鬼 火 13

(泰明×あかね ゲーム本編中背景)


まだ、やらなければならないことが残っている。

皆の集う場から離れるのは、そのためだ。
私は自分の務めを果たすのだ。
共に喜び合う必要はない。
「喜ぶ」という感情などないのだから。

笑いさざめく声に背を向け、泰明は足早に歩いている。

なのに、あかねの声が泰明を追ってくる。
……違う。
泰明があかねの声を追っているのだ。

――神子は……私の不在に気づいていない。
気づいてくれない。
いや……気づく必要はない。

戦いが終わった後に、剣も盾も不要だ。
今神子の側にいるべきは、自分ではない。
つい先刻まで傍らにあった清浄な気が、とても遠い。

神子を腕に抱いた時、私の魂魄を震わせ、満たしたものは、
何だったのだろう。

泰明の気の乱れを感じ取ったのか、
肩に乗った梟は、首を縮めたまま身じろぎもしない。

だが、泰明を追ってくる者が一人いた。
対屋の角を曲がろうとした時、小走りの足音が聞こえ、声がかけられたのだ。

「泰明殿、どちらへ」
声の主は鷹通だ。

泰明は足を緩めることもせず、短く答える。
「分からない」

「……私の聞き方が適切ではありませんでした。
言い直しましょう。泰明殿は、これから何をなさるのですか」
鷹通は、すたすたと歩き続ける泰明の隣に並んだ。

泰明は前を向いたまま要点のみ伝える。
「結界の綻びを修復する。
鬼火が侵入したのは結界が破られたからだ。
だが、その場所が分からないため、こうして調べている」

「そうでしたか。行き先を探しているところだったのですね。
確かに、不完全な結界を放置しておくことはできません。
泰明殿が急ぐのも当然です」

「用事はそれだけか」
「いいえ……鬼火についてお聞きしたいことがあったのですが、
泰明殿のお邪魔をしてはいけません。後にしましょう」
「今でも構わない」
泰明の答えは今度も短い。

「ありがとうございます。では、できるだけ手短に話します。
鬼火は洛西の怨霊に化けて私達と戦いましたが、
唯一、古鏡にだけ変化しませんでした。
その理由を私なりに考えてみたのですが、
鬼火は変化しなかったのではなく、できなかったのではないでしょうか」

泰明は鷹通を一瞥して頷いた。
「そうだ。鬼火は、人や怨霊に自在に変化していたのではない。
古鏡に映った形を模していたのだ。
だが鏡は自身の姿を映すことはできない。
それゆえ、鬼火も古鏡には変化できなかった。
鷹通は、神子のうさぎさんで気づいたか」

「はい。あれは奇妙で、意外な光景でしたので。
ですがそうなると、洛西の怨霊も、神子殿に封印される前に
古鏡に映されていた、ということになります。
つまりアクラムは、以前からこの謀を……」

再び泰明は、小さく頷く。
「神子が封印の力を得たと知った時、すぐに動いたのだろう。
我々が真っ先に桂に向かい、古鏡を封印しておけば、
………神子が傷つくことはなかった」
「アクラム当初画策していたのは、人心の攪乱だったのだと思います。
ですが、古鏡が後回しになっていたことを利用して、
私達の偽者を作ろうと、さらなる謀略を巡らせた……」
「そのために、アクラムはあの屋敷に古鏡を置き、
我々をおびき出したのだ」

明敏な治部少丞は、眼鏡をきらりと光らせた。
「これでやっと、洛西での戦いの意味が理解できました。
あの時、私は鬼火に見張られているような気がしてならなかったのですが、
今思えば、鬼火は私達を観察していた…ということですか」

「そうだ。あれは人生(ひとな)りの怨霊だったが、
人語を解し、操ることができても、それだけでは人に成り代われぬ」
「そうですね。姿形だけで周囲を騙すことはできません。
私達を分断したのは、鬼火に入れ替わりの準備をさせるためだったのですね。
つまり、神子殿と永泉様の偽者があの屋敷に現れたのは……」
「怨霊は老婆に化け、すでに永泉と神子を見ていたからだ」

「永泉様の偽物は、神子殿がすぐに気づかないほど巧妙に化けていたそうですね。
ならば、宮中にも怨霊は入り込めたはず。……怖ろしいことです」

ふいに辺りが明るくなった。
雲の切れ間から月がのぞいたのだ。

半ば独り言のように、鷹通は言う。
「……考えてみれば、詩紋殿の言っていた通り、
鬼火は臆病な怨霊だったのかもしれませんね。
本体は隠れたままで、反撃を受けるとすぐに分身すらも消してしまうのですから」

鷹通が足を緩めたことに、泰明は気づいた。
「話は終わりか」
「はい」
鷹通は、泰明の背に向かって頭を下げる。

「ありがとうございました。
しかし、さすが泰明殿です。
あの混沌とした戦いの中で、事の真相をここまで把握されていたとは」
「鷹通も同じ考えに至っていた。私をさすが、などと言う必要はない」
「では、私はこれで失礼します。
藤姫が夕餉の膳を供して下さるとのことですが、
泰明殿は結界を直すため、少し遅れると伝えておきましょう」

――私は行かない。
そう言おうとして、ふと泰明は首を傾げた。
そして、戻りかけた鷹通に問う。

「鬼火は神子が封印し、もう害をなすことはない。
それでも、鷹通はここまで私を追って来た。
なぜそうまでして鬼火のことを知りたがる」

鷹通は、はっとしたように足を止めた。
「そう…ですね。なぜなのでしょう。
敵の正体、アクラムの謀略を知っておきたいからだと…
自分では思っていましたが…それだけではないようです」

短い沈黙の後、鷹通は空の月を見上げた。
「最後に見た、鬼火の中の人影が気にかかっているのかもしれません。
私にはなぜか、生前から悪しき人間であったとは思えないのです。
いいえ、むしろ、その逆ではなかったかと。
………すみません。ただの憶測です。気になさらないで下さい」
「分かった」

鷹通は、月明かりの中を戻っていった。

泰明が小声で命じると、梟が音もなく肩を離れ、
塀に沿って飛びながら視界の向こうへと姿を消した。
広大な土御門の屋敷は、ただ一周するだけでも時間を要する。
式神にも探らせた方が早い。

「やはり……分からない」
結界を調べながら、先ほどとは反対の言葉を、泰明は呟いた。

鷹通の言が憶測であるということは分かった。
だが、鬼火が人であった時のことを、
なぜあれこれと思い巡らすのかは、分からない。

怨霊の本体に対峙した時、永泉もまた鷹通と同じように、
鬼火が生き人であった頃のことを思ったようだ。

『人の恨みが怨霊になったのだとすれば…
この方は生前、どれほどに醜い心の内を見続けたのでしょう』

怨霊とはそのようにして生るものだ。
悪しき者だけが怨霊になるわけではなく、
永泉も鷹通もそれを知らぬはずもない。

だというのに、二人ともまるで我が身に重ねて見ているようだ。
私には、分からない。

だがきっと……神子には分かるのだろう。
京の人々、八葉、そして神子自身をも惑わし、傷つけたあの怨霊に、
怒りや、限りない嫌悪、恐怖を感じていたとしても。

神子は、人なのだから。

そよそよと夜風が吹き、泰明の破れた装束を揺らした。
焦げた裂け目から、ひんやりとした夜の大気が入ってくる。

「神子……」
言の葉が音となり、耳に触れると、それだけで胸の奥に熱が灯る。
だが、熱が広がるほどに、夜風とは違う何かが、
冷え冷えと胸の中を吹きすぎていく。

先ほど、人々に囲まれるあかねを見た時と同じだ。
それは告げるのだ。
――神子は、違うのだ、神子は、遠いのだ……と。

その時、泰明の視界に異変が飛び込んできた。
梟の式神が報せてきたのだ。
鬼門の外に、凄まじい気が渦を巻いている。

「アクラム…!」
泰明は瞬時に動いた。





土御門を囲む塀の外に、夜陰に紛れて内部の様子を窺う子供がいる。

「ちっ、中がにぎやかになったな。笑い声まで聞こえる」
子供が吐き捨てるように呟いた時、
その隣に烏帽子をかぶった女と長身の男が現れた。

「あの怨霊、思ったよりだらしなかったねえ」
「計画は失敗だ。無念だが、ここは退くぞ」

「何を言ってるんだ、イクティダール!」
セフルは食ってかかった。
「このままおめおめと引き下がれるものか!
鬼火と戦って、神子も八葉も疲れ切ってるんだ。
今なら絶対勝てるはずだ」

シリンが腕を組み、フンと鼻で笑う。
「そんなに言うなら、やってもらおうじゃないか。
まず、この忌々しい結界をどうするんだい」
「土御門を守る結界が強固なのは分かっているだろう。
鬼火の侵入口を、お館様自らが穿たねばならなかったのだぞ」

「それは……でも……お館様の作った綻びを広げれば…
……うわっ!!!!」
突然激しいつむじ風が起こり、セフルはあっけなく吹き飛ばされた。
シリンとイクティダールは、かろうじて踏みとどまり、
渦巻く風の中に現れたアクラムに頭を垂れる。

「あれは封印されたか。
傷を負った龍神の神子にやられるとは不甲斐ない」
「は。お館様の手を煩わせておきながら、申し訳ありません」

アクラムは、倒れたセフルに眼をやることもせず冷ややかに言った。
「お前はこの館の結界を破れると言うのだな、セフル。
私の作った綻びでは小さすぎるか」
「ち、違います!! お館様!!」
必死の思いでセフルが起き上がった時、ふいに月が翳る。

「アクラム!!」
土御門の高い築地塀から声が降ってきた。
見上げれば、月を背に地の玄武が立っている。

刹那、ひんっ…! と空気が鳴り、陰陽師と鬼の術がぶつかり合った。
「出るな」
援護に回ろうとした三人を、アクラムの声がぴしりと抑える。

アクラムは赤い唇を歪めた。
「八葉の身で神子を傷つけておきながら、壊れもせぬか」
「鬼、お前だけは許さぬ!!」
泰明の周囲で火花のような気がバチバチと爆ぜ、
手にした呪符に力が集まっていく。

アクラムは低く嗤った。
「ほう、許さぬ…と?
人間ごとき……いや、ただの道具が、
私に向かって思い上がった口をきくものだ」

「言いたいことはそれだけか!」
「八葉の相手などするつもりはない」
泰明の放った術が触れる直前、アクラムはふっとかき消えた。
そして次の瞬間、鬼門の辻に姿を現す。

「逃げるか、アクラム!」
ひらりと道に飛び降り、泰明はアクラムを追って走りながら呪符を投げた。
空中に桔梗印が花開く。

「お館様!」
背後からシリンとセフルが術を撃つが、泰明は気配だけで身をかわす。

しかしアクラムがすっと指を動かすと、桔梗の花は捻れ、萎んで消えた。
「手負いの陰陽師ふぜいが、私に挑むつもりか。
怨霊一匹を封じたくらいで、あまりつけ上がらぬことだ」

その時だ。
「鬼はこっちだ!!」
武士の野太い声がした。
土御門の門が開き、中から源氏の武士団が走り出てくる。
見張りの者が、アクラム達を見つけたのだ。

「現れたか、鬼!!」
頼久がアクラムに向かって剣を抜き放った。
「させぬ!」
瞬間移動したイクティダールが立ち塞がる。

その間に、アクラムとシリン、セフルは姿を消した。

「決着は後日だ、天の青龍」
アクラムの撤退を確認したイクティダールも、
頼久の剣を払うなり、大きく跳躍して消えた。

無人となった丑寅の辻を、月明かりが照らす。
武士団のざわめく声と、
右に左にとせわしなく走り回る松明の灯りだけが、後に残された。


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2013.04.22 筆