うららな陽の降り注ぐ、鞍馬の山。
京の街に流れる不穏な空気も、
ここの山奥までは届くこともなく、
静かな時間が流れている。
人里離れた庵に通じる獣道を、リズヴァーンは歩いていた。
前方に動くもの。
……狐か。
かまわず歩を進める。
近づくリズヴァーンの気配に、狐も気づいた。
前足を上げたまま動きを止め、
次の瞬間、身を翻して薮の中に姿を消す。
そのまま通り過ぎようとしたリズヴァーンだが、
狐の視線の先にあった獲物の正体に気づいた。
下草の間に小さく動くものがある。
雛鳥だった。
「ピィ…」
まだ羽根の生えそろわない翼を広げて、弱々しい声で鳴いている。
リズヴァーンは、雛鳥をそっと拾い上げると、掌に乗せた。
もがく小さな身体から、熱と、細かい震えが伝わってくる。
巣から落ちたのだろう。
柔らかい下草に守られて、怪我はしていないようだが…。
リズヴァーンは、周囲の木立を見上げた。
生い茂った葉の間に、鳥の巣を見つける。
だが、戻したところで、一度巣から落ちた雛を、親鳥は育てない。
雛鳥は助からぬ。
狐狸山犬の餌となり、彼らの飢えを満たすか、
下草に隠れて朽ちていき、虫共にその骸を供するか。
それが自然の理なのだろう。
しかし…
リズヴァーンは、掌の中の雛に、眼を落とした。
「お前の巣は…、
もうお前には届かぬものとなってしまったのだな…」
「チ…ピ…」
応えるかのように、雛鳥が鳴いた。
春浅き頃、院が譲位した。
後を継いだ幼い帝は、平家の血筋。
法皇さえも幽閉するほどに強大になった平家の権勢は、
これで盤石となったように思えた。
それを是としない者達も少なからずいたものの、
院の弟、以仁王を中心として起きた乱でさえ、瞬く間に鎮められた。
院弟の死をもって、乱は治まったかにみえるが、
その令旨は、諸国に発せられている。
動き始めるか…。
「ピチィ」
そのようなことにはおかまいなく、
リズヴァーンが指先につけた粟の練り餌を、
雛鳥は無心についばんでいる。
全身に羽根が生え、親鳥と変わらぬ姿になってきた。
突然やって来た闖入者に近寄ろうとしなかった栗鼠達も、
もう慣れたようで、リズヴァーンの肩に乗って、
雛鳥の様子を見ている。
「お前が飛べるようになる日も、近いのだろう」
「ピィ」
そして、
ある朝、リズヴァーンの手から力強く羽ばたいて、
鳥は大空へと飛び立った。
仲間の鳥が鳴き交わす中へと混じり、
すぐにその姿は見えなくなる。
空を見上げ、かすかに微笑むと、
外套を翻し、リズヴァーンは庵を後にした。
庵を閉じ、結界を施し、山を下りる。
平家の新たな都、福原、
そして、令旨を受けた東国の動勢を、
この眼で見きわめねばならぬ。
東国の頼朝が挙兵すれば、九郎もまた、奥州から戻るだろう。
この時空が神子へと続くものならば、
時代は大きくうねり、動く。
戦乱の時が、始まる。
[1.狭間を往く者]
[2.驟雨]
[4.富士川 東岸]
[5.富士川 西岸・前編]
[6.富士川 西岸・後編]
[7.霧の邂逅]
[8.兆し]
[9.天地咆哮]
[10.三草山]
[11.三条殿炎上]
[12.皐月の里]
[13.腕輪]
[14.剣が繋ぐ光]
[15.交錯]
[16.若き師と幼き弟子]
[17.交錯・2]
[18.鞍馬の鬼・前編]
[19.鞍馬の鬼・後編]
[20.交錯・3 〜水車〜]
[21.交錯・4 〜ある日安倍家で@3〜]
[小説・リズヴァーンへ]
[小説トップへ]
治承4年の春を想定した話です。
この年は、
安徳帝が即位、
あっつんが亡くなって、怨霊として蘇り、
以仁王の乱が起き、
福原遷都が行われ、
頼朝が挙兵し、
石橋山の戦いがあり、
九郎が頼朝と会い、
将臣くんが京にやってきて、
応龍が分かれ、
菫姫と白龍が時空移動し、
黒龍が朔と出会う。
という、箇条書きにしただけでも慌ただしい年です。
そしてこの年、倶利伽羅の地でリズヴァーンは生まれています。
彼の心根の優しさ、あたたかさを思うと、
きっと家族と村人のあたたかな心に囲まれて、
慈しみ育てられたのだと…。
リズヴァーンも、遠い地に幼い自分がいることを知っているのでしょう。
雛鳥にかけた言葉に、その気持ちを表してみたつもりなのですが。
2007.9.7 筆