時空(とき)のさすらい人


交 錯・2




京から倶利伽羅に向かうリズヴァーンと、倶利伽羅から京に敗走する平家の軍。
両者は同じ街道を北と南から進んでいる。
人目につくことを極力避けてきたリズヴァーンだが、今回だけは、脇道に入ることはしない。
途中で軍と出会うのは覚悟の上だ。

加賀との境界に近づく頃、篠原で平家と源氏の合戦があったことを知った。
倶利伽羅、志保に続き、ここでも平家が敗退した…とも。

前方に眼をやれば、まだ音は聞こえず、姿もないが、
人々の放つ気が、塊となって押し寄せてくるのが分かる。

それでも足を緩めることはない。
リズヴァーンの青い瞳は、大いなる軍勢の来るその先の道を見据えている。

倶利伽羅へ…故郷へ!
今度こそ、里に入り、滅びを止める!





敗走する兵の列は、街道を塞いで延々と続く。
長く伸びた隊列の最後尾は、かろうじて動いているといった体か。
その後には、二度と動かぬ骸が残されていく。

もはや軍とも呼べぬ平家の兵を突き動かしているのは、
今、背後から木曾の追撃を受けたなら逃れる術は無いという
厳然たる事実と恐怖に他ならない。

元々、諸国から駆り出された寄せ集めの兵が多い。
斎藤実盛をはじめ、平家の強者が次々に討たれて行くのを目の当たりにし、
命あっての物種とばかりに、雑兵達は隙を見て次々と逃げ出していく。

将臣がいかに叱咤激励し、負傷者に手を貸したところで、
その時その場にいる者の結束が強まり、意気が上がるのみ。
全軍の士気を鼓舞するまでには至らないのだ。
大軍であったこと…が災いした。

それでも崩れ始めた軍にあっては、いつの間にか将臣という存在が
一つの求心力となっている。
惨憺たる状況の中にあって、その視野は広く、判断は的確。
行動は風の如く疾い。

一兵卒も、生き残った一門の勇将も、かすかな希望をそこに見出している。
手勢をまとめ京に戻れば、態勢を立て直して反撃に出られる…と。

しかし、醒めた目で己が一門の有様を見切った将がいる。
鋼の色を帯びた眼差しに、負け戦の憂いを浮かべることもなく。

――惨敗…だな。
都人は、風向きを読むのに長けている。
京に戻ったところで、もはや平家に味方する者はいない…か。

走ってきた馬が二頭、将の両脇に並んだ。
「後ろは今のところ大丈夫だ。怪我人も何とかついてきてるぜ」
「ちりぢりになった兵も、将の下に戻りました。
逃げ出した者は…今は追う余裕はありません」

「二人とも、よく働くな」
「他人事みたいに言うなよ。お前は何をしてたんだ」
「クッ…そうかりかりするなよ、有川。
俺は、京に戻ってからのこと考えていた」
「おいおい、一寸先も分からねえって時にか?
お前が楽天家とは知らなかったぜ」
「そうか? この先、あまり楽しいことは無いと思うが」

反対側に並んだもう一人の将が、眉を曇らせる。
「兄上、まさか京から福原へ…と」
「さあ…な。都を捨てるも一興…とでも答えておくか」
「経正殿、知度殿がお亡くなりになったこの時に」
「戦になれば、一門の者とて無傷ではいられない。
当然のことだ…なあ、重衡」
「兄上、それはあまりに冷たいお言葉では」
「お前…そんなやつだったのか」

しかしその瞬間、三人は顔を上げた。
敗走する軍の、馬と人の激流を溯り、何かが来る。

刹那、真ん中の将が、馬の腹を蹴った。

黄金のきらめきは、眼の誤りではない。
凄まじい速さで近づいてくる。
あれは幻でも影でもなく、人の形をした闘気。

進み来る方向に真向かう。

――こちらの存在に気づいたか。

だが、それは逃げる気配もなく真っ直ぐに進み来る。
馬に鞭をくれ、さらに加速する。剣を抜き放つ。

剣の一閃。
火花と、響き渡る金属の音。

すれ違い様に振り下ろした剣が跳ね上がり、腕が付け根から痺れた。
もう一太刀、と振り向いた時にはそれはもう駆け抜け、後方へと去っている。

身の内でざわざわと騒ぎ沸き立つ血の滾りに、将は笑った。





倶利伽羅の道は、しん…として音もない。
風も吹かず、鳥の声すら聞こえない。

――ここだ。
リズヴァーンは足を止め、青草に覆われた長い坂道を見上げた。

長じてから後、幾度ここまで来たことだろう。
だが、その度に結界に阻まれ、入ることができなかった。

鬼の結界が鬼を阻む…その理由は分からない。
だが考えられることが一つある。
「リズヴァーン」という存在がこの世に生まれ落ちる以前に、
大人のリズヴァーンが里にいてはならない…ということだろうか。
そうであるなら、子供のリズヴァーンと自分とが出会ったなら……

だが、今しかないのだ。

意を決して、結界に足を踏み出す。
腕輪がひぃぃん…と鳴った。
そのまま、結界の内へと歩み入る。

胸が、痛いほど強く拍つ。
周囲の山道は、よく見知ったものだ。
大人の眼を逃れ、里の境界まで忍び出た時に眼にしたものと同じ…。

草をかき分け、急峻な道を一気に駆け上がる。
だが…その時に気づくべきであった。
あまりに静かな……里の気に。

リズヴァーンの眼前に開けたのは、何もない山間の風景。
村の痕跡も、人の気配もなく、
開けた平地にまばらに木が生え、伸び放題の草が視界一面に広がる。
周囲を囲む斜面は、道一つない深い森。

ここは、かつて里であったのか…。
それすら覚束ぬほどに荒れ果てた景色に、夏の陽ばかりが降り注ぐ。

――私は…この時空に生まれているのだろうか…。

過ぎてきた歳月も己の存在も、全てが陽光の中に幻のように溶け出していく。

あてどなく歩き出したリズヴァーンの足元に、何か固い物が触れた。

生い茂った草の中には、苔むした四角い石。
指先で苔と土を払うと、刻まれた文字が現れた。

リズヴァーンは眼を見開き、次いで頭を垂れて瞑目する。
その文字は、鬼の文字。
刻まれていたのは、村の長老の名であった。
石は、墓標だったのだ。


定められた運命……鬼の里の滅び。
それは、幾度繰り返しても変えることはできない。

里への侵入を拒んだのが、時空のさだめであったのだと…
この時のリズヴァーンはまだ、知る由もなかったが…。







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 [4.富士川 東岸]  [5.富士川 西岸・前編]  [6.富士川 西岸・後編]
[7.霧の邂逅]  [8.兆し]  [9.天地咆哮]  [10.三草山]  [11.三条殿炎上]
[12.皐月の里]  [13.腕輪]  [14.剣が繋ぐ光]  [15.交錯]
[16.若き師と幼き弟子]  [18.鞍馬の鬼・前編]  [19.鞍馬の鬼・後編]
[20.交錯・3 〜水車〜]  [21.交錯・4 〜ある日安倍家で@3〜]

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あとがき

倶利伽羅の戦いこそが、鬼の里が滅んだ元凶。
リズヴァーンは、故郷の滅びを止めるために走ります。
いや、管理人的妄想では、走っているはず。
……でも、どうしても止められないのですよね、幾度繰り返しても。

リズヴァーンが鬼の里を訪れる、というテーマでは、
すでに「残された者」というSSを、オフの配布本で書きました。
そこでは、里に入ったリズヴァーンの視点に焦点を絞っていますが、
この話は連作の中の1編ということで、「交錯」の続きとして設定。
敗走する平家軍と絡めてみました。
倶利伽羅の戦いの後、京へと取って返す平家と
途中で鉢合わせするかも…と妄想しましたので…。

この時期の平家は踏んだり蹴ったりで、
倶利伽羅、志保、篠原と負け続けですが、
ご一読の通り、攻略キャラの皆様は元気です。



2009.09.12 筆