時空(とき)のさすらい人


交錯・4 〜ある日安倍家で@3〜




ある日の安倍家――

今日も見習いの少年がせっせと庭掃除をしている。

そこへ、同じ年頃の少年が通りかかった。
年は近くてもその少年は見習いではない。
纏っている服は、安倍家の正式な弟子のものだ。

「おはようございます、梶原様」
見習いの少年はさっと身を退き、丁寧にお辞儀をした。
安倍家での当然の作法だ。

「わっ、わわわっ!」
少年は驚いたように両手を胸元まで上げた。
「同い年なんだから、景時でいいよ〜」

しかし見習いの少年は頭を振る。
「それはできません。
僕は見習いですけど、梶原様はちゃんとしたお弟子さんですから」

梶原少年は、腕を組んで少し考えた。
「じゃあ、様はつけないで、景時さんていうのはどう?
それならいい?」

見習い少年はきょろきょろと辺りを見回してから、元気よく頷いた。
「分かりました。
兄弟子さん達のいない所では、景時さんて呼びます」

「兄弟子」と聞いたとたんに、
景時はしょぼんとしてため息をつく。
「はぁ〜〜〜〜〜。
そうだよね、兄弟子には逆らえないもんね」

「ど、どうしたんですか?
げっそりしてますけど、大丈夫ですか?」

「あっ、ご、ごめん。心配かけちゃったね。
ちょっと、用事を頼むって言われたんだけど、
全然ちょっとじゃなかったから……はぁ〜〜〜」
そう言って景時は木立の奥をこわごわと指さした。

そこにあるのは、古い蔵だ。
遠い昔に書かれた竹簡、木簡をはじめ、
今は使われていない多くの巻物や陰陽道具などが所蔵されている。

ほとんど開かれることがないためか、
あるいは庭の奥という薄暗い場所に建っているせいか、
安倍家の者達は、滅多に近づくことがない。

「あそこに行って、巻物を幾つも探してこないといけないんだよ」
「そ、それは、大変ですね!!」
「お化けとか出ないといいなあ。
そういうの苦手なんだよ〜」
景時は情けない声で言うと、もう一度ため息をついた。

「お化けが苦手……なんですか?」
見習い少年は驚いて目を丸くする。

「あ、陰陽師の修行をしてるのに、こんなこと言ったらだめだよね。
怖いのは本当だけど、行くしかないものね」
景時は自分を励ますように、ぐっと拳を握った。

「がんばってください。
きっとすぐ、見つかります」
「ありがとう。
じゃあ、梶原景時、いざ参る〜〜〜!」

景時はぴょんぴょんと駆けていった。
しかしその後ろ姿は、全力で怖い!と言っている。

兄弟子から厄介事を押しつけられた景時に、
見習いの少年は、同情を禁じ得ない。

安倍家の兄弟子が意地悪なのは、
百年以上も前からの慣わしだと聞いたことがある。

当時の安倍家には、人間離れした力を持った二人の弟子がいて、
陰陽の力では足元にも及ばない兄弟子達は、
羨望と妬みから辛く当たったらしい。
もっとも、当人達は兄弟子に何を言われても
全く気にしなかったそうなのだが――。

どんなに凄い人達だったんだろう。
会ってみたいなあ。
ちょっと怖い気もするけど……。

見習いの少年は、ずっと昔にいたという陰陽師のことを想像してみたが、
掃除が終わっていないことに気づいて、慌てて持ち場に戻った。




蔵の扉は大きくて重かった。
景時が一生懸命体重をかけると、
ギ、ギギ……と軋んだ音を立てて開く。

古びた埃の臭いと共に澱んだ空気が流れ出た。
中はもちろん真っ暗だ。

明かり取りの穴が壁の高いところにあるから、
それを開ければいい、と教えられたが、
景時はそんな所までよじ登ることはできない。

「こっそり手燭を持ってきてよかったな〜♪
あ、でも、蔵の中で火を使うのは危ないよね。
ええと……明かりを灯す術はどうやるんだっけ……」

術で灯した小さな光を掌に載せ、
景時が暗がりの中に一歩足を踏み入れたその時、

―――気配を感じた。

「誰!?」
反射的に身構えるが、暗闇の奥からは音一つ聞こえない。

それでも、いる。
何者かが、潜んでいる。

この安倍家に侵入を企てる者がいるとは信じられない。
稀代の陰陽師安倍晴明の名は、今も京の人々にとって畏怖の的だからだ。

だが、景時は確かに気配を感じている。

「ねえ、誰かいるんだよね?」
返事のない暗闇に、景時は声をかけた。

不思議なことに、怖ろしくない。
その気配には、悪意も穢れも感じないのだ。

「屋敷の人じゃないよね。この気は……誰とも違う。
こっちに……いるのかな?」
見当をつけた方向に、一歩二歩と進む。
とたんに、気配は消えた。

しかし落ち着いて探ると、別の場所に気配を感じる。

「ええっと……うーん、まだ、いるね。
ねえ、出てきてよ。今なら逃がしてあげるから。
お師匠さんや兄弟子の誰かに見つかったら、怖いんだよー」

「誰が怖いだと!?」
いきなり景時の背後から兄弟子の荒々しい声が降ってきた。
「ひっ!!」
驚いて飛び上がった景時の掌から灯りが消える。

「すすすすみませんすみませんごめんなさい!」
景時はぴょこぴょこと頭を下げて、平謝りに謝る。

「お前の役目は、さっさと巻物を探して持ってくることだろう?!
それをぐずぐずと怠けていたな!!」
「ち、違います! 怪しい気配がするんです!」
「まともに印も結べないお前が、何が気配だ! 十年早い!!
とにかく、そのアヤシイ気配なんぞ忘れろ!!」
「は……はい……」

しょんぼりとうなだれた景時に、兄弟子は少しだけ声を和らげた。
「ずいぶんとちっぽけな光だったが、何とか術で明かりを灯せたようだな。
だが、驚いて消してしまうようではまだまだだ。
次はもっと大きな灯火を宙に浮かべるんだぞ。
もう巻物はいいから、母屋に戻れ」
言うだけ言うと、兄弟子は出て行った。

どうやら、蔵へ行くようにとの命令は、
明かりを灯す術を身につけるための修行で、
景時はぎりぎり合格したらしい。

「あ、ありがとうございました!!!」
兄弟子の後ろ姿に丁寧に一礼すると、
景時はもう一度、蔵の中に入った。

そして気配のする方に向かって、声をかける。
「扉、閉めるけど大丈夫?」

潜む気配が、ふと微笑んだような気がした。

「入れたってことは、出られるってこと?
悪い人…じゃないよね。
信じるから、ここにある物、盗んだりしないよね」

あたたかな気が伝わってくる。

景時は、静かに扉を閉めた。




――あの少年には悪いことをしてしまったか。

リズヴァーンは安倍屋敷の母屋の上にいる。

辺りは夜の帳に包まれているが、
目的を果たすまで屋敷を離れることはできない。

しかし、蔵に忍び入ったところを気づかれるとは……。
しかも相手は陰陽道の修行を始めたばかりの者だ。

あの後、屋敷の中をあちこち移動しても、
リズヴァーンの隠形は、練達の高弟にすら
気づかれることはなかった。
兄弟子にはさんざんな言われようだったが、
あの少年には陰陽師という器には収まらぬ才がある。

その時、屋敷の一画で騒ぎが起きた。

「痛っ!」
「固っ!」
「な、何なんだ、これは!?」
「何なんだこれは、と聞かれたら……」
「結界だと答えるのが世の情け……的な」

リズヴァーンが庇の下に張った結界に、
屋敷の者達がやっと気づいたのだ。

「なぜこんな所に結界があるんだ」
「誰がやったんだ」
「とにかく、すぐに解かなければ」
「そうだそうだ」

リズヴァーンは静かに立ち上がった。

結果は出た。
安倍家の者達が、少なからず手こずっているのが見て取れる。
目的を果たすことができたようだ。

リズヴァーンは、陰陽の呪法を知るために
安倍屋敷に忍び入ったのだ。

蔵の中で探し当てた古い書物を読み解いて結界を張る術を会得し、
それを安倍屋敷に仕掛けて効果のほどを見極めた。
名だたる陰陽師を相手にしても、結界は十分に機能しているようだ。

――これで、鞍馬の道を閉ざすことができる。

リズヴァーンは中天に煌々と輝く月を見上げた。
月光を受けて、波打つ髪が淡い金色に輝く。

何者かの気配があることに気づき、
安倍家の当主が母屋の屋根を見上げた時には、
リズヴァーンの姿は消えていた。


景時の感じた気配と、
いきなり現れた結界とを結びつけて考える者は誰一人いないまま、
この日のことは安倍家の文書に不可思議の事件として記され、
やがて忘れ去られていった。







[1.狭間を往く者]  [2.驟雨]  [3.閑日]
 [4.富士川 東岸]  [5.富士川 西岸・前編]  [6.富士川 西岸・後編]
[7.霧の邂逅]  [8.兆し]  [9.天地咆哮]  [10.三草山]  [11.三条殿炎上]
[12.皐月の里]  [13.腕輪]  [14.剣が繋ぐ光]  [15.交錯]
[16.若き師と幼き弟子]  [17.交錯・2]  [18.鞍馬の鬼・前編]  [19.鞍馬の鬼・後編]
[20.交錯・3 〜水車〜]



[小説・リズヴァーンへ] [小説トップへ]



あとがき


「遙か3」の時代の安倍家には、
安倍晴明も、その気を受け継いだ泰明、泰継もいません。

なので、陰陽道の名家ではあっても、
残念ながらその実力は、かなり弱体化しているのではないかしら?
リズヴァーンの侵入とささやかないたずら?を許したのもそのためでしょう。
そして歳月を経た分、1、2の時代がちょっとおかしな伝説になっている模様。


この後、景時は父の訃報を受けて修行を中断して帰郷するのですよね。
けれど十数年の後、リズヴァーンが鞍馬山に施した結界を、
景時が陰陽の術で破ることになります。

そういえば、景時と見習い少年との会話の中で、
朔のことも話題にしたかったのですが、
主軸がどんどんずれていきそうなので渋々止めました。
この辺りは景時主役の話でいずれ書きたいです。
ノン・カプになりそうだけど(笑)。


なお、この話のベースは、
リズ望長編「果て遠き道」第2章第1話 「暗雲」 の、
京邸での会話に出てきたエピソードです。
よろしければ、こちらもご覧頂けるとうれしいです(←CM)。



2015.10.30 筆