時空(とき)のさすらい人


剣が繋ぐ光




春の宵、音もなく散りゆく桜花の下で、無心に剣を振る少年が一人。

朧な月明かりに金色の髪が光り、少年の動きに合わせて
ふわりふわりと躍るようになびく。
深い色を宿した青い双眸、端正な面立ち。
白い頬が、うっすらと上気している。
見る者あらば、その美しさに見惚れることだろう。

しかしここは、京の北に広がる山の奥。
訪なう人もなき、人界から隔絶した場所だ。
人の発する言の葉が、この山の木々にこだましたのは、幾年前だろうか。

そしてこの少年が最後に人と言葉を交わしたのも、
もう一年も前のことになる。

それは、ここではなく、遠い時空の彼方でのこと。
在りし日の父と、言葉を交わし、剣を交わした。

それからの日々、ただひたすらに、少年は剣を振り続けている。

時空を越えて持ち帰った剣は重く、それを振るうにつれ、
掌の皮は裂け、血が流れた。
それでも少年は、剣を握るのを一日たりとも休むことはなかった。

朝は小鳥の声と共に、曙光の射し初める頃に起き出し、
小さな草庵に山と積まれた書物を読み、
日が落ちれば剣を持ち、夜が更けるまで稽古を続ける。

病を得ても、怪我をしても、一人きり。
飢えても、渇いても、育てていた苗が獣に荒らされても、一人きり。
夜空を流れる星の大河に目を見張っても、
川辺の小さな花に、ひととき心和んでも、一人。
言葉を交わす者もなく、一人。

だが、少年は淋しさに押しひしがれてはいない。

この全き孤独の向こうに、光があることを、少年は知っているから。


気まぐれな桜花は、少年の剣をひらりと避けては、落ちていく。
花びらは雪のように次々と降りてくるのに、どれ一つとして、
剣先に触れることさえ、ない。

少年の眼は、時空の彼方で剣を振る、二つの姿を追っていた。

一つは力強く、峻厳な剣。
そしてもう一つは、舞うが如くに軽やかな、美しい剣。
どちらの剣にも、強き意志と深き心がある。
己の行く道を見定めた者のみが持つ、強き意志と深き心。

形を真似ても無意味であると、悟っている。
花を断つ剣は、迷いを断つ剣。
花びらにのみ心を奪われては、いけない。

父と剣を合わせた今では、はっきりと分かる。

あの(ひと)の 剣は、父の剣と同じなのだと。

梢を鳴らして一陣の風が吹き、一斉に桜花が舞った。

あの剣を……鬼の秘剣を、 あの(ひと)に教えたのは……
教えるのは……ぼくだ。

流れる花が、心に重なり合った。
風が体内を吹き抜け、四囲の桜花の動きが、聞こえる。

真一文字に白刃が走った。

二つに分かれた花びらが、はらりと落ちる。
返す剣で、さらに幾枚もの花弁を断つ。

無理な動きもない。
呼吸も乱れない。
静かな時と対峙する、己の心と桜花と、
そして山の息吹、朧なる天。

ひらひらと最後に降り来た花びらが、中空で音もなく二つに分かたれた。


剣を鞘に納めると、群雲から姿を見せた満月を仰ぐ。

天上の柔らかな、やさしい光に向かい、
朧夜の闇の底から、
長く…長く……少年は、言葉のない祈りを捧げた。








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あとがき

花断ち開眼の時、を描いてみました。

父と剣を交える云々の件は、
長編の間章「散桜」で書いたエピソードをベースにしたものです。

満月の夜にした点等々、願望と妄想の横溢した一編でした。



2008.7.19 筆