雪逢瀬 〜15〜

  


「負ケル…?ソレハ、ドウイウコトカ? 御師匠様」
「力が失われ、戦えなくなることだ」
「私ノ力ガ、失ワレルコトナド、アリエナイ」
「だが、もしもそうなったならば、お前はもう、いらぬぞ。
洞窟も、お前も壊れてしまえ。
お前の身体は、残してはならぬのだ」
「……ワカッタ。ダガ、私ハ負ケナイ」
「そうだ、お前は私に代わり、晴明を殺すのだ」

「御師匠様…イッテシマウノカ」
「………」
「御師匠様……」




浅茅を抱え、祠を飛び出した泰明の見たものは、
地響きをたて、崩れ落ちてゆく岩の台座だった。

その中央に、晴咒が立っている。

晴咒は印を結び、眼を閉じて、呪を一心に唱えていた。
一呼吸おくごとに、洞窟を取り巻く周囲の壁が剥がれ
こちらに向かって倒れてくる。

「起きろ!浅茅!!」
「う…ん…」
浅茅は小さく身じろぎをするが、目を覚ます気配はない。
泰明は浅茅を下ろし、地面に寝かせた。

そして、台座に立つ晴咒に向き直る。

晴咒は、残った力でこの洞窟を崩壊させるつもりだ。
止めなくては。

台座を取り巻く水の退いた後には、暗い深淵が顔をのぞかせている。
躊躇いなく、跳ぶ。

「来ルナ!!」
台座に降り来たった泰明から逃げるように、
今度は晴咒が深淵を飛び越えた。
間髪入れず、泰明も後を追う。

「行ッテシマエ!」
「お前を止めてからだ」
「術デ私ヲ倒スノカ」
「必要とあらば」
「ソレデハダメダ。
オマエノ術デハ、壊レタ身体ガ残ッテシマウ」
「その身体を残さぬため、この洞窟ごと葬り去る…というのか」

「御師匠様ノ命令ダ。
私ダケデモ、壊サナケレバナラナイ!」
言うなり、晴咒はばっくりと開いた深淵へと、身を躍らせる。

「晴咒!!!」

がらがら……ごっ…ごっ…
……湿った音を立てて、小石が闇の底へと消えていった。

「…………手ヲ、ハナセ」

淵に身を乗り出し、泰明は晴咒の腕を掴んでいる。
晴咒が跳んだ瞬間、その意図を察した。
そして、手を伸ばし……こうしている。

しかし、晴咒を引き上げようとしても、支えとなる地面が、
ひどくぬかるんでいる。
力を入れると、ずるりと深淵に向かって滑る。
少しずつ、後ろへ下がるしかない。

「ナゼダ」
左右で色の違う瞳が、泰明を見ている。

「分からない…」
「理由ガ無イナラバ、コノ手ヲハナセ」
「いやだ」

「イヤ…?」
瞳の中で、小蟲がざわめいた。
「晴明ノ命令ナノカ?」

「違う」
「命令デモナク、理由モナイトイウノカ」

「分からない。だが……、私には、捨て置けないのだ。
……大切なものを見つけぬまま、
お前がその身を消し去っていいはずがない」

「ツマラヌコトヲ言ウナ。
御師匠様ノ命令ヨリ大切ナモノハナイ」

「お前のお師匠が、お前に何をしたというのだ。
お前に命じたのは、咒い、殺し、壊すことだけだ」

「私ハ命令ヲ果タスタメニ、造ラレタノダ。
オマエモ、ソウデハナイノカ」

「違う」
「デハ晴明ハ、オマエニ何ヲ命ジタ」

あれは、秋の陽が柔らかに射す日、
この身に意識が宿って、最初に見たのは……、
お師匠の笑顔だった。

「お師匠の言の葉は、生まれたばかりの私には命令だった。
だが、よく分からぬ命令が、一つだけあったのだ。
大切なものを探せ……と」

「……オマエハ、意味ノナイコトヲ言ッテイル」
小蟲が当惑したように、左右に動く。

泰明は、小さく微笑んだ。
「そして、私は見つけた。
何よりも愛しく、大切なものを」

「オマエハ、晴明ニ造ラレタモノデハナイノカ?!

「そうだ。だが、大切なものを見つけ、幸福を知った」
泰明の笑みが消える。
「だから晴咒、お前にも見つけることができるはずだ」

「私ニモ……?」
小蟲の動きが、ぴたりと止んだ。
だが、次の瞬間、前にも増して激しく動く。

「私ハ心ヲ持タナイ。
オマエノ言葉ハ偽リダ!!」

泰明はかぶりを振った。
「造られたモノにも、心は宿る。
そう教えてくれた (ひと)がいた。
その言葉を、最初は信じることができなかった。
だがやがて、それが真実であると分かった」

晴咒は、ゆっくりと瞬きした。
小蟲が、瞳の中央に集まっていく。

「オマエハ…ドウヤッテ、心ヲ得タノカ?」

「いつの間にか、私の身の内から、
希う気持ちが溢れ出ていた。
止められぬその気持ちを、知ったからだ…と思う」

「コイネガウ…強イ思イ…カ」
「そうだ」

泰明は、じりじりと移動している。
奈落へと落ちる崖縁の短い斜面。
この端まで行けば、堅い岩盤で二人の重さを支えることができる。

「泰明……」
ふいに、晴咒が泰明の名を口にした。

瞳の中の小蟲は、真ん中に集まり、瞳孔の形を成している。

「私ハ…知リタイ…ト願ウ」

「何が、知りたい?」

「外ハ…ドノヨウナ世界ナノダ?
明ルイトハ、何カ?
太陽トハ…何カ?」

壁に描かれた幾本もの線を思い出す。
あれは、晴源の命令を忠実に実行するためだけではなく、
外界に出る日を、心待ちにしていた証でもあったのか?

「晴咒、お前はこの暗い洞窟に、ずっといたというのか?」
「ソウダ。御師匠様ハ私ヲココデ造リ、
ココデ私ニ、全テヲ教エテクレタ」

「全て…?
人に仇為すことのみ……教えられて…お前は…」

心が…痛い。

「オマエノ眼ニ、水ガ見エル…」

「これは…涙…というものだ」

地響きが轟いた。
瞬間的に手足に力を込めるが、
支えとなる足場はなく、あっけなく斜面を滑る。

「泰明……オマエハ自分ヲ壊ス必要ガナイハズダ」
「晴咒、お前も、自ら死ぬことはない」

泰明は再び、晴咒を引き上げようと、後ろに下がっていく。

「外の世界には、風が吹いている。
木々の匂い、花の香りを運んでくる大気の流れだ。
上を見れば、果てしなく高い空が広がっている。
そこに輝いているのが、太陽だ」

晴咒は眼を閉じ、小さく泰明の言葉を繰り返した。
そして、ぽつりと言う。

「外ノ世界ヲ……見タカッタ…」

「見ればいい!
お前自身の目で、美しい世界を見て、
陽の光の中を歩けばいい!」

晴咒は、首を傾げた。
「オマエハ、「モノ」カ?…ソレトモ「人」ナノカ?」

泰明は、自分と同じ色をした瞳を真っ直ぐに見て、答える。
「私は…人間だ」

晴咒の口元が、おずおずと広がった。
それは、恥ずかしげな笑みのように見える。

「人ノ手ハ、アタタカイモノナノダナ……」

ぐらり……地が揺れた。
ずるり……身体が滑っていく。
深淵が黒い口を開けている。

泰明は、歯を食いしばった。

「私ノコトハ、モウ……イイ…」
晴咒が、言った。

赤い呪の上を、雫が一筋、流れて落ちた。

「…泰明……ありがとう」

泰明の掴んだ晴咒の腕が、砂のように崩れた。

「晴咒!」

闇の底に、晴咒が落ちていく。
粉々に砕けた、砂粒となって。

「晴咒!!」

その顔に最後に浮かんだ微笑みだけが、
泰明の眼に焼き付いている。

「晴咒ーーーーっ!!!」

泰明は、深淵に向かって叫ぶ。
もう遅い……と知りながら。

その時、大きな地響きをたて、洞窟が崩壊した。




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