雪逢瀬 〜11〜

  


「ひぃぃぃぃっ…!!!」
浅茅は頭を抱えてうずくまった。
怨霊達に襲われると思ったのだ。

しかし、何も起こらない。

「立て。走るぞ」
泰明の声が、上から降ってくる。

「え…?あ!!」

浅茅が顔を上げると、怨霊の群は、皆に襲いかかろうと腕を振り上げ、
牙を剥きだしたまま、凍り付いたように動かない。

「怨霊の動きを止めた。
だが術の効果はすぐに切れる。急げ」
「は、はいっ!」

四人は、怨霊の間を縫うように走った。
動きは止まっていても、怨霊から発する障気は、沼地以上に濃密だ。
息が詰まり、力が抜けて行く。
しかし、目指す岩壁に辿り着くまでは倒れられない。
一歩、さらに一歩。

どくん!!

彼らの苦しみを嘲笑うかのように、地鳴りのような鼓動が響いた。

ギ…
グ…ギギ…

一斉に怨霊達が動き出す。

眼前に立ちはだかったひときわ巨きな怨霊が、鋭い鈎爪を振り下ろした。

咄嗟に避けるが、そこにも怨霊がいる。
一瞬、動きが止まったところに、怨霊が長い尾を一振りした。

洞宣と長任は弾き飛ばされ、泰明は最小限の動きでかわした。
浅茅は幸いと言うべきか、別の怨霊に高々と持ち上げられていて、
直撃だけは避けられた。

泰明の術が、その怨霊の腕を撃つ。
ボトッと地面に落とされた浅茅は、
歯をがちがちと鳴らしながら泰明に駆け寄った。
涙も鼻水も、もう出尽くしてしまったようだ。

どくん!!!

壁の裂け目から、暗く赤い光が漏れ出る。

「もう時間がねえ!
泰明!浅茅を連れて先に行け!」
弾き飛ばされた洞宣が、遠くから叫んだ。

「私と洞宣殿で、道を開く!」
長任が、少し離れた所で印を結んだ。

「……分かった。よい判断だ……」
泰明は、浅茅を肩に担ぎ上げた。
「ひぇっ!…ぼ、ぼく、走れます…」

「お前の足では、追いつかれる。
洞宣達の働きを無駄にするな」

「あ……でも、二人は…」
浅茅は顔を上げて洞宣と長任を見た。

「心配するな!怨霊の調伏は、いつもやっている仕事だ!」
「大丈夫だ。嫁御が待っている!」

「ふ…ふぇぇぇん…そんな……」

「行くぜ!!機を逃すなよ!!」

洞宣の術が、地を撃った。
ぐおっと、周囲の地面が揺れる。
洞宣得意の力技だ。
怨霊の動きが大きく乱れる。

洞宣が術を放つと同時に、泰明は走り出していた。

行く手に立ち塞がる怨霊が、
泰明の駆け抜ける刹那、次々と動きを止める。

長任の術だ。

「うわあっ!やっぱりすごいですね!!」
感嘆した浅茅だったが、すぐに気づく。

自分たちの援護にまわっている間、二人が無防備であることに。

キシャアアアア!!!
ギギッ!!

二人の姿は、怨霊の群の向こうに隠れ、見えない。

ぐっ、と浅茅が歯を食いしばった時、その身体が空中に飛んだ。
岩壁に向かって、泰明が思いきり投げたのだ。

「わあああっ!!」
「壁に掴まれ!」
「投げる前に言って下さひぃぃぃっ」
「そうだったな」

ごつっ!と、おでこをぶつけながらも、浅茅は何とか岩壁に張りついた。
そろそろと足場を確認しながら、裂け目まで移動する。

下に目をやると、泰明が駆け抜け様に怨霊を祓っているのが見えた。
そのまま軽々と岩壁に飛び上がり、こちらへと登ってくる。
後を追う怨霊は、なぜかある所まで来ると落ちていく。

「あ…結界?」
泰明にとっては、たやすいことなのだろう。
岩壁の途中で一度、下に向かって印を結び、何かをしていた。
思えばあれは、壁に札を貼っていたのかもしれない。
ほんのわずかな仕草、短い時間だったが…。

その時、浅茅は気がついた。

泰明一人だったなら、怨霊の群など、ものの数ではなかったのだろうと。

これだけの力をもってしたなら、障気の沼も独力で渡れたはず。

それなのに、これだけ大変な思いをしている。
その理由はただ一つ。
余計な荷物を背負っているから……。

  『不服か、泰明』
  『不服だ、お師匠』

出立の夜のことを思い出す。

今、泰明の抱いた不満は正しかったと、思う。

少しだけ、自分は役に立った。
でも、ほんの少し…だけだ。
皆の足を引っ張っていたのは、他ならぬ、自分なのだ。


岩壁を登ってきた泰明が、目の前に立った。
だが、浅茅はうつむいたままだ。

どくん!!

二人のいる裂け目を通り、鼓動が響き、赤い光が強さを増した。

「くっ…」
泰明が、胸を押さえる。

「泰明さん!大丈夫ですか?!」
思わず顔を上げ、浅茅は叫んだ。

「問題ない。だが、お前には問題があるようだ」
泰明の眼が、浅茅を凝視している。
その視線が、痛い。

「ごめんなさい…ぼく…」

泰明は、続きの言葉を待つように、沈黙している。

「ぼくが足手まといで……。
泰明さんだけだったら、きっと…ずっと楽に…
ここまで来られたはずで…」

「言いたいことは、それだけか」
泰明の口調は、冷静そのもの。
怒っているのか、あきれているのか、浅茅には見当もつかない。
おそるおそる答える。
「だ、だから……ごめんなさい」

「お前が謝っても、起きたことは変わらない」
当然のことだろう…そう言われている気がした。

「……そ、そうでした。
こんなこと言っても、今さら仕方なかったんですよね…」

「我々の目的は、楽に任務を終えることではない。
それぞれが判断を誤らず、必要な時に、必要なことをする。
そのようにして、ここまで来た」

「は…はい…」

泰明の声が、心なしか優しくなった。
「皆がいなければ、ここまで辿り着けなかった。
違うだろうか」

「泰明さん……そう…なんでしょうか…?」
「言の葉を偽りで穢すことはできない」

「ぼくは……泰明さん達と一緒に来て、よかったんですね」
「お前は、為すべきことを果たしてきた。
それは事実だ」

浅茅は、震えた。

ここまでの道が一瞬のうちに蘇り、胸を揺さぶり、駆け抜ける。
心の奥底に潜んでいた氷塊のような恐れの気持ちが、
熱くこみ上げるものに触れ、溶かされていく。

泰明が、裂け目の奥へと身体を滑り込ませた。

「本当の戦いはこれからだ。
行くぞ、浅茅」

「はいっ!!」





細い裂け目を抜けた先には、暗く赤い光が充満していた。
凄まじい力が渦巻き、それが鼓動となり、光となって、
外へと溢れ出しているのだ。

泰明達がいるのは、壁の中程の位置。
押し寄せる力に抗しながら、広い空間を見渡す。

水に囲まれるようにして、中央に岩の台座がある。
向かい側の岩壁を穿った奥に、祠。

と、その時、
「来タカ…」

渦巻く力を纏った晴咒が、祠から歩み出た。

あの凶眼を、真っ直ぐ泰明に向ける。

「今度コソ、壊レルガイイ!」

以前に倍する力で、晴咒は術を放った。
もはやそれは、形として見えるほど。

泰明の周囲の岩壁も、その直撃を受ける。
堅い岩が、まるで脆い砂のように飛び散り、がらがらと崩れ落ちた。



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