雪逢瀬 〜14〜

  


浅茅の周りから、全ての音が消えた。

祠の外では、激しい戦いが続いている。
だが、今の浅茅には、自分自身の鼓動と、
髑髏から放たれる地鳴りのような鼓動しか、聞こえない。

どくん……どくん…
浅茅の鼓動に応えるように、
ぐおん……ぐおん…
髑髏から、穢れた力が溢れ出る。

浅茅は強く唇をかみしめている。
血が滲み、滴り落ちていることにも気づかない。

髑髏に相対した時の、恐怖。
それは人の持つ、半ば根元的な恐怖だ。
このように異様な場所ならば、なおさらのこと。

しかし浅茅は、もう目をそむけない。

今、ぼくは、たった一人だ。
ぼくが、この髑髏に……龍脈を穢すものに立ち向かうんだ。


押し寄せてくる圧倒的な力に抗い、
浅茅は、荒れ狂う波をかきわけるように、一歩ずつ、進んで行く。

目が眩み、真っ直ぐ顔を上げることもままならない。
今にも、打ちのめされ、押し流されてしまいそうなほどに。

だがこの力は、龍脈のものであると、泰明は言っていた。
使い走りの浅茅でも、その言葉の意味することは分かる。

龍脈を流れる力は、清浄なるもの。
京を巡り、万物への恵みとなるものだ。

あの髑髏が、龍脈の力を穢し、晴咒の力となり、
晴明を殺して、京を呪い、破壊しようとしている。

浅茅は、腕にしっかりと大きな石を抱えている。
武器など持たぬ浅茅には、これが精一杯。

遠くから投げたとしても、弾き飛ばされるのは目に見えている。
だから、うんと近寄って……そして……
この石を髑髏に叩きつければ……

浅茅は、重い石を持ち上げていく。

しかし、それをやっと肩まで上げた時、
髑髏が、カタリ…と鳴った。

ぶわっ!!
大きな手で押し戻されたように、浅茅の身体が髑髏から離れる。

同時に、浅茅の身体が、暗く赤い光を放った。

「な…何……?どうして…?」

身体が、ぴくりとも動かせない。
石を持ち上げたままの姿勢で、縛されているのだ。

そして浅茅は、自分の動かぬ腕に、
禍々しい紋様が浮かび上がっているのを見た。
その紋様が、髑髏と同じ色の光を纏い、髑髏と共に呼吸する。

その度に、ちりちりと灼かれるような痛みが走る。
悲鳴を上げようとしても、声が出ない。

髑髏は、黒い眼窩の向こうから、浅茅を見ている。

痛みの中で、浅茅は髑髏を見据えた。

首を動かしてみる。……だめだ。
腕を動かしてみる。……だめだ。
指を一本ずつ、動かしてみる。……これも、だめだ。

髑髏が、嘲笑ったように見える。

身体をひねってみる。……だめだ。
左足を動かしてみる。……だめだ。
右足は………
かすかな感触がある。

少しだけ動かせる!
わずかに、前に進む。

もう一度。
さらに、進む。

………『清明様の恩を忘れてはなりません。
    あなたは道を違えず、立派な陰陽師になるのですよ』

お母さん…。
お母さんに連れられて、ぼくは何も分からないまま
安倍家に来たけれど…
でも…今は……。

ぎりっ!
紋様が、身体を締め付ける。

………『任のためには…お前が必要…それだけだ』

冷たい人だと思っていた行貞さんは、大怪我をしてまで、
ぼくをかばってくれた。
その行貞さんは、暗い洞窟の向こうに、一人きり。

………『心配するな!怨霊の調伏は、いつもやっている仕事だ!』
………『大丈夫だ。嫁御が待っている!』

声が大きくて恐い洞宣さん、いつもかばってくれた長任さん…。
怨霊の群の中で、笑って僕を励まして、道を開いてくれた。
あそこで二人は今頃……
きっと、戦っている!
絶対に、倒れたりしていない!

じゅぅぅっ……。
嫌な音がして、紋様から煙が立ち上った。
身体が…灼ける…。
でも、まだ、動ける。
前へ……前へ……。

………『ただの手伝いのつもりでいるならば、ここに残れ』
    『皆がいなければ、ここまで辿り着けなかった』
    『お前は、為すべきことを果たしてきた。それは事実だ』

髑髏の眼前に来た。

泰明さん、ぼくは……ぼくのやるべきことを、果たします!!

浅茅は右足の爪先に力を込め、石を抱えたまま
思い切り前へと倒れ込んだ。

石が髑髏を砕く。
その瞬間、眩しい光が溢れ、祠を満たした。

浅茅の身体から、紋様が消えていく。




晴咒が祠を振り返った。
「御師匠様?!!」

晴咒は動きを止め、泰明の術を避けることもなく、その身に受ける。

祠の光が失せている。
晴咒は、よろよろと祠に向かった。

「御師匠…様……」

泰明が、その前に立ち塞がる。

「終わりだ、晴咒。お前の力の源は断たれた。
分かるか、ここに、清浄なる気の流れ出していることが」

静かな気が、洞窟の中に広がっていく。

晴咒はゆっくりと周囲を見回した。
そして小さく首を傾げ、しばし沈黙した後に、言った。
「……私ハ、負ケタノカ…」

「そうだ。お前の邪悪な目的は、もう果たすことができなくなった」
「邪悪?……ソレハ何カ。御師匠様ノ命令ガ、邪悪?
オマエノ言葉ハ、意味ヲナサナイ」

その時、泰明は気づいた。
晴咒は、祠に向かって晴源を呼んだのだ。
となれば、中の浅茅が!

身を翻して、泰明は祠に飛び込む。

「………」
晴咒はその背を見送るだけ。泰明を追うこともしない。




祠で泰明が見たのは、龍脈の溢れ来る中に倒れた、浅茅の姿だった。
規則正しく背中が上下している。

泰明は安堵した。
気を失っているだけのようだ。
あるいは……
泰明は、浅茅の顔に浮かんだ微笑みに気づいた。
そう、あるいは、眠っているのかもしれない。

他に人の影はない。

龍脈の力は、小さな岩の隙間から流れ出てくる。
周囲に散乱しているのは、岩と、……人骨か。

何があったのかは分からないが、浅茅はその役目を立派に果たしたのだ。

「起きろ」
泰明がそう言って、浅茅の背に手をかけようとした時、

ズン………!
何か巨大な物の落ちる音がした。




「役ニ立たヌモノハ、壊レナケレバナラナイ」

洞窟に流れていた水が、急激に退いていく。
水底に裂け目が開き、そこからどことも知れぬ深淵へと
滝のように流れ落ちているのだ。
水に囲まれた岩の台座も沈んでいく。

「コノ洞窟モ……私モ…」

台座に立ちつくす晴咒の眼は、岩壁に描かれた幾筋もの線を、
瞬きもせずに見つめていた。



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雪逢瀬

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