雪逢瀬 〜8〜

  


闇の中、時間ばかりが過ぎていく。

敵の正体が分かったというのに、身動きが取れないのだ。

行貞と泰明の負傷は大きな痛手だ。

晴咒は、晴源の居所については当然ながら何も語らなかった。
となれば、晴源がここに潜んでいる可能性もあるということだ。

最悪の場合、洞宣、長任、そして戦力外の浅茅の三人で、
彼らと戦うことになる。

だが、皆が留まっているのは、そのような理由からではなかった。

洞宣と長任は、あの後すぐに晴咒の後を追って闇の中へと入った。
しかし数十歩と行かないうちに、先を行く洞宣が、 障気の立ち上る沼に足を取られ、
そのままずぶずぶと沈み込みそうになったのだ。

幸い、すぐに長任が助け上げたものの、障気に当たった洞宣は、
しばらくの間は動くことができないほどだった。

松明を掲げても、道と沼地の区別がつかない。
試みに式神を放ってみると、沼は皆のいる場所を囲んで、
闇の奥深くまで広がっていることが分かった。

うかつには、動けない。
沈黙する五人の上を、時が通り過ぎていく。

だが、それぞれに、考えることは同じ。

沼を越えた先に、式神の入り込めぬ領域がある。
おそらくそこに、晴咒が、そして晴源がいるはず。

止めなければならない。
晴咒が外界に出たなら、どのようなことが起こるやもしれない。



敵を目の前にしながら、何もできぬとは…。

洞宣は歯がみしていた。

晴咒はここまで来たのだ。
あれだけ強い術を放ったことから考えても、
身代わりの式神や、ましてただの幻影だったとは思えない。

となれば、道はあるはず。
やつに分かって、我らに見えぬとは……。

そこまで考えて、ふと洞宣は思いついた。
ちょうど同じ時に、長任も同じことに思い至ったようだ。

二人の視線が、行貞に水を飲ませていた浅茅に向かう。

「お前、沼の中に道が見えねえか」
「浅茅、私と行って見てみよう」

「は、はい」
行貞の頭をそっと下ろし、浅茅は立ち上がった。


周囲の闇は、松明の光すら吸い込み、かき消してしまいそうに深く、黒い。

浅茅は鼻水をすすりながら、長任の後に続きおそるおそる進む。

夜の闇なら恐くない。
でも、この暗闇はとても恐い。
あの晴咒という人は、もっと恐い。

だが、自分の役目は、理解している。
一生懸命に、それを果たさなければ、と思う。
恐ろしさから逃げてはならない、と思う。

行く手に、何かもやもやと漂うものが見えてきた。
「あれは…何ですか?」
「やはり、何か見えるのだな、浅茅」
「はい。煙のようなものが、地面から立ち上っています」

「その煙は障気だ。どこか、障気の途切れている所はないか?」
「……煙……じゃなくて障気は、一面に広がっているみたいです」

「何ということだ…」
長任はがっくりと肩を落とした。
しかし
「あ!…細い道が…あります」
浅茅は、懸命に目をこらす。

「本当か!」
「はい」
「その道は奥へ続いているのか?」
「はい!!……でも……」

「何かあるのか?」
「道は…曲がりくねっているんです。それに、とても細くて…」
そう言って浅茅は両手を立て、自分の肩幅よりも狭い幅を示した。
「切れている所もあって…、向こうまで行くのは…」

「それがどうした!!」
障気の影響でまだ不自由な身体を引きずりながらやって来た洞宣が、
破鐘のような声で怒鳴った。

「ひぃぃぃっ」
浅茅は身を縮めた。
「ひぃぃぃっ…。ど、洞宣殿、急に大声など…」
「お前まで弱気になったか、長任。
何とか手だてが見つかったんだ。喜べ」

洞宣は、浅茅の肩に、どん!と大きな手を置いた。
「浅茅、お前が先頭だ。」

「は…はひ…ぃぃ」
「情けねえ返事だ」
「ははは、まだ仕方ないですよ」

その時、パラパラパラと音がして、上から小石が降ってきた。
咄嗟に頭をかばう三人の耳に、地鳴の音が響いた。

「む…」
「ここは危ない」
「ひぃ…ぃぃ」

「すぐに出発するぞ。浅茅!」
「はひ…。あの…泰明さんと行貞さんは…?」
「もちろん、あんな怪我人を連れて行くわけにはいかねえ」

洞宣が当然と言った調子で答えた時、

「もちろん…、こんな怪我程度で…置いて行かれてたまるか」

「あ、行貞さん…」

傷口に巻いた布から血を滴らせながら、行貞がよろよろと歩いてきた。

そのすぐ後ろから、声がする。
「行貞、私につかまれ」
「お前の…助けなど…要らん!」

「泰明さん!!」

浅茅は二人に駆け寄った。
その眼に、じんわりと滲んでいるのは、今はうれし涙だ。

しかし、
「もう、起きても大丈夫なんですか」
「問題ない」
泰明は、すたすたと浅茅の横を通り過ぎた。
最前まで倒れたまま身動き一つしなかったのが、信じられないほどだ。

そのまま、洞宣と長任の話に加わる。
「沼に踏み込まずにすんだとしても、障気の影響は避けられないでしょう」
「祓えるような代物じゃねえ。風で吹き払うか」
「闇雲なやり方では、かえって障気を舞い上げることになる」

「ち…」
行貞は小さく舌打ちしたが、心配げに見上げる浅茅に向かっては、
「世話に…なったな」
素っ気なく礼を言った。

「いえ…そんなこと…」
ぶんぶんと首を振る浅茅に、行貞は水の入った筒を渡した。

「お前の分だろう。返すぞ」
「あ…いいんです。これは行貞さんが持っていて…」

その瞬間、ゴオオッと地が揺れ、岩がガラガラと崩れ落ちてきた。

「くそっ!」
「うわっ!」
行貞が、思い切り浅茅に体当たりする。
浅茅の身体が大きく飛んだ。

その後に、ズンッと地響きをたて、大岩が突き刺さった。






日に日に、晴明の立場は悪くなっている。

「あの陰陽師ども、少々目障りとは思いませぬか」
「麻呂もそう思いまする」
「用もないのに長々と」
「嫌みの一つも言ってやりたいが、晴明とやらには、
主上直々の御下命で、厄介な護衛が付いておりまして…」
「左近衛府の少将殿でござろう」
はあああ〜。
貴族達は、ため息をついた。

「主上はまだ、あやつらを召し使うおつもりでしょうか」
「そもそもこういうことは、世の乱れの始まりかと皆が噂しております」
「おう、その噂、聞きましてございますぞ」
皆の噂なるものは、己に都合のよい話の寄せ集めにすぎない。
それを承知で吹聴して回る者は、宮中には星の数ほどもいようか。


そしてとうとう、

「左大臣殿は、いかが思われるか」

朝議の場、居並ぶ参議の一人が切り出した。

問われた左大臣は、列席した人々を見渡した。
その場の多くの者が、深く頷いている。

大勢がどちらに流れているかは、明らかだ。

ここで皆の意見に同意し、祈祷の終了を帝に奏上するならば、
万が一、その後に大事が起きても、朝議の場で決めたこと、との理由が立つ。

対して、これに反対し、結果、何も起こらぬまま日数ばかりを重ねたなら、
あるいは密命を帯びた者達が失敗したならば、
これを好機と見る者達は、こぞって左大臣の失態をあげつらうことだろう。

ふう…と、左大臣の肉付きのよい頬に、小さな笑みが浮かぶ。

高い御座所から、帝の視線が注がれる。

皆はこの朝議の結果は見えている、と考えていた。
権力の何たるか、権力を維持することの何たるかを知る左大臣であるならば、
その答えは自ずと明らかであると。

だから、次の瞬間、皆は己の耳を疑った。

左大臣の口から出たのは。

「否」

という答えであったからだ。

「よくぞ申した」
帝の声が下る。

「もったいなきお言葉でございます」
満座のざわつく中、左大臣は静かに頭を垂れた。

その心の中で、
小娘のひたむきさに動かされるとは、
我もことのほか青いものよ…と、
苦笑しながら。




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