時空(とき)のさすらい人


三条殿炎上




院の御所が、燃えている。

師走の深夜、寒風と熱風が炎をあおり、
三条殿の上に暗く広がる空までもが、禍々しく赤い。

夜討ちだった。
藤原信頼と源義朝の軍が攻め入ったのだ。

応戦に出た御所の武士が、次々と倒れていく。
何が起きたのか分からぬまま、怯え、逃げまどう女房たちにも、
容赦なく、雨のように矢が射かけられる。


そんな地獄絵図を、遠目に見ている子供がいた。

真冬というのに素足のまま。
すり切れそうな着物をまとい、 ぼさぼさの髪を後ろで括っている。
汚れた顔に、目ばかりがぎらぎら光る。

いくさを始めるのは、いつも偉いやつらだ。
それも、何だかよくわからないうちに。

京の街で騒ぎを起こすのは、
たいていオイラ達みたいなあぶれ者と決まっているけど、
こっちの方が、ずっと大きな騒ぎじゃないか。
ま、偉いやつらの考えることなんて、オイラには分かりっこないか。

子供は鼻の下をこすった。

とにかく、全部は燃えないでくれよ。
オイラの取り分、残せよ。

それだけが、この子供の真剣な願いだ。


その時、こちらに近づいてくる足音がした。

暗がりに身を隠して、様子をうかがう。

炎に照らされ、辺りはほの明るい。
足音の主は、院に仕える官人だった。
足を引きずりながら、やっと歩いているようだ。
陰になって顔は見えないが、荒い息づかいから、
かなりの怪我を負っていることが分かる。

炎上する御所から、運良く逃げおおせたのだろう。

しかし、彼の運はそこまでだった。

「ぐぅっ…」
小さな呻き声と共に最後の息を吐き出し、官人は倒れた。
そのまま、動かなくなる。

子供の口が、大きく横に広がり、欠けた歯がのぞいた。
笑ったようだ。

躊躇いもなく官人に近づき、裸足の爪先で蹴る。
反応がないのを確かめると、子供は官人の脇に膝をつき、
一度も抜かれなかった飾り太刀を奪い取った。
さらに、全身を探って、官人の持ち物を引き出すと、
素早く自分の懐に入れる。

へへっ、ついてる!
これなら、火事が収まるまで待つことないや。

子供はもう一度、鼻の下をこすった。
そのまま立ち去ろうとした時、怒声が響いた。

「小僧!!」
「何をしている!!」

まずい!検非違使だ!

逃げようとするより早く、太刀が振り下ろされる。
脛の見える短い袴に素足、真っ赤な装束。
やって来たのは火長の者達。検非違使の下っ端だ。
汚らしい童に手加減することはない。

懐に詰め込んだ「お宝」の重さで、よろけた。
それが幸いして、耳元を太刀が掠る。

が、この時初めて、恐怖を感じた。

逃げるんだ! そう思うのに、動けない。
全身が冷たくなる。
足が震える。

誰かに腕を引っ張られなかったら、そのまま斬られていただろう。

「走れ!」
その声に驚いて見れば、同じくらいの年の子供。
頭に布を巻き付けている。

そのまま路地の暗がりに駆け込んだ。

しかし、すぐ後ろから声がする。
「仲間か!」
「逃がすな!」

大人の足には敵わない。
すぐに、追いつかれてしまうはずだ…。
……オイラ、ここで死んじゃうのか…。

その時、ぐん、と身体が回った。
腕をつかんだ子供が、反動をつけて前後の態勢を入れ替えたのだ。

「借りるよ」
その子は、飾り太刀を鞘からするりと引き抜いた。

え…、何をする気だ?
まさか…
「無理だ!!」
思わず大声を上げてしまう。

しかしその子は、真っ直ぐに二人の火長の前に飛び出した。

「馬鹿め!」
だが、一人目の振り下ろした太刀は空を切る。

「どこだ!」
左右を見回す火長の背で、弓が耳障りな音を立てた。

びんっ!

弓弦が切れた音だ。

続けて
びんっ!

もう一人の弓弦も切られた。

「くそっ!」
「これじゃ使い物にならん」
二人の注意が、僅かにそれた。

「今だよ」
いつの間にか、その子が隣にいた。
わけがわからない。

でもそんなことより今は…

前を行くその子を追って、必死で走る。
路地から路地へ、暗がりから暗がりへ。
火事場から遠ざかるにつれ、ますます辺りは暗くなるが、
その子の足取りは、不思議なほど確かだ。
松明を持たない火長との間が、どんどん広がっていくのが分かる。
足音が遠ざかり、怒声が小さくなり、やがて聞こえなくなった。

「もう大丈夫だよ」
その子は足を止め、振り向いた。
息を切らした様子もない。
なんて、頑丈なんだ、こいつ。

「た、助かったぜ」
それだけ言うのが精一杯だ。

「じゃあ…」
そのまま行こうとするのを、慌てて引き留める。
「ま、待てよ……ここ、どこだよ」

京の街には詳しいが、暗い中をぐるぐる走り回って、
すっかり方向を見失ってしまったのだ。

「あ、ごめん」
素直に謝ると、その子は戻ってきた。
「もう四条を過ぎてるんだ」

「鴨川はどっちだ?」
「少し離れてるけど、あっちだよ」
男の子は、自分の行く先と同じ方を指さした。

ついてる!
「なんだ、オイラと同じ所に行くんだな。
お前も六条の兄貴の子分かい?」

下っ端検非違使を手玉に取ったあの腕前、どうみても、普通の子じゃない。
刀の構え方がすごく変だったから、武士の子でもない。
言葉遣いがやけに丁寧だけど、貴族の家に住んでいるはずもない。
だったら……

しかし、意外にもその子は、固い声で答えた。
「ぼくはその人のこと、知らない」
こちらを見ようともせず、歩き出す。

何だよ、こいつ。
でも、兄貴の所に連れていったら、きっといい働きをするに違いない。
かっぱらいなんてケチなことじゃなく、
兄貴達みたいな仕事もきっと…。

「六条のその人って、もしかして盗人?」
前を向いたまま、その子が急に口を開いた。

「そうだぜ。
オイラ達みたいな子供だって、ちゃんと使ってくれるんだ」

東山の後ろの空が、白々と明け初めた。
川の流れる音が聞こえてくる。
山の麓、建物の途切れた先は、まだ夜の中だ。

薄明かりで、その子の姿を初めてはっきりと見た。
じっとこちらを凝視する瞳は、深く澄んだ青。

ちょっと驚いた。

「お前…鬼か?」
「うん」

鬼がまだいたなんて、知らなかった。
でも、鬼でもいいや…と思う。
こいつ、悪いヤツじゃなさそうだし。

「腹、減ってるだろう?兄貴の所へ行かないか。
さっきのお宝を渡せば、お前だって…あっ!」

こいつ、飾り太刀を持っていない!

詰問しようとした時、そいつが先に答えた。
「太刀なら、あの人に返したよ」
「あの人?…まさか死人にか?」
「うん」

さっき、火長の後ろに回り込んで、弓弦を切った時、
あんな少しの時間で、さらにあれを置いたっていうのか?

いや、感心してる場合じゃない。
鞘だけじゃ、値打ちは半分以下だ。
「馬鹿っ!! あれはオイラのだぞ!!」

しかしその子は動じることもなく、首を横に振った。
「違う。亡くなった人のものだ」

しばし、睨み合った。

青い眼は、静かで、真っ直ぐだ。

そして分かった。
こいつは、オイラとは違う。
鬼だからとか、そういうんじゃなくて、
とても遠いやつなんだ。

オイラとも、兄貴とも、あの検非違使や、偉い貴族とかとも、
遠く離れて、
独り…なんだ。

川霧がたちこめている。
白い朝が来た。

「行けよ。お前が指さしたのは、もっと遠い場所なんだろう」

そいつは、少しだけ頬を緩めてうなずいた。
「うん、急がないと、間に合わない」

「どこまで行くんだ?」
「尾張の国」
「おわり?変な名前だな。どこなんだ、それ」
「ずっと東の方」
「そんな所まで何しに行くんだよ」

そいつの顔が、心なしか悲しそうになった。
「ある人を、助けるんだ」
「え?お前が?」

お前なんかに人助けができるのかよ…そう言おうとして、言葉を飲み込んだ。
さっき、こいつに助けられたばかりだ。

「礼がたんまり貰えるのか?」
そいつはかぶりを振る。
「お礼なんか、いらない。
その人が生きていてくれればいい」

「お前、変わってるな」

その時、そいつのお腹がぎゅるるるる〜〜っと鳴った。

二人同時に、思わずぷっと、吹き出す。

こいつは来ないだろう…そう思いながら、もう一度尋ねる。
「やっぱり、来るか?」

「ううん…。ぼくは……」

「盗んだ物は、食わないってのか」
無言で頷く。

「そんなんで、生きられるのかよ」

そいつの眼が、一瞬、激しく燃えた。
うつむいたまま、拳をきつく握りしめている。

だが、しばらくして顔を上げた時、
そいつの表情はとても穏やかだった。

「ぼくは、絶対に生き延びる。
生きて、どうしてもしなければならないことがあるから」

「いきなり難しそうなこと言うなよ」
何を考えているのか、さっぱり分からないやつだ。
しかし、それにかまわず、そいつは続けた。

「ねえ、君は、御所の炎の中に飛び込むことができる?」

あきれてしまう。
こいつ、頭がいいのか馬鹿なのか、どっちだ?
「できるわけないだろ」

返ってきたのは、相変わらず意味の分からない、
けれど、とても静かな言葉だった。

「できるんだ。
できるひとが、いるんだ。
見ず知らずの子供のために、命がけで戦ってくれたひとが…」

「ふうん、偉いヤツがいるもんだな」

「生き延びなければ、そのひとに会えない。
でも、それだけじゃだめなんだ。
そのひとに、真っ直ぐに顔を上げて向き合いたい。
そのひとの眼を、恥じることなく見たい。
そうでなければ、生き延びた意味がなくなってしまうから…」

「よくわかんねえや」
「そうだよね」
そいつは、少し恥ずかしそうに言った。

そして、橋に向かい、歩き始める。
「じゃあ、ぼくは行く。
しばらくの間、六波羅には近寄らない方がいいよ。
六条河原もだめだ」

「なんでだ?」
「君が、生き延びるためだよ」

朝靄の中に、そいつは去っていった。
すぐに姿が見えなくなったのは、濃い靄に隠れたのか、
それとも、鬼…だからか。

そしてその時、気づいた。

あいつの名前、きいてなかったっけ。







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[20.交錯・3 〜水車〜]  [21.交錯・4 〜ある日安倍家で@3〜]

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あとがき


三条殿焼き討ちは、後に云う「平治の乱」の幕開けです。
けれど、その最中にある人々にとっては、
その時々を切り抜けていくのが全て。
幼いリズヴァーンもまた同じ。

彼が向かった尾張の国は、九郎さんの父、源義朝が暗殺される地。
言うまでもなく、リズヴァーンは、それを止めに向かったのです。

私的設定では、「果て遠き道」とリンクしていますので、
これはリズヴァーンにとって2回目の平治の乱。
「散桜」の少し前を想定しています。

この時点で、義朝さんは勝ち戦の将。
その先の運命を知らなければ、尾張に向かうこともありません。

こういう設定のため、
「オイラ」に、市街戦の舞台になる場所に近寄らぬよう、
言うことができた…ということです。

かたくなに盗人を拒むところは、リズヴァーンの正義を重んずる性格ばかりでなく、
「果て遠き道」のエピソードもその理由となっています。
第1章「流離」で、時空移動してきたばかりの幼いリズヴァーンは、
盗人にさらわれ、大変な目に遭っているのです。

頭に巻いた布はオリジナル設定(笑)ですが、
京の街に出る時は、顔の火傷の痕ではなく、
一番目立つ金色の髪を隠していたのでは…?と思いましたので。



2008.4.16 筆