時空(とき)のさすらい人


兆し




「姫様、そのように急いでは危のうございます」
息を切らしながら、女が言った。

「いいえ、急がなければ…。
今日の、この時でなくてはならないのですもの」
姫と呼ばれた少女は、振り返ることもなく歩を進めていく。

「ああ…足が…もう動きません」
「ならば、ここで待っていて」

鞍馬の山道を登っていく一行がある。
貴族の姫と、お付きの女房が二人、
前後を警護の武士が守っている。


鞍馬寺に詣でるのだろう。

彼らの様子を遠くに見ていたリズヴァーンは、
頭の片隅でそう思った。
同時に、気配を断ち、険峻な道をそれて、
さらに険しい獣道へと分け入る。

京の街から、山の庵に戻る途中であった。
このまま進めば、彼らと遭遇してしまう。

リズヴァーンは音もなく草を分け、獣道を登る。
ほどなく一行を追い越すが、警護の武士達が
リズヴァーンの存在に気づいた様子はない。

獣道は寺へ続く道から離れ、小さな谷を迂回して続いている。

もう彼らに気づかれることもないか…

しかしその時、

「姫様ーー!!」
「お戻り下さい」

女房と武士の大声が交互に聞こえた。

「来てはなりません!!」

姫のぴしりとした声が答える。

リズヴァーンの足が、ぴたりと止まった。

その声は、人道と獣道の間、草と岩と木の根ばかりの
急な斜面から聞こえたのだ。

覚束なげな足取りで進んではいるが、
姫の足音は、真っ直ぐこちらに向かってくる。

私の気配を…いや、気の存在を読んでいるのか…。

瞬間移動で、巨木の枝に移る。

姫の進む方向も変わった。
過たず、リズヴァーンのいる木を目指す。

何者なのか、あの姫は…。

まだ、あどけなさの残る面差しでありながら、
年上の女房や武士達を抑える強さといい、
山道を一人で進む無鉄砲ともいえる気力といい、
貴族の姫にしては、あまりに型破りだ。

だからといって、やすやすと関わるわけにはいかない。

リズヴァーンが、再び瞬間移動しようとしたその時、
凛とした姫の声が響いた。

「私は藤原菫。星の一族です」


星の、一族………

くらりと、眩暈にも似た感覚が襲う。

確かに、いたのだ。
長き時を経て、神子に繋がる者に、やっと会えた。

泰継の残した記録にあった、白龍の神子に仕えるという一族。
未来を予見し、現在の気を見る力が、この姫に…。

確かに、冷静で頭のよい姫だ。
いつ姿を消すか分からぬ相手に、
一番重要なことを最初にぶつけるとは。

菫姫は、待っている。
自ら名乗ったことで、
リズヴァーンも名乗るよう、言外に促したのだ。

しかし…

「私は、名も素性も、答えることはできない」

「では、せめて姿をお見せ下さい」

「それも、できない」

菫姫は、一瞬、ひどく悲しげな眼をした。
幼い表情がのぞく。

しかし、両の手を胸の前で堅く握りあわせると、
菫姫は静かな声で言った。

「答えることができない…そして、姿を見せることもしない…。
それが、あなたの答えなのですね」

「そうだ」

菫姫は、大きく息を吸い、眼を閉じた。

「あなたの卦は艮。あなたの気配は、消えては現れた……」

「これ以上、話すべきことはない。
戻りなさい」

だが菫姫は、言葉を続けた。

「占いに…出たのです。
今日、この鞍馬で、強い艮の気に出会えると」

リズヴァーンは何も言わなかったが、
菫姫は山に向かって語りかけるように話し続けた。

「未来を占うと、悪いことばかり。
だから、うれしかったのです。
神子様を待つ方と会えるなんて…と」

「姫様ー!!」
「何処におわしますかっ?!」

斜面の上から声が聞こえてくる。
菫姫の帰りの遅いことにしびれを切らし、
供の者達が捜し始めたようだ。

「その方がたとえ自分の使命を知らなくても、
私はそれでもよい、と思いました。
いつか神子様に会い、共にお仕えできる方を、
一目見るだけでも…言葉を交わすだけでも、よいと…」


ここにも……神子を待つ者がいた。

「世が乱れています。
恐ろしい夢も見ます。
天地の青龍が、相戦う夢を…。
恐ろしい戦が始まるのでしょう…」


そうだ……神子は、修羅の乱世に降り来たる。


「おお、いらしたぞ!!あそこだ!」
「ひええ…何とおそろしい所に」
「今お助け致します!」
「姫様〜、動いては〜なりませぬ〜」


語らぬことで、答えた。
利発な姫は、語られぬことで、悟った。

……それでよい…。
それだけで……。

しかし


武士が斜面の上に姿を現した。
「姫様っ!」


「一つだけ、約そう」

リズヴァーンの言葉に、菫姫は、はっとして顔を上げる。

「私は必ずや、役目を果たす」

菫姫の顔が輝き、

「……我が身命を賭して」

その唇が震えた。


「姫様、もう大丈夫です」

斜面を滑り降りてきた武士が、菫姫を抱え上げた時、
姫の頬に、つ…と涙が流れ落ちた。

「恐ろしかったのですね。されど、どうかご安心を」

菫姫は何も言わず、ただかぶりを振って、遠くの梢に目をやった。


人ならぬ力を持つ強き艮の卦は、
森の奥深くへと遠ざかり、
やがて、山の気と溶け合って消えた。


「時が到れば…
その時は、私も…」

この誓いが、どうか天へと届きますように…。
菫姫は、鞍馬山の上に広がる空に向かい、
静かに祈りを捧げた。







[1.狭間を往く者]  [2.驟雨]  [3.閑日]
 [4.富士川 東岸]  [5.富士川 西岸・前編]  [6.富士川 西岸・後編]  
[7.霧の邂逅]  [9.天地咆哮]  [10.三草山]  [11.三条殿炎上]
[12.皐月の里]  [13.腕輪]  [14.剣が繋ぐ光]  [15.交錯]
[16.若き師と幼き弟子]  [17.交錯・2]  [18.鞍馬の鬼・前編]  [19.鞍馬の鬼・後編]
[20.交錯・3 〜水車〜]  [21.交錯・4 〜ある日安倍家で@3〜]

[小説・リズヴァーンへ] [小説トップへ]




あとがき


孤独な先生に、ひとときの救い?を
感じてもらいたくて、書きました。

神子を待つ者は、先生一人ではありませんから、
ということで。
ただし、「この時点では」……なのですよね(苦笑)。

ですので、逆から言えば、
これはスミレおばあさんの、時空移動前のお話。
文中に明記していませんが、
富士川の戦いと同じ年という心づもりで書きました。

この後の菫姫については、
かなり前から妄想が暴走していますので、
早く具現化したいと思っています。
その折には、譲くんの日記の番外編「天界の星の姫たち」の続編で。

なお、文中の泰継云々は、「果て遠き道」ベースの部分です。
???となってしまった方、申し訳ありません。



2007.11.14 筆