鬼 火

―エピローグ―

(泰明×あかね ゲーム本編中背景)


しばしの後、夜の辻は静けさを取り戻していた。

「この件を報告してから、警護に戻ります」
最後まで辻に残っていた頼久も、屋敷の内へ入っていった。
泰明は一人、今度は塀の外から結界を調べている。

ほどなくして、微かな穢れが見つかった。
常人には見えない結界の、さらに微細な変異だが、
泰明には、夜陰の中でもはっきりと分かる。
鬼門から少し離れた場所に、黒く凝った一点があるのだ。
結界に、針で穿ったように小さな穴が開いている。

泰明は指先に気を集めて結界に触れた。
続けて、黒い穴を囲む桔梗印を描く。
印は青く光ったかと見る間に、穿たれた穴に吸い込まれていき、
やがて縮れた葉をぽとりと吐き出した。

――病葉だ。
アクラムはこれに呪詛を乗せて結界を穿ったか。

拾い上げた葉は茶色い斑に冒され、
呪詛の残滓がちりちりと手を刺す。

泰明は祓えと浄めの呪を唱えながら病葉に護符を重ねた。
手の上で炎が燃え立つが、焼けつく熱さは感じない。

――これで、終わりだ。

結界を破り、鬼火を導き入れた病葉は、灰すら残さずに燃え尽きた。





――やっぱり眠れない。

あかねは夜具の中で眼を開いている。

今、八葉と藤姫は、少し離れた別の間に揃い、
ささやかな宴を兼ねた夕餉の膳を囲んでいるところだ。
しかしあかねは同席しなかった。
体調を気遣った藤姫が、早くやすむようにと、
こちらに膳を用意してくれたからだ。
あかねが休養することに、みんなが賛同したことは言うまでもない。

そして、世話係の女房達にせき立てられるようにして
早々と夜具にもぐり込んだのだが………
どうしても眠りにつくことができないのだ。

みんなにおやすみの挨拶をして部屋に下がる時、
入れ違いにやってきた鷹通が、泰明のことを話していた。
姿が見えないのは、結界を直すために屋敷内を調べているからだという。

――結界のことは泰明さんに任せるしかないけれど、
黙って行っちゃうなんて……。
鷹通さんが尋ねなかったら、何も言わないつもりだったのかな。
もしかして、結界を直したらそのまま帰ってしまうとか……。

あかねは勢いよく起き上がり、慌てて周囲の気配を確かめる。
しとねから抜け出して、こっそり外をのぞいてみると、頼久の姿はない。

泰明が結んでくれたうさぎさんにそっと触れると、
あかねは夜の庭を、足音を忍ばせて走り出した。





泰明が安倍の屋敷に戻ろうとした時、式神がまたもや異変を報せてきた。

――神子!

土御門の上を飛ぶ梟を通じて、こちらに向かって走ってくるあかねの姿が見える。
部屋を抜け出して来たらしく、素足のままだ。
時々立ち止まってきょろきょろしているが、何かを探しているのだろうか。

泰明は踵を返すと、高い塀を飛び越えて再び屋敷の中へと降り立った。

「何をしている、神子」
「きゃ……」
いきなり夜闇の中から現れた泰明に、あかねは小さな悲鳴を上げた。

「や…泰明さん!」
ひどく驚いたのと、ここまで走ってきたためだろう。
あかねは眼をぱちくりしたまま、何も言えずに肩で息をしている。

「驚かせてすまなかった、神子。
だが、何があった!? そのように急いで、一人で何を探している」
「あ……ええと……」

あかねは一瞬口ごもったが、すぐに意を決したように泰明を見た。
「泰明さんのことを、探していました。
もしかしたら、今日はこのまま帰ってしまうんじゃないかと思ったから」
「私の……ことを?」
冷たい風が止み、ふと、あたたかな風が吹いたような気がした。

あかねは泰明に近づくと、腕を上げて、うさぎさんを見せた。
「戦いの最中では、こういう形でしか伝えられませんでした。
だから会って、きちんとお話したかったんです」

真っ直ぐな瞳に、泰明の胸がざわざわと疼く。

「塗籠で眠っている時、泰明さんの声が聞こえてきました。
何度も私を呼んで、何度も私に謝って……
泰明さんが泣いている……そんな気がしたんです」

――それは違う、神子。私は泣くことなどない。
お前は知っているはずだ……。
心を持つ者だけが、涙を流す……泣くことができると。

だが、以前ならば躊躇なく口にしたであろう否定の言葉を胸の内にとどめ、
泰明は僅かに首を傾げながら、黙ってあかねの話を聞いた。

ひたむきで、一生懸命なあかねの言の葉は、
真の心から湧き出でたものだ。
言の葉を紡ぐ唇は、柔らかな花の色を宿し、
その姿は、月の光よりも淡く、清らかな気を放っている。

「私はもう大丈夫です」
最後にそう言って、あかねはにっこり笑った。

――神子は私の不在に気づいていた。
そして、この一言を伝えるために私を探し、ここまで来た。

泰明の口元に、おずおずと小さな笑みが浮かぶ。
「分かった。神子はもう問題ない、というのだな」

「はい。明日からまた、一緒にがんばりま…しょ…う……
…ふぁ…ぁっっ…くしゅっ!」

泰明は、ゆっくりまばたきしてあかねを見た。
「神子は大丈夫ではない。問題もある」
そう言うなり、あかねを抱え上げて、すたすたと歩き出す。

「きゃ……や、泰明さん! 何を……」
腕の中で、あかねは驚いて悲鳴を上げる。
「神子は、先ほども同じことを言った。なぜ繰り返す」
「だ…だって、急に…こんな……」

あかねの顔は真っ赤だ。
熱が出てきたのかもしれない。

「お前を部屋まで送る。素足のままでこれ以上歩くな。
神子はすぐ、考えなしのことをする。
夜に素足で外に出たなら、冷えてしまうのは当然だろう」
「ううう……ごめんなさい」
「だが、神子は私を案じて来てくれた。感謝する」
「泰明さん……」

「寒くはないか、神子」
あかねは頭を振り、柔らかな髪が泰明の頬に触れて動く。
「あたたかいです」
「そうか……」
「はい、泰明さんは、とても……あたたかいです」
身を固くしていたあかねが、泰明の胸にそっと頭を預けた。

泰明の胸が、ずきんと強く拍つ。
本当にあたたかいのは神子だ。
突然こみ上げてきた思いに、目が眩みそうになる。

――神子を離したくない。
歩みを止め、このまま……腕の中に神子を感じていたい。
もっと神子に近づきたい。

気まぐれな雲が月を隠した。
夜の静寂の中、自身の足音だけが耳に届く。
それは泰明の思いに反して、留まろうとはしない。

………そうか。
私は、叶わぬことを願っていたのだ。
このようなことを願う己の愚かさを、見て見ぬ振りをして来たのだ。

神子は私をあたたかいと言った。
だが、この身のあたたかさは偽りのものだ。
人の姿を模しても、人ではない。
………私は、あの鬼火と同じなのだ。

だが私は、神子の八葉だ。
こんなに神子のことばかり思うのは、私が八葉だからなのだろう。

ならば………

その時泰明は、あかねの瞼が重そうに閉じかかっているのに気づいた。
先ほどからおとなしかったのも道理だ。

「このままやすむといい」
小声でまじないを唱えると、あかねはことん…と眠りに落ちる。
笑みを宿したその寝顔に、泰明はささやきかけた。

「お前が……神子でよかった」








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プチ脱走を阻止された泰明さんは、この後本格的に(笑)。
そして、泰明さんとあかねちゃん、どちらも全力で片想いです。
鈍すぎです。
そこがいい、と私は思ってます。

最後まで読んで下さった方々、
迷走するのろのろ更新にも関わらず、
リアルタイムで最後までおつきあい下さった方々、
ありがとうございました!!!

関係ないけど、あかねちゃんが手を上げた時、
手の形はパーだったと思います。
同じ状況だったら、花梨ちゃんもきっとそう。
望美ちゃんは 拳 もといグーだろうなと、ほぼ確信。

それにしても、こういう話は勢いで書く方が楽だなあ……ぼそぼそ……。


2013.05.04 筆