雪逢瀬 〜6〜

  


ひりひりと嫌な気の漂う森の中を、泰明達は探索していた。
周辺を広範囲に調べ、結局この森が怪しいと目星を付けたのだが…。

ここ数日、呪詛の攻撃が止まっているのだ。
それ自体は歓迎すべき事ではある。
しかし、呪詛の襲い来る方向を頼りに進んできた一行にとって、
唯一の手がかりが消えたことになる。
無駄に時間ばかりが経っていく。

これを以て終結と見ることはできない。
あれだけの力を持つ者が、目的を遂げずしてあきらめたなどとは
到底考えられないからだ。

ともあれ、姿の見えぬ敵が未だ主導権を握っていることは動かし難い事実。
今は小休止の期間で、次の攻撃までの間に力を蓄えているのかもしれない。
あるいは、こちらの出方を探っているのかもしれない。
泰明達の存在に気づいていることも十分考えられる。

そして次の攻撃がいつなのかは、その者の考え一つ。
さんざん焦らしたあげくに、警戒を解いた時節を狙うのかもしれず、
すぐ次の瞬間かもしれない。
緊張で心が焼き切れそうな一瞬一瞬が続く。

だから前を行く三人の話は、自然、そのことになる。
「我らからの報せが届かぬうちは、お師匠が結界を解くことはないだろうが」
「ああ、心配なのは、宮中の有象無象の油断の心よ」
「だが、もう攻撃は無い、と勝手に思いこむ輩が多ければ、お師匠の立場も…」
「狡猾なやり方だな」
「うむ…ともかく、怪しい場所を突き止めねえと始まらん。急ぐぞ」
「はい。しかし…」

「静かにしろ」
泰明がぴしりと言った。
「…っ!貴様、偉そうに…」
行貞がつっかかるように言う。
遅々として進まぬ探索に焦れているのが、はっきりと分かる。

しかし、行貞に構わず泰明は続けた。
「浅茅が桔梗印を見つけた」

「何っ?本当か」
「どこに?」

「あの木の根方だ。そうだな、浅茅」
「はい。転んだ時に見えたんです」

「よりによって、何もできぬ小僧の言葉を信じるのか」
行貞は鼻先で笑ったが、洞宣と長任はその木の根元をのぞき込んだ。

「何も無いぞ」

「やはりな」

しかし、泰明は言った。
「眼を閉じ、手で触れてみろ」

「こうか…?」
手探りで木をなぞった長任が、大声を上げた。
「あった!!」
「そこか?どれ、俺も…」
続いて、洞宣もその印を確かめた。

「む、むう…浅茅が…」
「我らに見えぬものを…」
「偶然だ」

「あ、あの…すみません…」
一同の視線を浴びて、浅茅は落ち着かない。

「偶然とは言い切れない」
浅茅の後ろで、泰明は言った。

「浅茅は呪詛の風に当たっても問題なく、怨霊も穢れも見えない。
ならば、こうは考えられないだろうか。
陰陽師の力を持たぬ故に、かえって浅茅には、我らとは違うものが見えると」

「ばかな…」
そう反論しようとして、行貞は言葉を飲み込んだ。
泰明への反発よりも、今は大事なことがある。
少しでも前へ進むためには、微かな手がかりも捨ててはならないのだ。

「この印、結界のためでしょうか」
「おそらくはな。しかし、気に入らねえ。こんな所にお師匠の桔梗印とは…」
「晴源の仕業に相違ないかと」

「少々乱暴だが、丁寧に結界を解いている時間はねえか」
そう言うと洞宣は手刀を取り出した。
「洞宣様、どうなさるのですか」
「こうするのよ」
言うなり、洞宣は桔梗印の描かれた木肌をざっくりと割った。

ぶわっ……

何かが弾ける気配がした。

「間違いなかったようだな」
「けれど、どちらの方向へ進めばよいやら…」

泰明が淡々として言った。
「結界ならば、他にも同じ印が隠されているはずだ」
「まずは、それらを探さねばならんか」
長任が手を払いながら立ち上がる。
「結界は、 印の形をなぞったものだろう。
この森には、桔梗印を結んで、大きな五芒星が描かれている」
「くそっ!我らは今までその結界に阻まれ、知らぬうちに道を反れていたのか」
行貞が歯がみする。

「時間を無駄にしてしまったな。これ以上の遅れはならん。
広い森だ。手分けして探すぞ」
洞宣の言葉に、それぞれ別方向へと歩き出す。

「三つだ」
皆の背に向け、泰明が言った。
「三つとは?」
振り向いて長任が問う。
「印は三つだけ、見つければよい」

行貞が嗤った。
「桔梗印の形を知っているのか。先端は五つだ」
しかし、泰明は素っ気なく答える。
「知っているからこそ言っている。
どの位置でもよい。三つの先端が分かれば、全体の形は描ける。
形が描ければ、均衡を失った結界を破り、中心へと進むことができるだろう」

「くっ…その言葉、確かなのだろうな」
行貞は荒々しい足取りで立ち去った。

長任が浅茅に向かって言う。
「お前が頼りだ。頼むぞ」
「はいっ!!」




そして、結界の中心には、朽ちた御堂がひっそりと建っていた。








あの日……。

泰明さんの帰りを待ちながら
元の世界を思っていた。

夕暮れの空の向こうに
その幻を描いて……。

遠い遠い世界。
もう二度と会うことのない…お父さん、お母さん…。

手を伸ばして届くなら、その幻に触れたいと
ほんの少し…願った。

私はきっと、悲しい眼をしていたのだろう。

泰明さんは、そんな私の心を感じた。

だから、夕闇に溶けていきそうだと……。

泰明さん、あなたの方が、ずっと悲しそうだった。

私の、小さな淋しさを受け止めて、
あなたは、あたたかく抱きしめてくれた。

あなたの……痛いくらいの優しさ……。


あかねは右の頬に、指先でそっと触れた。

泰明さんの、八葉の証、
神子との絆の証があったところ。

それが泰明さんから消えた時、
私達はもっと深い絆で結ばれた。

泰明さん、私はいつもあなたと一緒にいる。

あなたを待つ時間は長いけれど、私は負けない。
あなたが遠くにいても、私はずっと、あなたを想っているから。








樹木に半ば覆われた御堂。
屋根は朽ち、壁も破れているが、 木々の陰となり、中の様子は窺えない。

その前に、泰明達は立っている。

「晴源が潜んでいるはずだ。覚悟していけ」
「はっ」
「開けるぞ」
洞宣が御堂の扉に手を掛けた。

五人は、油断なく中に入る。
しかし、怪しいものは何もない。

御堂の中は、屋根の破れ目から射し込む光で薄明るかった。
折れた柱の向こうに、壊れた須弥壇が見える。
床はあちこち抜け落ちているが、光があるので踏み抜く心配はない。

なま暖かい風が吹きすぎ、浅茅が小さく悲鳴を上げた。

「やたらな声をたてるな」
行貞が睨む。浅茅は身を縮めた。
「す、すみません…」
目には涙が滲んでいる。
「恐いのか?」
泰明の言葉に、浅茅は涙を袖で拭きながらかすかに頷いた。
その足が、がくがくと震えている。

「な…何か…とても恐いものが…近くにいるような気がして…」

「怖じ気づいた者は足手まといにしかならん。お前はここに残れ」
行貞が言い放つ。

しかし、浅茅はすごい勢いで首を横に振った。
「い…いやです。ここに残ったりしたら、
ぼくは一人前どころか半人前にもなれません」

「元々見込みはないのだ。大差ない」
「で、でも、母さんが…」
「母さんだと?やはり子供だな」
「母さんが、待ってるんです。ぼくが一人前になって帰るのを…だから…」
浅茅は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、皆を見回した。
「一緒に、行かせて下さい」
深々と頭を下げる。

「やれやれ、ここに至ってやっと、気配というものを
感じることができるようになったのか」
長任が半ばあきれ、半ば嬉しそうに言った。

泰明は黙して気配を探っている。

浅茅の言うことは正しい。
御堂に入ってからずっと、まとわりつくような視線を感じている。

この視線がどこから来るのか分からない。
それが、取りも直さず、敵の並外れた力を示すものだ。


床の破れ目を避けながら、御堂をさらに奥へと進む。

扉を開き、入る。
何もない。

さらに、扉。
それを開く。

その時、浅茅が叫んだ。

「危ない!ここは…!」

次の瞬間、暗闇ばかりの中に五人はいた。

最前までの御堂はすでに無い。

「な、何っ?!」
「ひぃぃっ…」
浅茅は恐ろしさのあまり、泰明の袖につかまった。

だが手練れの陰陽師たちは、すぐに態勢を立て直す。
「明かりを…」

洞宣の言葉に、行貞が素早く中空に明かりを灯す。

小さな明かりに照らされた先は、奥の知れない闇。

「この先に、晴源がいるのは間違いねえ」
「進むしか、ないようですね」
「小僧、泣くんじゃないぞ」
「ひぃぃ…はぃ…」


その時、行く手に蛍のようにかすかな光が現れた。

それは人の形をとり、糸で引かれているかのように近づいてくる。

「晴源かっ?!」
「いや、違う…あれは…!」
「あ……あ…あ…!」
「ひぃぃぃぃっ…!!」

闇に浮かび上がったのは、異形の瞳を持つ者。
見開いた瞳の中に瞳孔はなく、無数の黒い点が、蟲のように蠢く。

しかし皆を驚愕させ、言葉を奪ったのはその姿だった。

真っ直ぐ流れ落ちる長い髪。
蟲を宿した瞳は、左右で異なる色を持つ。

冷たいほどに整った美しい顔は、まさに……

「や……泰明……なぜ…」
洞宣がやっとのことで、掠れた声を絞り出した。

「ヤス…ア…キ?」
それは、小さく首を傾げた。

その顔の片側には、かつての泰明と同じように呪が施されている。

しかし、べったりと塗られた呪の色は、血のような赤だった。



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雪逢瀬

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