鬼 火 5

(泰明×あかね ゲーム本編中背景)


「おじさん、助けてくれてありがとうございました……
………な〜んてね。
それより、自分の心配をしなよ。はははっ」

先ほどまで怯えていた子供が、いきなり笑い出した。
怨霊に追われているというその子の手を引いて、
必死で逃げてきた男は驚き、子供をまじまじと見る。

「ど、どういうことだ……」
「どういうこと? あんたがお人好しってことだよ。
人間ふぜいが怨霊相手にできることなんて、何もないくせに」
「う……辺りが急に真っ暗に……」

中空に大きな鬼火が現れ、二つ三つと分かれていく。
増えていく鬼火は、暗がりの奥に黒い蝶の影を浮かび上がらせた。
蝶は羽根を動かし、微細な鱗粉をまき散らす。

「う、うわあああっ、苦しい……助けてくれ……」

「さてと、次はどこに行こうかな」

「た…すけ…て…くれ…」

「うるさいな、僕は急いでるんだ。
シリンより僕の方が役に立つってことを、
今度こそお館様に分かってもらわないといけないんだから」




闇に飛び交う無数の鬼火の向こうに、高貴な姫の影がある。
その影の前で、二人の男が剣を手に戦っていた。

「ぐぁっ! 身体が…勝手に動く…」
「うう…ううう……なぜ…止められない」

男達の後ろから、嘲るような声が浴びせられた。
「馬鹿な男共だねえ。あたしにいい所を見せようなんてさ」

「女、だましたのか! ぐっ…」
「お前が…怨霊を操って………」
ゆらゆら揺れる炎に照らされた男達の顔は、
汗と血にまみれ、悔しさに歪んでいる。

「あんた達はもう用済みさ。 そろそろ次の獲物を探さないとねえ」

その言葉に、姫の影が男達に向かって動いた。

「お待ち。お館様のご命令だ。
こいつらは生かしておくんだから、やり過ぎるんじゃないよ」





深夜――
開け放した蔀戸から僅かばかりの月明かりが射しこみ、
微風に紛れて花の香りが漂ってくる。
泰明は闇の中で眼を開くと、真っ直ぐに身を起こした。

部屋の一角だけが、ほの明るい。
そこには、文机に置いたあかねの「はんかち」がある。

――不思議だ。
泰明は文机の前に端座して、小さく首を傾げた。
光を放っていないものが、なぜ柔らかな光を纏って見えるのだろう。

土御門から戻るとすぐ御祓の場に籠もり、
清い湧水ではんかちを流し浄め、祓えの儀式をした後に
魔除けのまじないを施したが、発光する術は使っていない。

……神子の作ったうさぎさんを解くのは躊躇われた。
神子はあの形を気に入っていたから……。

泰明は、異世界の不思議な布にそっと手を触れた。

刹那、胸が疼く。

――神子。

神子は、私を案じた。
私が人ではないことを、神子は知っている。
なのに、なぜ神子は……。

私の手に触れた神子の手はあたたかかった。
傷に布を巻く白い指は、迷いなく動いていた。
伏せた睫毛が、頬に影を落としていた。
神子は、心地よい菊花の香を纏っていた。

痛さに似て痛みではなく、苦しさに似て微かに甘い何かが
奥底から沸き立ち、波紋のように広がっていく。

――神子は、私など案じなくてもよかったのだ。
怨霊の消えた場所を見つめる神子の背中は、小さく震えていた。
あの時、神子はきっと……悲しかったのだから。

なぜ、神子は悲しんだのだろう。
老婆が怨霊だったからか。
偽りの言葉を信じてしまったからか。
怨霊を取り逃がしたからか。
封印ができなかったからか。

………分からない。
心のない私には、神子の心が分からない。

心の分からぬ私は、いつか神子を酷く傷つけるかもしれない。

胸が……おかしい。
毒は消したはずだ。
祓い切れぬ穢れが残っているのか。
壊れかけているのか。

それともこれが、怖れ……というものだろうか。





静かすぎる桂の地を、あかね、頼久、天真は歩いていた。
三人からかなり離れて他の八葉が油断なく警戒に当たっているが、
誰もが、静けさに潜む異様な緊張感に気づいていた。
道を行く人も田畑で働く人々も言葉を交わそうとせず、
時折聞こえる話し声も、こそこそと小さく短い。

「神子殿、怨霊の噂が思いの外早く広まっているようです」
「みんな怨霊が怖くて縮こまってるってわけか。
でもそれにしたって大げさすぎねえか。
昨日はこれほどじゃなかったぜ」
「それは私も気になっていたところだ、天真。
神子殿、少々お待ちを。村人に話を聞いてきます」

だが、頼久が声をかけて近づこうとしただけで、
畑に出ていた者達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

「な…なんだよ、あいつら」
「どうして……」

その時上空から、白鷺がふわりと舞い降りてきた。
白鷺は翼を広げると、泰明の声を発する。

「鷹通が顔見知りの者から話を聞いた。
昨日、多くの者が怨霊に襲われたそうだ。
人々が気を乱しているのはそのためだ」

「だからみんな、あんなに怯えたんですね」
「それにしたって、あれはないだろ。
頼久は何もしてないんだぞ。怖がりすぎじゃねえか」

白鷺は首を巡らし、木々の間に隠れてこちらを窺っている者たちを見た。

「襲われた者達は、むごたらしい状態で道に転がっていたそうだ。
彼らはかろうじて話すことだけはできたという。
その話を聞いた者は、彼らがどれほどに怖ろしい思いをしたか、
どれほど巧みに騙されたかということを知った。
悪しき噂は、疾く伝わるものだ」
白鷺はそれだけ伝えると、再び空高く飛び立った。

「何てひどい……」
あかねは微かに身震いした。
「急ぎましょう、頼久さん、天真くん」
「そうだな。まずは、やることをやっちまおうぜ」

三人の行く手を先導するように、白鷺が飛んでいく。
彼らの向かう先は、洛西でただ一つ、
まだ封印していない怨霊、古鏡のいる場所だ。

だが………

「いないか……」
あかね達より先に、上空から白鷺の目を通し、
泰明は怨霊が消えていることを知った。

本来ならば、怨霊がいなくなるのは喜ぶべきことだ。
だが今の状況では、悪しき連鎖の一環としか考えられない。


その日あかね達は怨霊と出くわすことはなかった。
そして翌日もまた………。

一方、洛西の各所で怨霊の災禍は後を絶たず、
事実は尾ひれのついた噂となり、噂はさらなる噂を呼んで、
京の街中にまで伝わっていった。

人々の間に、恐怖と猜疑心が野火のように広がっていく。





――弱き心はたやすく不信に蝕まれるものだ。
蝕まれた心は憎しみに囚われる。
囚われた心は怨霊の気と呼び合い、京は自ら滅びを呼ぶ。

それもまた一興……と思わぬか、龍神の神子。

生かしておいた者どもから、お前は多くを知ったはず。
こざかしい八葉は知恵を絞って、さぞやいろいろと
考えを巡らすのだろう。

だが、いくら怨霊を探しても無駄なのだよ。
自らが囮になるとは勇敢なことだが、すぐに報いてはやらぬ。
怨霊を操るのも、お前を操るのも、私なのだから。

しばし待つがいい。
焦り、苦しんだ後に、面白き趣向でもてなしてやろう。



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2012.12.18 筆