雪逢瀬 〜9〜

  


行貞は、大岩の下に倒れていた。
肩が激しく上下しているのがわかる。
人の丈よりも大きな岩だったが、いびつな形のおかげで直撃は免れたようだ。

岩の崩れた頭上高くから、薄明かりが射しこむ。

「行貞さん…!」
尻餅をついたまま震えていた浅茅は、はっと我に返ると行貞に駆け寄った。
自分が岩の下敷きになる所を、救われたのだ。
「今、助けますから」

しかし行貞は、岩の下から引っ張り出そうとする浅茅の手を、
かすかに身じろぎして払った。

「いいから…行け」
小さな声で、呻くように言う。

「だめですよ…。一緒に行くって、さっき言ったばかりじゃないですか!」
「浅茅、行貞は動けないんだ」
長任が言うが、浅茅はぶんぶんと首を振った。

「ぼくのせいで…そんなのって、ないです…」
自分の代わりに、他の者が傷つく。
それを目の当たりにして、浅茅はどうしてよいかわからない。

「行貞さん…」
膝をつき、名前を呼ぶ。
何もできない自分が悔しい。

その時、
「間違えるな。お前の…ためじゃないぞ…」
行貞が言った。
顔を少し上げて、浅茅を見る。

「任のためには…お前が必要…それだけだ」
「で…でも」

「的確な判断だ、行貞」
泰明がいつの間にか、浅茅の隣に来ていた。

「泰明さん、そんな言い方って」
責めるように見上げた浅茅の視線を、泰明は受け止める。
「我らは何のためにここにいる」

「それは…」
「行貞は、それを片時も忘れてはいない」
「……」
「お前はどうだ。
ただの手伝いのつもりでいるならば、ここに残れ」
「……」

浅茅はぎゅっと唇を噛んだ。

手の中に握りしめていた筒を、行貞の手の中に押し込む。

「水、やっぱり行貞さんが持っていて下さい。ぼく達が…」
浅茅は立ち上がった。
「戻るまで……」

「…俺もすぐに…追いつく」
「行ってきます」
「ああ……」
行貞は、ふうっと深い息を吐いた。






「アレハ、生キテイタカ」
閉じていた晴咒の眼が、ゆっくりと開かれた。

瞳の中で小蟲が絶え間なく動き回る。

「ダガ…ヤツラニ邪魔ハサセナイ」

目に見えぬ力が、晴咒の周りをうねりながら回っている。
ここは、無尽蔵の力が湧き出でてくる場所だ。

自分の中に、力を最大限に蓄えてから、最後の呪を放つ。

晴咒は、暗い壁に当たった小さな光を見た。

その光は、現れては少しずつ動き、消えてはまた、現れる。

御師匠様は、光が現れた時から、次にその光が現れるまでの時間のことを
一日というのだ、と教えてくれた。
言われた通りに、呪の攻撃の間を計ってきた。

そして御師匠様は言った。

最後の呪を放った後、外界に出よと。

外界に出たならば、「京」という街に行き、晴明の気を辿り、
全てを破壊せよと。

御師匠様の命令は、どれも等しく至上のもの。

だが、晴咒は外界に出る日のことばかりを思ってしまう。

このようなことを思うのは、自分が壊れかけているからだろうか。
御師匠様の命令を果たす前に、壊れることはできないというのに。

「邪魔ハ…サセナイ。
安倍ノ陰陽師ガ、タッタ三人デ、何ガデキルノカ」

壁に穿った幾本もの線。
そこを、小さな光が少しずつ動いていく。
「……ヤツラハ…外ニ出ラレナイ。出ルノハ、私ダケダ」






浅茅は、沼の際に決然として立った。
……つもりだったが…

「足が震えてるな。先頭が足を踏み外したら、元も子もねえんだぞ」
「ここは信じるしかないでしょう」

「だ、だだだ大丈夫です。ついてきて下さい」

慎重に、浅茅は一歩踏み出した。
続いて、二歩、三歩…。

「うっ…なんだ、この障気は」
「息が、つまる」
歩くにつれ、足元から立ち上る障気が身体を伝い上がってくる。

洞宣と長任は、浄めの結界で身を包んだ。
肝心の足元まで覆えないのが最大の難点だが、
そこは手練れの者達、沼を渡りきるまでは、これで何とかしのげよう。

泰明も浅茅の頭に手を置き、印を結んだ。
自分と浅茅の二人を覆う結界を作るためだ。

しかし浅茅は頭を振って泰明の手をどかし、大きく一歩進んだ。
「ぼく、平気ですから」
「わかった」
泰明の答えは、短く、簡単だ。

その素っ気なさが、先程のことを浅茅に思い出させる。
押さえていた苛立ちを、浅茅は思わず口にしていた。

「ぼくの心配なんて、しなくていいです」
「必要なければ、しない」
「だったら、行貞さんは…!」
「行貞?」
「心配じゃないんですか?あんなに簡単に、置いてきてよかったんですか?!」

だが浅茅の言葉は、泰明の静かな叱責で途切れた。
「心を乱すな。後の者が道を踏み過る」

浅茅は、はっとする。
最前の慎重さはどこへやら、自分の足取りが荒くなっていることに気づいたのだ。
「……す…すみません」

暗闇の中、自分にだけ見える道。
非力な自分が役に立てる、ただ一つのことだ。

その道は、あの晴咒という人の所に続いている。
皆がそこまで無事にたどり着けなかったら、
この任務は失敗に終わるのだ。

ただ一人残った行貞の気持ちを、無にすることになる。

「すみません…」
もう一度、浅茅は謝った。

と、泰明が思わぬことを口にした。
「行貞なら、問題ない。今は眼を閉じて休んでいる」

浅茅は、飛び上がるほど驚いた。
「ど…どうして分かるんですか」
「式神を置いてきた」
「え……泰明さんの…式神を…ですか?」
「今の行貞は印も結べない。呪符も使えない。
お前は筒を握らせたが、あのままでは水も飲めない。だからだ」

「あ……」

浅茅は、恥ずかしさと、すまない気持ちとでいっぱいになった。
心から謝りたい…そう思った。
振り向いて、泰明に自分の未熟さを詫びなければ、と。

しかし、そのかわりに目を凝らし、細い道を確かめる。
自分にできることを、必死にやるしかない。

道は曲がりくねり、分岐しては行き止まり、また元の場所に戻る。

ここで迷っている時間はない。
ぐずぐずしていたら障気にやられる。
何よりも、あの晴咒が、次の攻撃に出るかも知れない。

突然、浅茅の眼に、正しい道筋がくっきりと浮かび上がって映った。

そして、道の向こう、沼の途切れた先に待つ者の姿もまた。



次へ






雪逢瀬

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18]




[小説トップへ]