鬼 火 10

(泰明×あかね ゲーム本編中背景)


庭に置いた梟の式神が、異変を報せてきた。
その視界に映っている館は、夜よりも暗い闇に覆われている。
気がざわめき、天真の叫ぶ声が届いた。

泰明はあかねの額から後れ毛をそっとはらうと、
立ち上がって塗籠の扉に向き直った。

常であれば、振り向きもせずに呪符を飛ばすところだが、
今はぐらりと揺らぐ足を踏みしめながら、
印を結び呪を唱えて着実に術を施す。
呪符で扉を封じ、怨霊と瘴気の侵入を防ぐ結界を作るためだ。

だが、守りを固めた扉の向こうでは、
八葉が圧倒的に不利な戦いを強いられている。

「行け」
泰明の命令に、梟は翼を広げて館に向かって飛んだ。
だが、見えぬ障壁に絡め取られて闇の中に進むことができない。

――見張りの式神では無理か。
つまりは、あの闇もまた一つの結界。ならば……

泰明の中で、これまでのことが繋がり始めている。
だが、まずは扉の向こうに援護を送ることが先だ。

泰明は、鬼神を封じた札を扉の隙間に滑り込ませた。
その部分の結界を一瞬だけ緩め、あちら側へと送り込めばよい。

しかし札は半ばまで入った所で止まってしまった。
そしてみるみるうちに焦げたように縮まり、変色していく。

これは……!
札を戻すため扉に触れた瞬間、泰明は知った。
ぶ厚い扉は、すでに瘴気に蝕まれているのだ。

――私の術が、効いていない……。

それに応えるかのように、ガタガタと扉が揺さぶられた。
板戸一つ隔てた向こうから、自身と同じ声がする。
「『私』はここにいるようだな。龍神の神子も一緒か」
「探す手間が省けたね。何とも分かりやすい」

――偽の『友雅』もいる。
だとすれば、他の八葉も……。

その時、
「そこかっ! 怨霊!」
頼久の声と同時に、剣が風を切る音がした。
刹那、『泰明』と『友雅』の歪んだ笑い声が上へと移動して消えた。
洛西の屋敷で対峙した『永泉』と同じように、
宙へと飛び上がり姿を消したのだろう。

「頼久、こちらの声が聞こえるか」
泰明が問うと、頼久はすぐに答えた。
「泰明殿! 神子殿はご無事ですか!?」
「問題ない。八葉の怨霊がいるようだな」
「はい。我々に化けた怨霊八体と戦いになっています」
「そちらで何があった」
「洛西の時のように闇に包まれました。
鬼火も現れましたが、今度は近くに寄ってきません。
ですので互いの宝玉が確認できず…」
頼久の声はあくまでも冷静だが、苦渋の色は隠せない。
「そうか」
「ですが戦いの直前、友雅殿から指示を頂きました。
こちらにいるはずのない『泰明』殿と、もう一人の自分と戦え、と」
「偽者と分かる相手とだけ戦うということだな。
相討ちを避ける確実な判断だ」
「はい。泰明殿は、どうかそこで神子殿を…」
「必ず守る」

頼久の足音が遠ざかった。
だが、分厚い扉を通して、向こうの音が聞こえてくる。
入り乱れる足音、叫び声、怨霊の立てる歪んだ笑い声。

――形を模し、声をまね、所作までもそっくりな怨霊。
それが、この土御門に現れた。
八葉を滅して入れ替わり、さらには左大臣邸を我がものにすることが、
アクラムの狙いか……?

だが……おかしい。
それならば、洛西で私達を葬っておく方が容易かったはず。
この場の異変に、ほどなく土御門の武士団が気づくだろう。
彼らとの戦いになれば、屋敷の外にも知れ渡る。
だが、偽者の神子と八葉が何食わぬ顔で洛西から戻ったなら、
藤姫以外に入れ替わりに気づくことのできる者はいないのだから。

では、洛西の屋敷とここの違いは何だ。
……あの場に現れた偽者は、あかねと永泉だけだ。
他は全て変化した怨霊だったが、戦いの途中でどれもが消えた。
それならば、何のために怨霊は戦いを仕掛けてきたのか。

鷹通が気になると言っていたこと。
あれには私もずっと疑念があった。
もしも………そこに答えがあるとすれば、
まず戦うべきは……

泰明は眠っているあかねの様子を確かめると、
改めて扉に向き直った。
じわじわと瘴気が浸み出し、結界の札が腐食して剥がれ落ちようとしている。

――この程度の傷など、早く治さなければ。
人ならぬ身体なのだ。
お師匠から教わった通りにすればよいはずだ。
気を静め、五行の流れを整え、撫で物の札を使い、呪を唱えれば……。

だがその一方で、泰明は自身の状態を誤りなく把握している。
五行の力が低下し、今は動くのが精一杯。
いつものように強力な術を放つこともできない…と。

生身の人間なら大けがではすまないだろう。
回復は容易くはないのだ。

それでも泰明は気を整え、己の中の傷を治していく。

ここまでの深傷に至った理由が、
己の術を身に受けたため…だけではないことを、
泰明は自覚していない。
あかねを傷つけたという呵責が、自身を縛していることに――。

それでもひたすらな思いが、泰明をつき動かしている。

――神子……私は壊れかけている。
だが、たとえこの身が砕け塵となったとしても、お前のことは必ず守る。





――これは夜戦と同じだ。だが、敵は怨霊。
頼久は『頼久』に向けて剣を振った。
『頼久』も手にした剣で受けるが、刃のぶつかる手応えはない。
剣もまた、怨霊が形を模したものだからだ。

「くそっ!」
「へっ、俺もだらしねえな」
すぐ近くで天真の声がする。

「天真! 助太刀は必要か!?」
「だらしないぞ、天真!」
二人の頼久の言葉に、二つの答えが返る。
「頼む、頼久。助けてくれ」
「俺をみくびんな、頼久」
その場に、新たな人影が加わった。
「では、私が手助けする」
「ぐっ! ニセ…泰…明」


「オレはどこなんだよ!」
イノリがかりっと指の爪をかんだ時、薄闇の中から詩紋が来た。
しかし、詩紋は少し離れて立ち止まる。
「イノリくん……なの?」
「おう、詩紋か。お前、自分の相手は見つかったのかよ」

と、詩紋のすぐ後ろからもう一人の詩紋が現れた。
「あ、いらないボク見ぃつけた!」
「うわぁっ!」
「危ねえ、詩紋!」

しかし、イノリはひょいっと空中につまみ上げられた。
「助けに行かせるわけにはいきません」
「は、放せ! ニセ鷹通!」


本物の鷹通は、襲いかかってきた怨霊を辛うじてかわし、
遠巻きに浮かんでいる鬼火に近づこうとしていた。
しかし、幾ら歩いても鬼火は遠ざかるばかりだ。

「やはり……」
鷹通が呟いた時、
「さすがだね、鷹通。そこに気づくとは」
『友雅』の声と同時に、瘴気が鷹通を襲った。
「う…ぐ……」


「あ……私は…どうしたら…私にできることは」
再び闇の中でひとりぼっちになった永泉は、
大きく息を吸うと、懐から笛を取り出した。

「以前、泰明殿が仰っていました。
笛の音には魔を祓う力があると……」

しかし、永泉が笛を構えたその時、
いきなり手の中の笛を、『永泉』に掴まれた。
『永泉』の顔が憎々しく歪んで永泉を見る。

「その笛のおかげで、あの陰陽師に見破られてしまいました。
何と忌々しいことでしょうか。
このような笛など、壊してしまいましょう!」
凄まじい力で笛が引っ張られるが、永泉は必死で愛笛にしがみつく。

「いけません! この笛をお渡しするわけには…!」
しかし怨霊の力に、非力な永泉が敵うはずもない。
『永泉』は鉤爪を露わにすると、ぎりりと永泉の手に突き立てた。
「う!! …く……」
それでも笛を離さない永泉は、ずるずると怨霊に引きずられていく。


その時―――
塗籠から白い光がほとばしった。
光は宝玉に宿り、暗闇の中に輝きを放つ。
皆に、あたたかく脈動する力が伝わってきた。

永泉の手にある宝玉に触れた『永泉』は光に弾かれ、
耳をつんざくような悲鳴を上げると闇の奥へと消えた。





「神子…!」
頬に熱が灯り、まぶしい光を感じて、泰明は振り向いた。

あかねがしとねに起き上がり、泰明を真っ直ぐに見ている。
龍神の力を使った名残か、高燈台の灯りの中でさえ、
その姿はほの明るい光を纏って見える。

「神子、お前は…私のまじないを破ったのか」
「はい。みんなを助けたかったから。そして……」
あかねは言葉を切って、なぜか少し頬を染め、
真剣な眼差しで泰明を見上げた。
「泰明さんが苦しんでいるのが分かったから。
私はもう大丈夫って、伝えたかったんです」

泰明の胸がつきん…と痛み、ほの甘くほろ苦い疼きが宿る。
「私の苦しみに、神子は心を痛めたというのか。
だが……」
あかねの腕の傷には、まだ痛々しく血が滲んでいる。

「神子…お前の傷はまだ癒えていない……。
それは私の与えた傷だ。私がお前を撃ったからだ。
苦しんでいるのは私ではない。神子だ」
「これくらい、もう平気です」
あかねはにっこり笑って頭を振る。

泰明はあかねの傍らに膝をつき、その瞳を見つめた。
「私を見て…笑ってくれるのか。
私をまた…信じてくれるのか、神子」

あかねは頬を染めたまま、笑顔で頷いた。
「はい、泰明さん。
一緒に、みんなの所へ行きましょう」

あかねから、あたたかな力が流れてくる。
胸の奥底で、狂おしく弾ける火花がある。

泰明は小さく頷いた。
新たに満ちてくる力を感じながら――。


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2013.03.02 筆