鬼 火 9

(泰明×あかね ゲーム本編中背景)


『案ずるな。
お前の清浄な気と、怨霊の瘴気を違えることはない』
『はい……。信じています、泰明さん』

――神子の瞳に、私が映っていた。
神子は恐怖の中で微笑み、私を信じてくれた。
だが私は………。



ここは土御門のあかねの部屋だ。
洛西からここまで、倒れたあかねを皆で運んできた。

幸いにもあかねは腕の傷以外に怪我はしていない。
それでも、なかなか意識を取り戻さなかったのは、
泰明の術の余波を受けた衝撃がとても大きかったためだろう。

今、あかねは塗籠で、泰明のかけたまじないで眠っている。
藤姫と古参の女房達が、あかねの身体を清め、
着物を着替えさせているところだ。



皆あかねを気遣い、声を低くして洛西での出来事や
これからのことについて話し合っている。

だが泰明はその輪に加わらず、部屋の隅に座して虚ろな眼を膝に落としているだけだ。
闇の中で起きたことを洛西から帰る途上で皆に伝えた後は、一言も発していない。

自らの術を受けた陰陽装束は、焼け焦げてひどい有様で、
泰明の身体が装束以上の深傷を負っていることは想像に難くない。
だが、泰明を苦しめているのは傷の痛みではないことを、
その場の誰もが知っている。
それゆえ、そしてあまりの憔悴ぶりゆえに、
泰明の沈黙をとがめ立てする者はいない。

陽の長い季節だが、もう夜が近い。
若い女房が高燈台に火を入れると、足早に立ち去った。

皆の話し声が、うつむいた泰明の耳を通り過ぎていく。

洛西の屋敷で闇に包まれた後、それぞれ四神ごとに分断されて怨霊と戦った。
永泉だけは一人になっていたが、ノヅチに追われて逃げる途中で、
何とか鷹通、友雅と合流できたという。

頭の片隅で彼らの話を記憶しながらも、泰明の意識はそこにない。



――私は、お前の信頼を裏切った。
神子を守るべき八葉が、神子を傷つけた。
私の人ならぬ力が、お前を傷つけた。



「分からないのは、蝶がとどめを刺す前に消えたことです」
「ああ、あっけなかったな。それに、あの蝶にはどこか違和感があったぜ」
「オレ達と戦った狸はさ、下駄が当たった時に変な形になったんだ」
「うん。最初は狸だったんだけど、その後はおかしな感じだったね……」

「私達も、斎姫の霊が形を崩すのを見ました。
つまり敵の正体は、洛西の怨霊に化けた別の怨霊、ということでしょう」
「神子殿の封印が破られていないと分かったのはいいが、
相手は姿を消し、形を自在に変える怨霊だ。なかなか厄介だね」
「怨霊が、神子や私の姿を真似るとは、何と怖ろしいことでしょうか……」



――神子、怖ろしかっただろう。
私の放った術……燃える桔梗印を眼前にして、
お前は為す術もなく立ち尽くしていた……。



「だとすれば、八葉の偽者が次々に現れることも考えられるかと」
「くそっ…。ずいぶん悪質な怨霊だな」

「でもオレ達全員に化けるなんてできないはずだぜ。
怨霊は全部で……ええと……ニセ狸だろ、ニセ蝶とニセ斎姫と…それから……」
「ノヅチだよ。あとは、しょうけら。全部で五体だね。
古鏡だけは本物だから、数えなくてもいいのかな」

「古鏡の存在は気になりますね。
けれど、私が一番気になっているのは鬼火なのです。
一見、何もしていないように思えるのですが……」
「私も鷹通殿と同じことを思いました。
ノヅチから逃げる時、鬼火も一緒に私の後をついてきたのです」

「あんまり心配するなって。
怨霊がいくら八葉のカッコになっても、オレ達を騙すなんてできねえんだからさ」
「そうだね。見た目はマネできても、本物と同じ事はできないし、
何よりボク達には宝玉があるし」

「ええ、宝玉の存在は決定的です。
幸い、闇の中でも鬼火の灯りがありましたので、
あの時は失礼ながら、友雅殿の宝玉は真っ先に確認しました」
「実は私も同じことをしたのだよ、鷹通。
いずれにせよ、怨霊は宝玉を装うまではできないようだね。
神子殿が永泉様の偽者を見破ったのも、
掌に宝玉がないことに気づいたからだと……」
そう言って友雅は泰明を見たが、答えの返る気配はない。



――あの時も、お前の瞳に私は映っていたか?
映っていたなら、それはさぞや醜く、おぞましいものだっただろう。
神子……私は、その通りのモノだ。



その時、塗籠の扉が開いて、中から藤姫と女房が出てきた。

「神子!」
一挙動で立ち上がった泰明が、あっという間もなく塗籠に入る。
「神子様はまだ眠……」
止めようとした女房の目の前で、扉がぴたりと閉まった。

「泰明早っ。意外と元気じゃねえか」
「いや、天真。いつもの動きとは違う。かなりの深傷なのは間違いない」
「ガラにもなく無理してるってことかよ。気持ちは……分かるけどさ」
「藤姫、あかねちゃんの様子は」
「はい、神子様は……」




藤姫が八葉と短い会話を交わしている頃、
土御門の鬼門に、赤い束帯姿の男が音もなく現れた。
男は手に乗せた病葉に息を吹きかける。

ふわりと飛んだ葉は、土御門を覆う結界に触れると黒い穴に変じた。

――よい頃合いだ。行くがいい。

呼び声に応えて、空中に炎が現れる。
それは見る間に針のように細くなって、黒い穴に吸い込まれていった。

――神子は倒れ、邪魔な陰陽師は深傷を負った。
八葉の最期の戦いぶり、ゆるりと愉しませてもらおうか。





塗籠に横たわりながら、あかねの意識は夢とうつつの間を漂っていた。

泰明のまじないで身体はまだ眠っているのだろう。
傷の痛みは感じない。

それでも、藤姫や女房達の気遣わしげな会話は聞こえていた。
やがてその声が聞こえなくなり、衣擦れの音が遠ざかると、
入れ替わりに、枕辺に崩れるように座る音。

なぜなのかな……眼を開かなくても分かる。
泰明さんだ。

「神子………神子……」
何て悲しい声だろう……。

泰明さん………と夢の中で呼びかける。

「私のせいだ……すまない、神子。
私がお前を……傷つけた……」

私の声、聞こえていないんだね。

額に、指が触れる感覚……。
指先はそっと動いて、何かの形を描く。

「私は……私には……こんなことしかできない………。
せめて…お前の傷みが和らぐように……」

かすれた声を振り絞るように、泰明は途切れ途切れの呪を唱えた。
さらに深い眠りの波が、ひたひたと押し寄せて来る。

違うよ……! 泰明さん。

声にならないと分かっていても、叫ばずにいられない。
眠りの波に逆らいながら、これまでのことを思い出す。

泰明さんは、いつでも私を守ってくれた。

無駄なことを嫌うのに、永泉さんが偽者だと見破っていてもすぐに攻撃しなかった。
『これで納得したか、神子』
私の気持ちを考えて、待っていてくれた。

『自分が撃たれるような気持ちになっていたのか?』
私が、私にそっくりな怨霊を見て怯えていることに気づいてくれた。

『まずは怨霊の変化を解き、正体を暴く!』
だから、私の姿の怨霊に攻撃しなかったんだ。

人の心が分からない――と、泰明さんは言う。
でも、いつだって一生懸命、私の心を大切にしてくれる。
ごめんなさい、泰明さん。
私を気遣って、あなたが傷ついてしまった。

とても強いのに、自分を守ることを知らないから。
何でも知っているのに、自分に心があることを知らないから……。

たゆとう意識が、焦点を結んだ。

目覚めなければ……。
泰明さんのおまじないは強いけれど、私は眠っていてはいけない。





藤姫達が去った後、友雅が、珍しく沈鬱な面持ちで口を開いた。
「先ほどの話だが、私はそれほど楽観的にはなれないのだよ。
確かに八葉同士なら、偽者に欺かれることはないだろう。
だが他の者はどうだろうか……」
そう言って、友雅は永泉を見た。

「あの……友雅殿がお考えになっているのは……」
永泉の顔が、みるみるうちに青ざめていく。

「はっきり言おうか。
もしも永泉様に化けた怨霊が内裏に現れたとしたら……」
「主上が……」
永泉が、かすれた声を絞り出した。

「そうか。帝に何かあったらおおごとだな」
「おおごとですむような話ではない、天真」
「おいおい、それってもしかして、
子分のとこにオレのニセもんが現れるかもってことか?」

「そうだよ、イノリくん」
突然、外から詩紋そっくりな声が答えた。
続いて、鉤の手に曲がった庇の角から、八つの影がゆらりと現れる。
その姿は、八葉そのもの。

「現れたか、怨霊!」
抜く手もみせずに斬りかかった頼久の剣を、もう一人の『頼久』が弾いた。

高燈台の火が、じじ…と揺らめいて消える。
庭に射していた月明かりが暗く翳り、辺りは闇に閉ざされた。
ぽっぽっ…と闇の周囲を鬼火が囲む。

「本物がいては、何かと不便なのでね」
『友雅』が艶然とした笑みを浮かべた次の瞬間、
影は一斉に襲いかかってきた。

「泰明、出てくるんじゃねえぞ! あかねを……くっ!」
天真の叫び声が途切れ、塗籠の扉を瘴気が包む。


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2013.02.15 筆