鬼 火 6

(泰明×あかね ゲーム本編中背景)


雨の降らぬ日が続き、京の緑は日々色褪せていく。
この洛西の四つ辻にも、かさかさと干からびた土埃が舞い上がるばかりだ。

かつては広壮な屋敷が建っていたとおぼしきその一画は、
崩れた築地塀が続き、倒れた門柱は枯れかけた忍ぶ草に覆われている。

そんな白茶けた景色の中に、燃えるような緋色を纏った姿が現れた。
その鮮やかな色は、遠くから近づいてくる一行の目に、
はっきりと映ったようだ。
彼らの間に緊張が走ったのが、手に取るように分かる。

――来たか。龍神の神子。
お前の望むものはここにある。

刹那、地をかすめて何かが走り来た。
瞬きほどの間にそれはアクラムの眼前に迫り、牙を剥いて飛びかかってきた。
犬の形の式神だ。

だが式神は、宙に浮かんだ姿勢のまま動きを止めた。
ガチッと、アクラムの眼前で牙だけが大きな音を立てて鳴る。

――式神ふぜいに私を攻撃させるとは、気に入らぬ。

背後の地中から飛び出しかけたくちなわが、
見えない力で、ずぶずぶと地面に押し戻されていく。

指一本動かさず泰明の式神二体を止めたアクラムは、
歪んだ笑みを浮かべた。

「アクラム!!」
「逃さぬ!!」

――駆けてくるのは、天の青龍と地の玄武か。
お前達の相手など、してはやらぬ。

アクラムは、空中に止まったままでいた式神を
無造作に掴んで地面に投げ落とした。

「式神を通して見聞きしているのだろう、地の玄武。
龍神の神子に伝えよ。
お前の探している怨霊を連れてきてやったと。
この辻の屋敷に、それはいる。
愚かな人間共の恐怖を止めるには、それを倒すしかないのだよ。
お前にできるならば……だが」

「戯れ言はそこまでだ、アクラム!」
泰明の放った術が襲い来る。
だがアクラムの姿は一瞬のうちにかき消え、
直撃を受けた築地塀だけが、粉微塵に吹き飛んだ。





崩れた門の中から、ちりちりと瘴気が漂い来る。
かつてこの屋敷は、権勢を誇った大貴族の住まいだったが、
一族の凋落と共に、今では見る影もなく荒れ果てている。

アクラムの言葉は、嘘か真か。
いずれにせよ、中に入れば罠が待ち受けているのは間違いない。
しかし、瘴気の元凶をこのまま見過ごすこともできない。

「アクラムの野郎の思い通りってわけかよ!」
「鬼の奴ら、卑怯なことをしやがって!」
天真とイノリが苛立つのも無理はない。
罠と知りつつ飛び込むしかないからだ。

だが、鬼との戦いはこれまでもそうだった。
神子と八葉は、常に仕掛けられる側だったのだ。
それでも明王の札を集め、四神も一つずつ解放してきている。
それもまた、揺るぎない事実だ。

屋敷の母屋に凝り固まった瘴気がある。
外からでも分かる、強い怨霊の気だ。

崩れた門を乗り越え、膝丈ほどに伸びた草をかき分けて、
静まりかえった屋敷の中を、あかねを守りながら皆は進む。

「神子、怖ろしいのか」
唇をきゅっと結んだあかねに、泰明は問うた。
あかねは胸元で両手を固く握りしめたまま、黙って頭を振る。

「神子にまだこれを返していなかった」
あかねの手を取ると、泰明はそこに『はんかち』をそっと握らせた。
「……これは」
強ばっていたあかねの表情が、ふっと和らぐ。
「あ…きれいになってる。泰明さんが洗ってくれたんですか」
「そうだ」
泰明がこくりと頷くと、あかねは笑顔になった。
「ありがとう、泰明さん」

「礼は要らない」
短く答えて、泰明は母屋に眼を向ける。
もっと早く返すべきだったのに、
なぜか身から離し難く、ここまで持ってきてしまったことに
小さなやましさを感じながら。



庭伝いに回り込んで、皆は母屋へと近づいていく。
頼久と天真が様子を探りに行くが、母屋の中は異様に暗く、
破れた蔀越しに、倒れた調度がかろうじて見分けられるだけで、
奥を窺い知ることはできなかった。

大気が重い。
見えぬ瘴気が、沈黙の音となって耳を圧する。

全員が簀子の下に集まったところで、
泰明は呪符に光を灯し、奥に向かって飛ばした。
が、札は庇の前で何かに遮られたかのようにぽとりと落ちてしまう。
それでも呪符の光は一瞬、奥に蠢く怨霊の輪郭を浮かび上がらせていた。

皆、一様に息を呑む。
「あれは…」
「まじか…」
「うわっ!」
「そんな…」
「全部で…六体ほどでしょうか」
「やれやれ、面倒なことだ」
「あの…私の見間違いでなければ、あれは全部…」
「見間違いではない、永泉。全て洛西の怨霊だ。
蝶、豆狸、しょうけら、ノヅチ、斎姫の霊、そして」

あかねが震える声で続けた。
「私が封印する前に消えてしまった古鏡…がいました」

その時古鏡が微かに光り、怨霊が一斉にざわ…と動く気配がした。

「来るぞ! 神子を守れ!」
泰明が叫んだその時、闇が落ちた。



「神子っ!」
耳元で声がしたと同時に、 あかねは泰明に抱えられて、地面に倒れた。
肩越しに、炎が走り過ぎたのが見え、 装束の焦げる臭いが鼻をつく。

「泰明さん! 泰明さん!?」
あかねは悲鳴のような声を上げた。
が、返ってきたのはいつものように素っ気ない一言だ。
「問題ない」

「神子、泰明殿、そこにいらっしゃるのですか…?」
永泉の声が聞こえる。
「永泉さん! 私はここです。泰明さんもいます!」

と、その時、空中に揺らめく炎が現れた。
それは一つ、二つと分かれ、あかね達を取り囲む。

「鬼火か。襲われた者達が見たと言っていた」
泰明が身を起こし、あかねは手を貸してもらって立ち上がった。
しかし、泰明は握った手を離してくれない。

「神子、私達から離れないで下さい。おそらく怨霊がこの近くに……」
永泉は周囲を見回している。

「はい、永泉さん。みんなも気をつけて!」

しかし、誰からの答えもない。
鬼火に照らされた闇を透かして見ても、
あかねの側には泰明と永泉だけしかいない。
先ほどまで一緒にいたはずの仲間達が全員、消えてしまったのだ。

「頼久さん! 天真くん!」
大声で呼ぶが、返事は返らない。

これが、鬼の仕掛けた罠――?
あかねの背に、冷たいものが走る。

「神子……」
一緒に周囲を見回していた永泉が言う。
「きっと皆は、大丈夫です。ですから…どうか、落ち着いて下さい」

「心を乱すな、神子。
戦力は分断されたが、お前のことは私が必ず守る」
泰明は懐から呪符を取り出し、片手で構えた。

「あの…泰明さん、この手を離した方が…」
控えめに言ってみるが、
「黙っていろ」
泰明に、にべもなく却下される。

その時、
「あ…あそこに……」
永泉が闇の先を指さした。

薄明かりの奥に目をこらすと、そこには黒い影。
全ては、話にあった通りだ。

「泰明さん、早くあの怨霊を…!」
あかねは、泰明を見上げるが、
白い呪を施した横顔は、闇の奥を見据えたままだ。

影が動き、ざわりざわりと、瘴気が強くなる。

「泰明殿…!」
たまりかねた永泉がいつになく大きな声を上げた時、
泰明は唐突に言った。
「ならば永泉、笛を吹け」

「え……? な、何を仰るのですか。
今は…そのようなことをしている時では…」
永泉はひどく驚いた様子だ。

「お前の笛には、浄らかな水気がある。この瘴気を祓え」
「い…いいえ…私などに、そのような大それたことはできません」
永泉はうろたえ、懸命に固辞する。

――どうしたんだろう、永泉さん。
……まさか……泰明さんが考えているのは……

嫌な予感に、あかねは泰明の手をぎゅっと握った。
泰明もその手を握り返す。

泰明は冷ややかな一瞥を永泉に投げた。
「では、笛だけをここに出せ。それすらもできぬと言うのか」

「…………」

一瞬の沈黙があり、それが答えだった。


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2013.1.14 筆