを言ってしまったと女房が大いに後悔した瞬間、
ぶっきらぼうな声が部屋の外で響いた。
「違う道を通ったのは牛車の方だ。
鬼に幻を見せられ、やすやすと騙されるとは」
「藤姫、ただいま」
泰明の後から、あかねが入ってくる。
「宇治殿より、ただ今戻りました」
庭で頼久が頭を下げた。

ほっとして無邪気な笑顔を見せた藤姫に、
あかねが夢違観音のことを話そうとした時だ。

館のどこか遠く離れた所で大きな音がした。

そちらを一瞥すると、泰明は鋭い声で問う。
「左大臣はどこにいる」
「御自らお祈りをなさると仰って、御堂に籠もっています」
「頼久、今の音は」
「御堂の方からです」

一瞬の躊躇もなく、泰明は身を翻した。
「行くぞ」
あかねは後を追って駆け出し、頼久は庭を走り出ていく。



入り日が赤く照らす土御門の広大な庭の一画に、
その小さな御堂はある。

泰明達が駆けつけた時には、集まった家人達が扉を叩きながら
恐慌に裏返った声で中の左大臣を呼び続けていた。
しかし御堂の中からは無礼を叱責する声どころか、しわぶきの音一つ返らない。

「扉が開かないのでございます…」
「いくらお呼びしてもお返事がなく……」
「いったいどうすれば……」

おろおろとして訴える家人達に、泰明は
「何もするな」と一言だけ答えると、
彼らを後ろに下がらせて、扉に向けて術を放った。

分厚い木の扉が粉微塵になるかと家人達は悲鳴を上げたが、
案に相違して扉はがたりと枠を外れて浮き上がり、庭に向かって倒れこむ。

同時に、泰明と頼久は御堂の中に飛び込んでいた。
狭い御堂の真中に左大臣が倒れている。
正面には左大臣が厚く信仰する阿弥陀仏と左右に脇侍の菩薩像。
周囲には人の気配も荒らされた痕跡もなく、燈台の炎も静かに揺らめくのみ。

だが、扉が倒れた瞬間、御堂の中で朧な影がかまいたちのように渦巻いたのを、
泰明は見逃していなかった。

「頼久、左大臣を連れて行け。神子はまだ入ってくるな」

後に続こうとしたあかねが引き返したことを確かめると、
泰明は御堂の中央に一人立ち、阿弥陀三尊像に真向かう。
すっと指を立てると、そこには退魔の呪符。

呪を唱え、収斂させた気を呪符に集めると、
「正体を現せ!」
泰明の手から矢よりも速く呪符が飛ぶ。

が、それが右側の菩薩像に突き刺さる直前、
どこからともなく黒い渦が湧き起こり、呪符はあっけなくその中に呑み込まれた。
渦は留まることなく広がり、瞬きほどの間に御堂の中を暗黒で満たす。
じ…と小さな音を立て、燈台の炎が消えた。

扉から射し込んでいた入り日の残照はもはや無く、
その扉の位置さえ、もはや定かではない。

泰明の周囲は、漆黒の闇ばかり。

その時突然、中空に、視界を覆うほど巨きな目が出現した。
血走った白目に囲まれた、瞳孔のない黒ばかりの目だ。
それがぎょろりと泰明を睨み、不気味な光を放つ。

黙したまま、泰明は平然とその光を受けた。

明滅する光は、しばし続いた後ぴたりと止まり、
巨きな目は、下まぶたをゆるゆると持ち上げて細長い形になる。
しわがれた声が、四方八方から同時に泰明に降り注いだ。

「人ではないのか。つまらぬのう」
「私は眠らぬ」

暗黒の中で、何かが動く気配。
「喰えぬなら、お前なんぞいらぬわ」

切り裂くような風を感じた瞬間、泰明を巨大な鈎爪が掴んだ。
細長い目がさらに細くなり、爪の力が強くなっていく。

刹那、泰明の唇が動き、呪の言葉を紡いだ。

「覚」

渦に呑み込まれて消えたはずの呪符が、
ふわりと宙に舞い上がる。

「照」

呪符は闇の中に無数の光跡を描いた。
その光の下、黒い影が輪郭を表す。

「縛!」

泰明から凄まじい気が放たれ、
周囲の空気が、ばちばちと爆ぜた。
巨大な手は弾かれたように離れようとするが、
空中に広がった光の筋が、蔓のように絡みついてその動きを止める。

泰明が小さく腕を振ると、燈台に再び灯が点った。

縛された獣が御堂の床に繋ぎ止められ、泰明を睨め付けている。
その目は空中にあった時より縮んでいるが、獣の大きさは、人の倍ほどもある。

剛毛に包まれた背を丸め、長い鼻をひくひくと震わせながら
獣は唸り声を上げた。
「呪符を食わせたのは儂を謀るためか」
「お前の正体を見極めるためだ」
「そのために尊い観音像を撃つとは、何という非道じゃ」

泰明は阿弥陀三尊像にちらりと眼をやった。
燈台のほのかな光の中、阿弥陀仏の脇侍、観音菩薩像は
慈悲の笑みを浮かべている。
中央の阿弥陀仏、対となる脇侍の勢至菩薩像に比べてやや小さい。
異なる仏師の手によるものであることも、一目瞭然。

宇治殿から消えた夢違観音の像は、土御門の御堂にいたのだ。

「問題ない。これでお前の正体と観音像の役割が分かった」
泰明は観音像に向け、真っ直ぐに腕を伸ばし、掌を立てた。

獣のしわがれ声が、きいきいとした耳障りな音になる。
「な…何をする気じゃ。罰当たりな」
泰明の掌が淡い青光を放つ。
「人の夢を喰らい続け、言の葉も覚えたか、獏」

獏は全身の剛毛を逆立てた。
「止めるんじゃ、人でなしの陰陽師め!!」

獣の言葉は咆哮へと変じ、泰明の気が放たれた。
眩い青光が輝き、獏の作った漆黒の空間が崩壊する。

扉の外から夕風が流れ込み、微かに射し込む光から、
もう日が暮れたのだと分かる。

「泰明さん!!」
御堂に駆け寄ってくるあかねの声だ。

「来るな、神子! まだここは」

その時、ぶつり! と、獏を捕らえた呪が断ち斬られた。

「そうだ、まだお前は何も成していない、地の玄武」
冷ややかな声が泰明の後ろで響く。

「や…泰明さん…」

「神子殿っ!」
頼久の剣が風を切った瞬間、
ガキンッ…!!
その斬撃を受け止める鋭い音が鳴る。

振り向く前に、泰明には何が起きているか分かった。
怒りで眼が眩む。

「神子を放せ、アクラム!!」


次へ





夢喰観音  [1]  [2]  [3]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11]  [12]

[小説・泰明へ] [小説トップへ]


2010.11.17 筆