時空(とき)のさすらい人


交 錯




親落とせば子も落とし、兄が落とせば弟も落とし、
主落とせば家子郎等も続きけり。
馬には人、人には馬、落ち重なり落ち重なり、
さばかり深き谷一つを、平家の勢七万余騎ぞ埋めたりける。
巌泉血を流し、死骸岡を為せり
          ――― 平家物語・巻第七「倶利伽羅落」


倶利伽羅の山に、人馬の列が延々と続く。
平家は、木曾義仲の奇策に大敗した。
かろうじて生き延びた兵も、満身創痍の者は数知れず。

時折、力尽きた者がどうと倒れるが、周囲の者に助け起こす力は無い。
支えられて歩いている者はまだ幸いと言うべきか。

昨日までは誇らしげに掲げられた旗も、今は破れ
鎧の赤符にも泥がこびりつき、惨めな様をさらしている。

そのような中、ただ一人、沈んだ者達を励まし、
怪我人に手を貸し、隊列が崩れぬよう走り回っている若者がいる。

「大丈夫か、ほら水だ」
「か、かたじけない」
「ゆっくり飲めよ
ん?
おい、そこ! 元気なヤツが先に行くな」
「でも、今襲われたら、もう」
「落ち着けよ!
びくびくしてたら、まともな判断もできなくなるぞ」
「これはこれは将臣殿、それは私への嫌み…のつもりですか」
「惟盛か。お前も元気なら、ちょうどいい。
そこのひどい怪我人を馬に乗せてやってくれねえか」
「この私に命令するとは!」
「やれやれ、行っちまったか。
さ、肩を貸すぜ。つかまれ」
「も、申し訳ありません」
「この程度のこと、気にすんな。
せっかく生き延びたんだ。ラッキーじゃねぇか」
「らっきい…ですか?」
「ああ、国に戻れば家族に会えるだろう?
命があれば、これから巻き返すこともできる」
「こんな有様で、本当に……平家は」
「俺たちが浮き足立っていたら、それこそ源氏の思うつぼだろうが。
お前ら!しけた面してうつむいてないで、顔を上げろ!」

「クッ…立ち直りの早いことだな、有川」
昨夜は、経正の遺骸の前で、地を叩き声を涸らして号泣していた。
同じ男とは、とても思えぬが……。

知盛が言外に込めた意に気づかぬではない。
だがそれに関わっている余裕もない。

「お前もそこにいたんなら、手ぐらい貸せ」
「生憎と…、将にはそれなりの役目というものがある…
とでも言っておこうか」

「ま、お前に頼む方が間違ってたか。
ところで、このまま京まで…は無理としても、
どこまで撤退できそうだ?」
「命が惜しい…か?有川。それとも戦が恐くなったか」
「こっちが聞いてんだぜ。ちゃんと答えろよ。
すんなり逃がしてくれるような相手じゃねぇんだろ。
俺が知りたいのは、俺たちが態勢立て直してる余裕があるかってことだ」

「立て直すほどの兵が、まだ残っていれば…な」
「確かにこの山道じゃ、味方の数もはっきり分からないか。
まずそっからはっきりさせねぇとな」
「もう後がない…というものでもないさ。
木曾は、ここでは決着がついた…と思っているだろうが…」
「志保の戦は、まだ分からねぇよな」
「ああ。知度殿のご武運を…祈るとするか」

「だとしたら、このまま北陸道を京に向かえば」
「それでも、篠原…辺りで追いつかれるだろう」
「篠原?」
「加賀を出る少し手前だ。
何事もなく越前には入れない…ということだな。
「だが、そこで義仲を止めなければ、やつは」
「クッ…雅な都に、目を回すことだろうな」





同じ頃、木曾義仲の陣では、将兵達が弓弦を緩め、馬の鞍も外して、
しばし大勝の余韻に浸っていた。

総大将の陣幕の中で、義仲は大の字になり、天をにらんで寝ている。
その場には、義仲の他に男と女が一人ずついるだけだ。

「叔父上のことだが、なあ、兼平」
寝転がったまま、義仲が言う。

「は!何なりと」
兼平と呼ばれた男が、かしこまって答える。
義仲は不服そうに起き上がった。
「……どうしたんだ、お前、戦に出てからずっと他人行儀じゃないか」
「義仲様は総大将でございますから」
「だからって、お前がそんなだと、何だか変な気分だ」

兼平は、地に膝をついたまま言った。
「義仲様、ここは木曾ではありません。
我が軍の大多数は、他の国より集まった荒武者達。
皆、義仲様を将と仰ぎ、付き従っている者ばかりです。
なれば、幼き頃からのよしみがあるとはいえ、
主従のけじめをつけなければ、全軍の統率もままならぬと心得ます」

義仲の表情が明るくなった。口元が大きく横に広がる。
「そうか、もう俺は総大将だものな。
うん、やっぱりお前は頭が回る」

話の流れを読み取って、側に控えていた女が義仲にすっと杯を差し出した。
「どうぞ…」
美しい顔立ちだが、戦装束をまとっている。
木曾の女兵の一人だ。

義仲はうまそうに杯を干すと、口元を拳でごしごしと拭いながら、女兵に言った。
「巴、お前の兄者は頼りになるな。
俺は、細かいことはとんと分からんのだ。
まこと、助かっているぞ」

巴は、可笑しそうに首を振った。
「それは過ぎたお言葉。
大局を見るに、義仲様に勝るお方はありません。
何よりの証拠に、これまで我が源氏は負け知らず」

「ああ、木曾を出る時は、こんなにうまくいくとは思ってなかった」
「音に聞こえた平家の強者とは、どれほどのものかと期待しましたのに」
「ははは、お前に太刀打ちできる男はそういないさ」

「けれど倶利伽羅では、私などいなくても同じこと。
義仲様の計略、本当にお見事でございました」
「面白いくらい、こっちの策に嵌ったものな。
平家が慌てふためいて遁走する様、暗くてよく見えないのが残念だった」
「はい」
「俺たち、すごいことやったな、兼平。
あの平家を負かしたんだぞ」

「は……」
兼平は顔を上げずに答える。

自軍の勝利は喜ぶべき事だ。
しかも、ほとんど損害を出すことなく勝てたのだから。
しかし兼平は、義仲や巴のように手放しで喜ぶことができない。

倶利伽羅は、阿鼻叫喚の地獄と化したのだ。
自分たちの手によって…。

きつく眼を閉じ、自分に言い聞かせる。
まだ源氏は――義仲の進軍は道半ば。
この先に何が待ちかまえているか、見当もつかぬ。
深い谷底に落ちていくのは、次は自分たちかもしれないのだから。

気持ちを切り替え、兼平は先ほど途絶えた会話の続きを問うた。

「志保にて、十郎蔵人様が苦戦されているとのことですが、どのように…」
「うん、俺が行って叔父上を助けるぞ。軍を半分に分けるんだ」
「平家本隊の追撃はいかになさいますか」
「篠原で追いつけるだろう。
やつらにはもう、たいした手勢は残ってないはずだ。
次の戦いで終わりだ。
そうしたら、なあ、巴……」
「はい」
「俺たちは叡山を通って、京に入るぞ」

京……という言葉に気圧されたように、皆、押し黙る。

やがて義仲が沈黙を破った。

「兼平…巴……
都とは、どんな所だろうな」





――倶利伽羅で平家が大敗した。

この報せは、即刻京にもたらされ、
人の噂となって瞬く間に広まった。

ついこの間までは、平家にあらずば人にあらず…とまで言われ、
大臣、大納言、中納言はもとより、宮廷の要職を独占するほどの、
並び無き権勢を誇っていた一門が…。

哀れなものよ。
平家はもう落ち目じゃ。
これで少しは京の風通しもよくなるというもの。
滅多なことを言うな。
もしもまた、都に戻ってきたなら、なんとする。


そんな風聞は、鞍馬にも届いた。

角に松明を括りつけられた牛の群れが、夜闇の中、平家の陣になだれ込んだ――
と、 まことしやかに語られていたが、噂には、尾ひれがつくもの。

しかし、その大元にあるのは、一つの事実。

倶利伽羅で、大勢の人間が命を落とした。

なれば……。

リズヴァーンは黒き影となり、疾駆する。
京を北上し、常ならば避ける大路を選び、夜陰をつき、昼夜を分かたず走り行く。

倶利伽羅へ、
失われし故郷へ……。

今度こそ、辿り着くために。







[1.狭間を往く者]  [2.驟雨]  [3.閑日]
 [4.富士川 東岸]  [5.富士川 西岸・前編]  [6.富士川 西岸・後編]
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[12.皐月の里]  [13.腕輪]  [14.剣が繋ぐ光]
[16.若き師と幼き弟子]  [17.交錯・2]  [18.鞍馬の鬼・前編]  [19.鞍馬の鬼・後編]
[20.交錯・3 〜水車〜]  [21.交錯・4 〜ある日安倍家で@3〜]

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あとがき

リズヴァーンの運命の輪が始まった場所、
倶利伽羅での戦いに交錯する人々を描きました。

倶利伽羅といえば、木曾義仲の火牛の計ですが、これは後世の作のようです。
ここでは、平家物語を含め、虚実取り混ぜて――。

今井四郎兼平は実在の人物。
木曾義仲の乳兄弟で、彼の最期まで付き従った
至誠と勇猛を併せ持つ武将です。


この後の、故郷の鬼の里に入ったリズヴァーン視点の話は、
オフラインの書き下ろしSS「残された者」にて。



2008.9.4 筆