雪逢瀬 〜2〜

  


安倍家の屋敷は門を閉ざし、来る者を堅く拒んでいる。

幾度呼びかけても、門を叩いても、応答はない。
中で動くものの気配もない。

思い切って塀を乗り越えようとも試みた。
しかし、手をかけてよじ登ろうとすると、するりするりと滑るばかり。

「開けて下さい!!泰明さんはどこにいるんですか!!」

あかねの声はかすれ、喉がひどく痛む。
けれど、止めることは出来ない。

別の場所から、塀を越えてみようか……。
そう思って、きょろきょろと周囲を見回した時、

「怪しいことをしていると、こうして捕まってしまうのだよ…」

後ろから聞き覚えのある声がして、あかねはふわりと抱え上げられた。

「と…友雅さん?!」

「久しぶりだね。いつから盗人になったのかな」
以前と変わらぬからかうような口調で、友雅は言った。

思わぬ再会に一瞬驚いたあかねだったが、すぐに気を取り直す。
友雅さんなら何か知っているかもしれない!

挨拶もそこそこに、尋ねる。

「泰明さんが行方不明なんです!そのことで何か……
え?…友雅さん?!」

友雅はあかねを腕に抱えたまま歩き出した。

「近くに私の牛車があるのだよ」
「はあ?」
「その中でゆっくり、君の愛らしい声を聞かせてはくれないか」
「………」



泰明が家に帰らないことは、これまでにも何度かあった。
陰陽寮に出仕しているが、安倍家の陰陽師でもある泰明だ。
やっていることといえば、これ以上もない特殊な類の仕事。
依頼の内容によっては、幾日か必要とするものもあり、
急な要請で京を離れることもあった。

けれど、その折には必ずあかねに報せが来た。
人づての伝言、式神、あるいは文が届くこともある。

それなのに……。

だが、心配しながら家にじっとしているような、あかねではない。

まず内裏に行ったが、衛士に門前払いを食らった。

ならば、と御室に永泉を訪ねたが、特別な勤行に入っているとのことで、
女人が近づくのはまかりならぬと追い出された。

となれば、安倍家。
晴明の様子も心配だ。

しかし訪れてみれば……
中に入ることも、門弟の姿すら、見ることはできなかった。



牛車はごとごとと揺れながら、ゆるゆると進んでいく。

話し終えると、あかねは小さくため息をついた。

友雅は微笑みを浮かべて聞いていたが、その眉根は晴れない。

「何かご存知ありませんか。帝の護衛をしている友雅さんなら、
うわさ話とか、耳にしているんじゃ…」

向かいに座り、友雅を見上げるあかねの大きな瞳に、
友雅は迷い子のあどけなさと、大人の女性の憂いを見た。

「泰明殿も罪なことをするものだね…」

「友雅さんっ!私、真剣なんですよっ!」
あかねは本当に怒っている。今にも泣きそうだ。

私がいなくなったとして、ここまで一途に心配してくれる (ひと)
果たしているのだろうか……。
そんな詮無い思いがふとよぎったが、友雅は笑みを絶やさずに続ける。

「からかっているわけではないのだよ、本当にそう思ったのだから。
どうか機嫌を直してはくれまいか」

しかし
じいぃぃっ…と、あかねは恨みがましい目で友雅を見ている。

「できることなら力になりたいのだが、
実は私も詳しい話は聞いてなくてね……」

あかねの顔が、ぱっと輝いた。
「詳しいことは知らなくても、少しはわかるんですね!!」

「本当に、少しなのだが…」

そう言って、友雅は話し始めた。



このところ、宮中の諸行事に滞りが起きている。

重い役目を務める者に相次いで障りがあったり、
果ては、帝の潔斎の最中に内裏に穢れが持ち込まれた。
その様な時には、全てを最初からやり直すのがしきたりであり、
それは仕方のないこと、と最初は皆思った。

しかし、一度ならず二度、三度とそれは続き、
宮中に不安げな空気が広がり始めた。

連日のように加持祈祷が行われたが、効験はなく、
さらには芒星が丑寅の方角に現れるにいたって、
帝は安倍晴明をお召しになったのだった。

帝が何と言ったのか、晴明が何をしたのか、
そしてその時に何が起きたのか、
それは宮中でも僅かな者が知るのみ。

いかに帝の信頼厚いとはいえ、友雅の位階は正五位下。
知り得る立場ではない。



「というわけなのだよ」
あかねの顔に浮かんだ表情を見るのが辛い。

「泰明殿が本当に内裏に来たのかどうかも、私にはわからない。
役に立てなくて、悪かったね」

あかねはうつむき、黙ってかぶりを振った。

ごとん、と牛車が止まる。

「ありがとうございました、友雅さん」
気丈に笑顔を作って、あかねは牛車を降りようとした。

が、驚いて声を上げる。

「え?……ここは…」

「お待ちしておりました、神子殿」
牛車の前に、膝を突いているのは頼久。

「ここって、土御門ですよ…。なぜなの?友雅さん…」

「一人で泰明殿を待つのは辛いのではないかと思ってね」
「……でも、泰明さんはあの家に帰ってくるのに」

「ここには藤姫がいる。それに、藤姫の父上もね」
「あ…」

あかねの顔に、明るさが戻った。
「ありがとうございます、友雅さん!」
「やっと愁眉を開いてくれたようだね」

あかねは頼久の手を借りて外に出た。
勝手知ったる藤姫の館。
あかねは友雅に手を振ると、迎えの女房達に懐かしげに挨拶しながら
迷い無い足取りで奥へと入っていく。

「藤姫〜!」
「神子様…!お久しゅうございます」

中から、明るく弾んだあかねと藤姫の声が漏れ聞こえてきた。

「では、私はまた内裏に戻るとしようか」

牛車の簾が降りる。

「頼久、よろしく頼んだよ」
友雅の低い声がした。
「御意」

車はごとり…と動き出す。



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