雪逢瀬 〜17〜

  


洞宣達は、これからのことを相談している。

まずは一刻も早く、京に報せを送らなければならない。
次には、行貞の手当、そしてここからの脱出だ。
今は、深く大きな落とし穴の底にいるようなもの。
大怪我をした行貞は言うに及ばず、他の者も相当な手傷を負っている。
自力で這い上がるのは、無理だ。

では、どうするか……。


彼らから離れた岩に、泰明は一人、座っている。

皆を岩の下から助け出した今、するべきことはない。
あれやこれやの中心となり、指揮をとっているのは洞宣だ。
話し合いの内容も聞こえてくるが、とりたてて口を挟む必要もない。

目を閉じれば、思いは最前の戦いへと戻っていく。



お師匠、私は間違っていたのだろうか。

だが神子…お前はきっと、
間違いではなかった、と言うのだろう。

お師匠を抹殺するために、晴源に造られた晴咒。
憎しみの心が生み出した、理から外れた存在。

私は、戦わねばならなかった。
晴咒を倒すため、全力を尽くした。
なのに私は、晴咒を救いたいと…願った。

なぜ、なのだろう。

この相反する思い、……これが心なのか。
心とは、これほどに矛盾を孕んだものなのか。

晴咒は、私を道連れにすることもできたはず。
だがその代わりに、自らを砕き、散っていったのだ。

神子……私は、何もできなかった。

神子……私は、わからない。

私の心は、なぜこのように痛むのだろうか。




猛禽の爪が浅茅の腕に食い込み、その鋭い目が、値踏みするように見ている。
小さな鷹の姿をした式神。
浅茅はその射るような凝視を、真っ直ぐに見返した。

「行貞さん、次はどうすればいいんですか」
「文はしっかり付けてあるか?」
「はい」
「そのまま空に飛ばせばいい。俺の式神は、速いぞ」
「はいっ!」

浅茅は空に向け、腕を伸ばした。

「飛べっ!!」

ぐっ、と浅茅の腕を押し返し、鷹は飛び立った。
見る間に天井の穴を抜け、躊躇うことなく一方向を目指す。

「初めてにしては、上出来じゃねえか」
「行貞の式神は、本人に似て扱いづらいのですが」
鷹の行方を見送った洞宣と長任が、口々に言った。

浅茅は、どきどきしながら自分の手を見ている。
今、生まれて初めて式神を使ったのだ。
まだ何の修行もしていないのに…。
でも、行貞さんの式神は、ちゃんとぼくの言うことをきいてくれた。

浅茅は興奮で上気した顔で、鷹の飛び去った空を見上げた。

その浅茅の頬に、冷たいものが触れる。

「あ……」
冷たいものは、浅茅の熱い頬ですぐに溶けた。

「雪だ」
鈍色の空から、ひらひらと白いものが舞い降りて来る。

「寒いのも道理だな」
「岩陰に移動しましょう」
「おい、泰明、手を貸せ。行貞を動かすぞ」

だが泰明は、空を見上げたまま動かない。

「泰明!」
「あの、泰明さん…」
浅茅がおそるおそる袖を引く。

だが、浅茅の声など耳に入った様子もない。
顔を上げたまま、小さな声で言う。
「神子……」

「え?何ですか?」
浅茅は聞き返したが、戻ってきたのは意味不明の答だった。

「ゆきだるま…だ」

「へ…?」
「約束した。ゆきだるま、というものを作ると」
「へ??????」

面食らって言葉もない浅茅に、泰明はくるりと背を向けた。
穴の端までいくと、岩壁を登り始める。

「おいっ!泰明っ!どうするつもりだ!」
「そんなに元気なら、他にもやりようがあるはず」
「自分だけか!やはり貴様というやつは……いたたたたた」

しかし、洞宣達の言葉に、止まるような泰明ではない。

ばらばらと崩れる脆い足場を辿りながら、
見る間に天井まで登り詰め、外に出て行った。

そして、
「使え」
上からぱさりと縄を投げ落とした。

「おお!」
「さすが泰明さんですね!」

しかし、縄は底まで届かず、中空にぶらりと垂れた。

「おい!届いてねえぞ!」
洞宣が怒鳴ると、
「お前達も、縄くらい持っているだろう」
声だけが返ってきた。

「繋げなければ、意味がない!」
「どうやってやれと言うんだ!」

しかし、もう返事はない。
泰明は行ってしまったようだ。


「ちっ!」
行貞が舌打ちした。
「何を急に慌てだしたんだ」
洞宣が首をひねる。
「ゆき…だるま……というのを、作らなければならないと言ってました」
浅茅は答えたが、まだ事態がよく飲み込めない。

「やっぱり、泰明は泰明だな」
「相変わらずだ」
「そうそう変わらないものですね。
嫁御はよいものですが」

浅茅は前から不思議に思っていた。
どうして泰明さんのこと、こういう言い方をするんだろう?
これでは、悪口みたいだ。

浅茅は思い切って尋ねてみることにした。
「あの…泰明さんが変わらないって、どういうことですか?」

「あのぶっきらぼうで、人を無視してかかる態度のことだ」
「一人で勝手に行動することだ」
「今回のことで、少しは見直しかけたが、やはりな」

「ええっ!泰明さんて、とても優秀で、強くて、やさしくて、
みんなから尊敬されてる陰陽師で……」

ぶん
ぶん
ぶん…いたたたた
洞宣、長任、行貞は一斉に首を横に振る。

浅茅はひどく驚いた。
見習いとはいっても、安倍の屋敷では、使い走りと雑用ばかりだった浅茅だ。
安倍晴明の最後にして最強の弟子、とまで言われる泰明とは、
今までほとんど会ったこともなく、ましてや言葉を交わすことなど、あり得なかった。
ただ、その有能ぶりが噂となって耳に入ってくるのみ。

それだけに、今回の同行者に泰明の名があるのを知った時には、
畏敬と畏怖の念で、震えてしまったのだが…。

泰明さんが、兄弟子の人達に、こういう風に思われていたなんて。

「でも…その…泰明さんて、優しい人だと思います。
行貞さんのそばに式神を置いていったり、とか」

「優しいものか!」
行貞は浅茅の言葉にかぶせるように言った。

「それは確かに、少しの間は感謝していた。
が、泰明が置いていったのは、よりによって四つ足の式神だぞ」
「はあ……それが?」
「水を飲ませろと言ったら、筒をくわえて俺の顔に水をぶちまけた。
つまり、筒の中に水はもう一滴も残ってない」

行貞は少し涙目になっている。
よほど悔しかったのだろう。

「災難だったなあ、行貞。
俺の水が少し残っている。飲むか?」
「は…はいっ!」
「……一人で先に嫁御の元へ行ってしまいましたね…」
長任も心なしか目が潤んでいる。

はあああ……。
三人は一斉にため息をついた。

が、 「行っちまったやつのことを話してても始まらねえ」
洞宣は気を取り直すように言って、立ち上がる。

ちらほらと舞う雪から逃れ、行貞に手を貸しながら、皆は岩陰へと移動した。

助けが来るまで、ここで何とかしのがなければならない。

それでも……
ぼくは、泰明さんみたいな陰陽師になりたい。

小さな岩を積み上げて風よけを作りながら、
浅茅は強く思っていた。




やがて、風花が牡丹雪へと変わる頃、穴の周囲に近隣の在の者達が集まってきた。

泰明が垂らしておいた縄を引き上げ、用意してきた縄を結ぶ。
ほどなくして、四人は無事に助け上げられた。

聞けば、貴人のように美しい顔立ちの陰陽師が、
彼らの救出を依頼していったとのこと。

「泰明にしては、気が利くな」
洞宣が上機嫌で言った時、その眼前に、手がすっと差し出された。
「な、何だ?」
「先程の陰陽師様が申すには、皆様をお助けすれば、
大きくて目がぎょろりとしたお方が、きっと礼をはずんでくれるはずだから、と」

「う…ぐ…ぐ…ぐ…泰明ぃぃぃ!!!」

もとより、助けてもらってそのままというわけにはいかない。
彼らにはたっぷりの礼を約して、一行は京への帰途についた。



雪は降り続き、世界を白く覆っていく。
地にぽっかりと開いた深い穴の周囲は、今は人影もなく、
白くしんと静まりかえっていた。

そこに、右足を引きずりながら近づいていく者がいる。

その者は深い穴の縁に辿りつくと、泰明がしたように、近くの木に縄を結び、
それにつかまりながら、底へと降りていく。

が、この話で語れるのはここまで。
後は、別の物語となる。

京に向かう陰陽師は誰一人、このことを知る由もなかったのだから。



次へ






雪逢瀬

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [18]




[小説トップへ]